やなせたかしの仕事は『アンパンマン』だけじゃないーーその激動の人生とマルチな才能

戦争が終わって復員したやなせを待っていたのが、弟の戦死という悲報。優秀な弟が死に自分が生き残ってしまった意味を問い、どうやって生きていこうかを迷っていた時に、手がけてみた廃品回収の仕事でアメリカの雑誌に触れ、漫画や広告のセンスの良さに冷えていた心が動き出す。
仕事をしようと高知新聞に入って記者から雑誌の編集者になり、そこで生涯の伴侶となる暢と出会い、程なく東京へと出て2人で慎ましく暮らしながら、激動の日々へと突入していく。評伝でも読み応えのあるやなせの生涯でも最大級の転機が、朝ドラでどのように描かれるかが大いに気になる。
こうしたやなせの評伝を、著者は柳瀬嵩という本名から「嵩」と言う名前を主語に取って綴っている。ところが、あとがきでは敬意を込めて「やなせ先生」と呼んで、おだやかで誰にも怒ったり声を荒らげたりしなかったことを振り返っている。
実は著者は、『アンパンマン』が大人気となる前に、やなせが編集長を務めていた「詩とメルヘン」で編集者として働いた経験の持ち主だ。あとがきでは、会社を辞めてフリーになったとたんにアパートを追い出されそうになった著者を、自分が書庫として借りていた部屋を空けて住まわせてくれたことにも触れている。まさにリアル「アンパンマン」だ。
そうした体験談だけでも感銘できそうだが、暢が生まれ育った環境や弟が戦死した状況まで含めて描くために、ノンフィクション作家としての立場で恩師と対峙したと言えそう。文中にやなせの詩を挟み、誰でも詩人になれると訴えたことや、早逝した弟への思い、東日本大震災に沈む気持ちを導く希望の星があるとうたった詩などから、やなせの詩心と心情に近づける。そんな評伝だ。
やなせには『アンパンマンの遺書』(岩波現代文庫)という自叙伝があって、評伝に綴られているようなエピソードが本人の筆で紹介されている。幼少期のことも東京の学校に通ったことも中国に出征したことも当事者の経験として書かれていて、その時々にどのように向き合っていたかが分かる。
手塚治虫を始めとした天才たちの活躍ぶりに漫画家として焦燥感を抱いていた様子からは、マルチな活躍をしていても代表作とともに認められたいクリエイターとしての心情が漂ってくる。この自叙伝や、4月下旬に刊行となる『やなせたかし メルヘンの魔術師 90年の軌跡』(河出書房新社)を評伝と合わせて読むと、より立体的にやなせや暢という人物と、昭和から平成にかけての文化や社会について知ることができそうだ。























