『スラムダンク』安西先生は本当に「名将」だったのか? 三井寿ら部員への指導方法を再検証

『スラムダンク』安西先生は「名将」?

 『スラムダンク』に登場する安西先生の名言、「諦めたらそこで試合終了ですよ」は作品を読んだことがない人でも知っているくらい有名だろう。安西先生は湘北高校のバスケ部監督として、桜木花道や流川楓などを導く名監督。読者からも「名将」と評価されることが多いが、一方で「実はダメ監督ではないか?」との噂が囁かれている。

かつては「鬼コーチ」として厳しさを厭わなかった安西先生

 白髪でぽっちゃり体型、桜木に“たぷたぷ”される二重顎といったマスコット的な見た目に加えて、温厚な性格から「白髪仏(ホワイトヘアードブッダ)」とあだ名される安西先生。しかし、元々は「白髪鬼(ホワイトヘアードデビル)」と、今とは正反対の名で呼ばれる鬼コーチだった過去を持つ。

 自身も全日本代表選手であり、現役引退後は名門大学で監督を務めるなど経歴もピカイチ。「白髪鬼」時代は眼光も鋭く、指導時にはいつも怒号が飛んでいたようだ。湘北高校時代の仏のような姿からは想像できないが、湘北高校のライバル・陵南高校バスケ部の田岡監督はかつての安西先生を知っており、今でも頭が上がらないというエピソードも。

 そんな厳しい安西先生が、現在のように温厚になったきっかけは大学監督時代にあった。大学で谷沢龍二という有望選手を見出したのだが、指導方法やコミュニケーションが合わず谷沢は単身アメリカへ留学。アメリカで頑張っているかと思いきや、谷沢から届いたビデオには日本にいた頃からまるで成長していない彼の姿が映っていたのだ。案の定アメリカで挫折した谷沢は消息が不明に。そしてそのままアメリカで亡くなってしまった。

一転、温厚になった先生の指導方法とは?

 目をかけていた教え子の悲劇的な最期を知り、大学バスケットボール界から身を引いた安西先生。湘北高校で監督となってからは、谷沢の悲劇を再び起こさないよう部員に寄り添った優しい指導を心がけるようになったのだ。しかし、この優しくなった安西先生について「有望だった三井が挫折して、不良になっても放置してたのはどういうこと?」「そもそも練習に来て指導する姿をあんまり見てない気がする」と、読者からはその指導方法に疑問の声も。

 確かに、三井寿は元々強豪校からスカウトが来るほどの有望選手。本当に部員に寄り添った指導をするのなら、脚の怪我で挫折した時に放置するのではなくきちんとケアするべきだったのではないだろうか。普段の練習についても、基本的にキャプテンの赤木に任せっきり。谷沢がアメリカへ行ってしまったのはコミュニケーション不足も原因の1つだったにもかかわらず、湘北高校でもあまり部員とコミュニケーションを取っているようには見えない。

 もちろん桜木にシュートを教えるなど全く指導をしていなかったわけではないが、「桜木とか流川が才能あるとわかって、急に指導に熱が入ったような感じがする」「才能がある一部の部員しか相手にしていないと思われても仕方ないよな」といった感想を持つ読者も少なくないようだ。

 しかし最初の頃は置物のようだった安西監督も、湘北高校が活躍するにつれリアクションが大きくなっていくのを見ると、バスケットボールへの情熱は失っていなかったようである。さらにアメリカに行きたいという流川を諭し、一度は挫折した三井を再び導くなど、部員たちとの信頼も築けていることがわかる。少なくとも、部員たちの心に残る数々の名言を残しただけでも「名監督」と言えるのかもしれない。

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