朝比奈秋 × 青木彬が考える「幻肢」の想像力「切断された足は見えないけど、確かにここにある」

足を切断してから創造力のことをもっと広く考えるように

――三島由紀夫は、ボディビルをするなど自分の体に意識的な作家でしたけど、そういう部分に魅かれたんですか。
青木:三島は思想も含めアンビバレントな人で、彼に表現があってよかったと思うんです。僕もアンビバレントなものが好きだったり、両極端でバランスをとるというか、そういう感覚と彼の小説が惹かれあうところはあったかもしれません。
――体を題材にしたアートもありますが、アートと体の関係についての考え方は、ご自身の体験を通じて変わりましたか。
青木:足を切断してから創造力のことをもっと広く考えるようになりました。キュレーターの立場上、アートの領分を判断しなければいけないですけど、アートは世にある多様な創造力の一部でしかない。そう思うようになって、アートでなくてもいいという気持ちを開けっぴろげにいえるようになりました。自分の体の変化、体験をアートだというつもりはないですけど、いってもらうのはかまわない。人間には創造力が必要だと肌で感じたというか、関心が創造力へ完全にシフトしてしまいました。
朝比奈:僕は小説を読み始めたのが35歳くらいで、それまで医療の世界にいました。三島も今はまだ『金閣寺』しか読んでいなくて、むしろ青木さんの方が小説を書きそうな(笑)。

――朝比奈さんは、医師になったから小説を書いたという感じなんですか。
朝比奈:もともと人間って、命ってなんだろうと考えるタイプでした。そのなかのテーマとして体って、病気って、障害ってなんだろうと考え、そんな人間が進むのは医学部かなと思ったんです。医者への憧れもなく、体の細かなシステムを知りたいわけでもなかった。でも、34、5歳になってから急に物語が思い浮かぶようになり、書き始めたんです。体の勉強はしたので、その方面は調べなくても書けるのは有利かもしれません。
ただ、書き始めは、医療的なものや医者であるということに邪魔される。科学的に間違っていることはどうしても書きにくい。でも、37、8で常勤を辞め、非常勤でたまに病院へ行くくらいになると、医者としての自覚がなくなってくる。医学的にありえなくても、現実にありうる、人間的に正しいということはあるでしょう。そういった根拠のない実感が生まれてくると、それだけを頼りに書ける。左手を切断していなくても、同じ人間で幻肢性は僕にもあるから書けたと思っています。
――『あなたの燃える左手で』では腕の移植が国境紛争と重ねられますが、発想源は。
朝比奈:2014年にクリミアが、ウクライナからロシアへ移った。現地の人はロシアに属するか、クリミア半島から出てウクライナ人であり続けるか、2パターンしかありませんでした。僕が生まれてから、あれだけ大きな領土が他国になることはなかったと思いますし、ショックを受けました。例えば、北海道がどこか違う国になって開発されたらショックでしょう。あの物語を書いている時、体と国境はもちろん完全なアナロジーにはならないにしろ、通底するものを感じてその方向へ進んだんです。
小説では、かつての左手をとり戻そうと義手をつけても戻らなかったから、他人の手を移植する。でも、思い通り動かせても、もとの手には戻らないと気づくんです。それは僕のなかで大きな気づきでしたけど、青木さんは一気に切断したのではなく、以前に骨肉腫で人工関節を入れた経緯があり、もとの右足に執着していない。むしろ義足でしかできないことを得ようとしていることにビックリして面白かったんです。
青木:骨肉腫になった時から義足になる選択肢は実感としてあったし、義足の方が運動性能は高いといわれました。今までついていた右足も頑張ってくれましたけど、人工関節の金属が入っている時点で、自分の足でない気がしていたんです。切断して100%自分の体になった気がした。その意味で、身体の変化に心の準備ができていたんです。義足を道具ととらえる人も多いでしょうけど、僕は義足にも義足の都合があるだろうと思っています。
朝比奈:独立した存在だと。
青木:こいつの都合があるならコミュニケーションをとろうと、マインドセットした部分がありました。事実と真実は違うでしょう。事実として客観的、科学的に説明できても、人間はそれだけでは満足できなくて、その人にとっての真実がある。それを受けとめられるのが、芸術や文化の懐の深さだと思います。僕は、幻肢を確かな存在と感じる真実と、義足という工学的な事実と向きあう。それに関して、なにかを自分の支配下に置くというより交流のように感じるのは、自分が芸術や文化にかかわっていたからでしょう。
――『幻肢痛日記』では生身の身体の唯一性について語られる一方、ローカルな義足というものがありうるのでは、と書かれていたのが興味深かったです。義肢の購入に関して給付を受けるには、義肢の内容が制約されるということも初めて知りました。
青木:リハビリで駅前を一周した時、外を歩けば雨が降り雪も積もると思って理学療法士に話したら、その人が住む環境によって義足は変えると聞いてなるほどと思いました。義足は自分が歩きやすいように作ればいいけど、僕だけの運動性能が上がるのではなく、義足の人すべてがよりよい生活になるように底上げしなければいけない。義足にローカリティがあると同時に、規則で規格化されて進歩する意義をリハビリしながら感じました。
――作中に書かれていますが、移植後は免疫抑制剤を服用し続けなければいけない。
朝比奈:そうです。移植部分は大きい方が拒絶反応は起こりにくいので、両肘からの例はあっても指1本の移植はありえません。技術的には簡単につなげても、移植したら他人の指は拒絶反応でやられてしまう。拮抗するためには、より多くを移植した方が有利。大国と小国の関係のようなものです。アメリカとロシアの全面戦争が起こらないのは、地球が滅ぶからでしょう。体も指1本だったらいいかと、すぐ攻撃する。力関係が似ています。

――最後に話しておきたいことがあれば。
朝比奈:医者として当時の僕が習った幻肢痛は、いかに痛みを取り除くかというものでした。『幻肢痛日記』のようにインスピレーションや気づきを得る存在ではなかった。でも、『幻肢痛日記』では、幻肢と応答して本人がどんどん変わっていく。「無いものの存在」というワードなど、わからないものはわからないままで書くのが、小説の書き方と似ています。僕も『あなたの燃える左手で』では、わからないことをどういうことかなと考えながら書きました。書き始める前と書き終えた後では理解が違うし、自分が少し変わって前に進めた気がします。だから、青木さんも小説を書かないかなと思ったんです。
青木:本を出す時、帯に推薦文をくれた白石正明さん(「ケアをひらく」編集者)から「青木さん、まだ書きたいことあるんじゃないですか」といわれ、そうなんですと答えました。実は次の原稿を書き始めています。どんな風になるか、まだわからないですけど。
朝比奈:僕としては、ぜひ現実を逸脱して、小説になってほしいですね。
■新刊情報
『受け手のいない祈り』
著者:朝比奈秋
価格:2090円
発売日:2025年3月26日
出版社:新潮社
























