巨匠漫画家・ながやす巧、傑作『愛と誠』の裏にあったリアル純愛物語と画業60周年でも尽きぬ創作欲

■ながやす巧、画業60周年を振り返る

『ながやす巧「愛と誠」の世界展』に合わせて、会場では当時の「週刊少年マガジン」を読むこともできる。

 純愛漫画の金字塔である『愛と誠』の原画展が、2024年7月5日から8月20日まで、東京都世田谷区豪徳寺の「旧尾崎テオドラ邸」にて開催されている。

   梶原一騎(原作)、ながやす巧(漫画)という伝説のコンビで生み出された『愛と誠』は、不良少年の太賀誠と財閥令嬢の早乙女愛の純愛を描いた、日本漫画史に残る傑作である。さらには愛に想いを寄せる岩清水弘の「きみのためなら死ねる!」など、今でも語り継がれる名言を生み出したことでも有名だ。

漫画界の巨匠・ながやす巧。写真提供=永安福子

  ながやすといえば、アシスタントを使わず、背景からモブキャラまですべてを1人で描き上げる漫画家としても知られている。その圧倒的な漫画表現は、後進の漫画家にも多大な影響を与えた。『はじめの一歩』の森川ジョージをはじめ、その執筆姿勢を敬愛する漫画家は数多い。

  今年はながやすにとって画業60周年という節目に当たり、6月13日に日本漫画家協会賞を受賞したばかりである。今回はながやす巧と、その創作活動を支え、執筆を間近で見てきた妻・永安福子に独占インタビュー。色褪せることのない名作の魅力と知られざるエピソードを深掘りした。

■『愛と誠』に登場する建築が興味深い

今回の展示会の会場となった「旧尾崎テオドラ邸」。瀟洒な洋館と『愛と誠』の組み合わせはミスマッチ……と思いきや、ながやすの話を聞いた後だと、意外と雰囲気に合っていると思えてくる。写真=山内貴範

――ながやす巧先生の原画展は各地で開催されていますが、「旧尾崎テオドラ邸」で原画展を開催することになった決め手は、何だったのでしょうか。

福子:「旧尾崎テオドラ邸」の運営に関わっている三田紀房先生から、ぜひやってほしいとお申し出をいただいたことがきっかけです。

ながやす:三田先生にそこまでお願いされたら、協力しなければ……と思ったんですよ。

福子:たくさんの漫画家さんがこの館の保存を応援するため、資金を提供していたことを知り、私たちもお役に立てればいいと思い、ハイッと手を挙げました。でも、最初は主人の絵と洋館は合わないと考えていたんですよ(笑)。

――いえいえ、蓼科高原にある早乙女家の別荘は戦前に建てられた洋館の趣がありますし、座王家は純和風の大邸宅、早乙女家の自宅も上流階級に相応しいモダニズム住宅ですから、名建築での展示はお似合いだと思います。『愛と誠』では、登場人物が暮らす邸宅が家系のイメージを投影していて、世界観の演出に一役買っています。さて、ながやす先生は『壬生義士伝』の執筆の際、資料集めを入念になさったと伺っていますが、『愛と誠』の時も事前に調べ物をされたのでしょうか。

ながやす:いえ、『愛と誠』のときは時間がなくて、そこまで調べていませんね。なにぶん貧乏でしたから、お金持ちの家なんてどんなものか知らないんですよ(笑)。早乙女家は建売住宅のチラシを見て、これを豪華に描けばいいのかなと考え、描いたものです。あと、蓼科駅も本当はないんだよね。でも、原作には蓼科駅と書いてあるからイメージで駅舎を描いたのですが、後で読者からでたらめだと怒られてしまいました。

福子:梶原さんからは特に資料も来ないし、背景を具体的にこんなイメージで描いてほしいという指定がないんですよ。原作をもらうまで何が出てくるかわからないし、いつも時間がなくていっぱいいっぱいでした。

――なんと、そうなのですか!

ながやす:もちろん、今だったら舞台になる場所に取材に行くと思いますし、資料を集めて描くと思います。ただ、当時はネットや資料集もなかったですから。原作を読んで必要なイメージをメモして「マガジン」の編集さんに伝え、撮ってきてもらった写真からイメージに近いものを選んだこともありますよ。

福子:早乙女家が愛の送迎に使う自家用車は、ちばてつや先生の作品中の車を真似して描きました。

■劇画なのに少女漫画タッチの場面も

『愛と誠』(梶原一騎/原作、ながやす巧/漫画)は数々の名場面を生み、ドラマ化もされた名作。ながやすは3年以上にわたった週刊連載を、アシスタントを使わずに1人で描き切った。

――まだネットがなかった時代の漫画家の苦労がうかがえるエピソードですね。誠と愛が転校する花園実業高校は戦前の鉄筋コンクリート造の校舎を思わせる風格があります。新宿にあのような学校があったのでしょうか。

福子:古い本や写真を見て探したのかもしれないし、もしかすると、銀座の「泰明小学校」が参考になっているかもしれません。あそこを通ったとき、主人は「こんなところに学校があるんだ」と覗いていましたから。

ながやす:そうかもね。日比谷で映画を見た帰りに通っていたからね。

福子:映画を見たあとは帝国ホテルの近くで喫茶して、泰明小学校の前を通ることがありました。しょっちゅう見ていたので、頭の中にイメージが残っていたのかもしれませんね。

――高原由紀の愛読書、イワン・ツルゲーネフの『初恋』を描いた場面も魅力的です。まるで少女漫画のような繊細なタッチで洋館や人物を描いておられていますね。

ながやす:少女漫画を意識したわけではなくて、原作に書いてあることをイメージしながら描いたんです。すべてイメージですよ。洋館も、外国人の顔も、いろいろな映画を見たときの記憶を手繰りながら描いたものです。

福子:洋館といえば、マカロニ・ウエスタン(注:1960年代にイタリアで撮影された西部劇の総称)のバックにいろいろ古い家が出てくるんですよね。主人は『大草原の小さな家』も好きでしたし、その面影があると思います。

――ながやす先生の表現の多彩さを実感できる素晴らしい絵だと思います。

福子:あのシーンは、私も凄く好きなシーンです。展示会が決まった時、山下和美先生(注:旧尾崎テオドラ邸は漫画家の山下和美が中心になって保存活動が展開された)に「主人は劇画っぽい絵だけではなく、こういう絵も描くので、旧尾崎テオドラ邸に合うんじゃないですか」と提案したら、「いいじゃない!」と言ってくださいました。主人は本当になんでも描けるんですよ。『初恋』の場面なんて、このまま一本の漫画にしてもいいくらいです。

銀座のど真ん中にある泰明小学校の校舎は、関東大震災の復興事業として1929年に建設。こうした小学校を復興小学校と呼び、かつては都内各地にあった。写真=山内貴範

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