もしも北海道が戦場になったら……日本社会の不快さを暴力によって浮かび上がらせる小説『越境』

砂川文次の小説『越境』のすさまじさ

 砂川文次の小説『越境』(文藝春秋)がすさまじい。戦闘と暴力をド正面から描いたアクション巨編でありながら、どこまでも内省的で理屈っぽく、現代日本に対する怒りも強く感じさせる、非常に読み応えのある作品である。

 『越境』は、芥川賞候補作となった『小隊』の続編である。『小隊』はずいぶん特異な小説だった。主人公は自衛隊に所属する3等陸尉、安達。北海道に上陸したロシア軍を迎撃すべく釧路市郊外に布陣した安達たちの単調で緩慢な野営、そして唐突に始まり、始まってしまえばそこにいる人間全員の都合など関係なく人間が死にまくる戦闘それ自体について、ひとつひとつの事象を顕微鏡で観察しながら腑分けするような小説だった。

 戦闘とそこに放り込まれた人間の心の動きを極限まで拡大して読ませるため、なぜロシア軍が上陸したのかや日本政府がどのような協議を行なって対処しているのかといった大局的情報はほぼゼロ。「こういう道路を通ってこのくらいの規模の敵がこの方向に進撃してきたら、このくらいの規模の自衛隊の部隊はどう陣地を作って迎え撃ち、その結果どうなるか」という点だけにフォーカスし、殺し殺される戦闘が人間にとっていかなる不可逆の変化をもたらすかを描き切っている。こんな小説は読んだことがなかった。強いて言えば、小林源文の漫画の最前線に関する描写が一番近いかもしれない。

 その自衛隊とロシア軍との激突から10年が経過した北海道が、『越境』の舞台だ。一方的な侵略を行ったことで国際的な制裁にさらされる危険を察知したロシアは、北海道侵攻軍を「指揮系統を逸脱した勢力」と宣言し、ロシア国内の反政府勢力を次々と粛清。北海道侵攻軍とその関係者をロシアから切り離し、反乱勢力として処罰の対象とした。この事態を受けて北海道侵攻軍は難民宣言を行い、それをきっかけにロシア領内に残った非武装の侵攻軍の親類や少数民族、反政府分子といった集団が北海道に多数上陸することとなった。

 一方、日本は大国間のパワーバランスを考慮し「一連の事案は国家間戦争や領土問題ではなく、ロシア国内の問題や法整備の不備に原因がある」という日和見的態度をとる。よってロシア軍と戦った自衛隊北部方面隊の行動は法的根拠のないものとされ、関係者が次々に処分されることになる。旭川駐屯部隊が難民と化したロシア軍を受け入れたこと、生き延びた自衛官や元道民に対する差別意識などから、自衛隊や北海道民に対する国民の風当たりが強くなり、元自衛官によるテロ事件が続発したことで、次第に北海道での戦闘・治安維持任務は警察へとシフトしていく。

 そんな状況下で日露両国は互いを牽制するため、北海道に残留している両国の武装勢力をそれぞれ秘密裏に支援。これらの支援の中には多数の武器が含まれており、道北・道東では残留ロシア軍、ゲリラ戦を展開する元自衛隊部隊、NPOを騙るヤクザや民兵組織、その他国際的な犯罪集団などが跋扈。暴力と犯罪が詰め込まれた闇鍋のような状態となっていた。

 『越境』の主人公である入木2尉は、帯広から出発し、旧釧路空港での支援任務にあたるヘリコプター操縦士である。が、任務中に何者かの攻撃を受けて墜落。死にかけていたところを山縣と名乗る元自衛官のスナイパー、そしてロシア東部のサハ共和国から北海道にやってきた女性アンナに助けられる。当初は日本政府が実効支配する北海道西部への帰還を目指そうとしていた入木だったが、思わぬ理由から山縣とアンナと共に混乱の続く北海道東部の無法地帯へと足を踏み入れることになる。

 野営から戦闘までの数日間の出来事を濃密に書いた『小隊』と比較すると、『越境』はスペクタクル満載のアクション増量。特に前半の山場である、釧路での戦闘シーンは圧巻だ。残留ロシア軍や自衛隊やゴロツキや愚連隊や難民がごった煮になった民兵と、北東アジア各地から集まってきた犯罪組織が根を張る釧路に、自衛隊から装備を引き継いだ警察の戦闘部隊が雪崩れ込み、警察と民兵の戦闘に巻き込まれた入木たちは壮絶な市街戦を体験する。

  この釧路での市街戦パートはさながら映画『ブラックホーク・ダウン』のような緊張感と密度感があり、銃弾が飛び交い敵味方がポンポン死ぬ地獄の戦場を実際に体感しているような感覚で読める。「陣地に籠る味方と攻めてくる敵」という構図がはっきりしていた『小隊』に比べると、建造物が建ち並ぶ中を敵味方が入り乱れて移動し、場合によっては建物の中すら戦場になる市街戦の恐ろしさがしっかりと描き分けられており、砂川文次という作家の力量を思い知らされる。

 血で血を洗う壮絶な戦場の中で、入木がひたすら内省的に思考を深めていく様も、砂川作品独特の読み味だろう。戦闘時の知覚を微に入り細をうがって描写し、その知覚の蓄積から入木が「内地の人間」としての自分がいかに鈍く国家に隷属した存在であったかに気付き、あらゆる状況が生存を阻止しようとする北海道では、生きるだけで状況に対する抵抗となることを理解していく。ひたすら状況に流される中で入木は大いに戸惑い、怒り、考える。このあたりは『小隊』とも共通する点だが、本作の入木は3等陸尉という立場によってひたすら怒り戦うことを選ぶことになった『小隊』の安達よりも、射程の長い問いに向き合うことになる。

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