大暮維人が描く少年たちの成長譚『灰仭巫覡』が面白い “原作つき”から離れた強烈なオリジナル作品

大暮維人『灰仭巫覡』レビュー

 母を失ったふたりの少年が神楽(かぐら)を舞い、双頭の美少女の加護のもと、“神”を降ろす。そして、一時的に神の力を得た彼らは、禍々しい化け物のような姿を露(あらわ)にして人々に襲いかかってくるかつての“天災”――いまは「夜」と呼ばれている超自然的な脅威に立ち向かい、その怒りを鎮めるのだ。

 大暮維人が現在「週刊少年マガジン」にて連載中の『灰仭巫覡(カイジンフゲキ)』は、そんな少年たちの戦いと成長を描いた、すこぶる面白い和風ファンタジーコミックである。

※以下、『灰仭巫覡』1巻のストーリーに触れています。同作を未読の方はご注意ください。(筆者)

「巫覡」の少年ふたりが世界を救う

 物語の舞台は日本の長閑な田舎町。「巫覡魂(ふげきこん)」という霊的なエネルギー(?)の持ち主である少年・仭(ジン)は、かつて英国を襲った「颱(ち)の夜・キャサリン」から逃れて来た大英帝国第3皇子・ガオと暮らしている。

 実は、そのガオが命からがら日本に逃げてきた際、彼が指揮していた武装タンカーの墜落により、仭の母親は命を落としているのだが、仭はガオたちのことを恨んではいない。それは、仭がもともと巫覡魂の持ち主は「理不尽」を引き寄せるものだと信じ込んでいるせいもあるのだが、ガオもまた、自分と同じ「理不尽」よって母を失った少年だということを知っているからだろう(大英国帝国降神師団きっての巫女だったガオの母は、「キャサリン」を鎮めるための戦いで命を落としている)。

 そんな彼らが暮らしている町に、突然「ヤロカ様」と呼ばれる「夜」が襲いかかってくる。仭はさっそくガオと共に土着の神を降ろすために神楽を舞い(ガオもまた不覡である)、双頭族の巫女(御陵フユ・ナツ姉妹)の力も借りて、「祟り刀」で「夜」を鎮める。だがこの“神降ろし”は、ふたりの少年(あるいは4人の少年少女たち)にとって、人智を越えた存在から世界を救うための戦いの序章に過ぎなかった。

「夜」が象徴するものとは?

 さて、本作でまず注目すべきは、「夜」という怪物(もしくは神)の正体だろう。これがなんというか、なかなか不可解というか、不条理な存在である。なるほど作中では一応、「災禍をもたらす怒りの神」と説明されてはいる。つまり、これまで私たちが単なる自然現象だと考えていた天災の数々(台風や水害など)は、実は禍々しい実体を持った怪物(神)たちの仕業だった、ということなのだが、1巻を読んだかぎりではその意図はわからない。

 しかし、作者が考えていることは、なんとなくだが私にもわかる。おそらく大暮維人が「夜」という荒ぶる神の襲来に象徴させているのは、「異常気象」や「戦争」といった、これまで日本で暮らしているぶんには、はっきりと目に見えるかたちでは存在しなかった脅威が、しだいにかたちをとり始めていることへの不安感ではあるまいか。

 第1話で「ヤロカ様」(=鉄砲水の怪物もしくは神)が襲来した際、ある老人がこんなことをいう。「大雨が山に降るからヤロカ様が里に来るんじゃねぇんだよ…逆だわ、逆。里のモンがヤロカ様をバチクソ怒らせっから、雨が降るんだ」

 誤解を恐れずにいわせていただければ、異常気象(地球温暖化)も戦争(大量殺戮)も、科学の発展と共に欲望を抑え切れなかった人間が生み出した“禍い”であるという見方もできるだろう。逆にいえば、いまなら同じ人間の手で、それらの拡大を止めることもできるのではないだろうか。そう、自然の神を「バチクソ怒らせ」る前に、我々ひとりひとりにもまだ何か打つ手はあるはずなのである。

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