「水木しげる以上に水木しげるを知っていた」関係者に聞く、“伝説のファン”伊藤徹が後世に与えた影響

■絶版古書の復刻ブームを牽引

伊藤徹が編集・発行を担当していた『もののけ通信』。岡本真一氏が編集メンバーに名を連ねている。第9号の表紙は、水木しげるのアシスタントも務めた巨匠・池上遼一である。“水木しげる独占情報誌”を謳い、毎号濃い内容でファンを熱狂させていた。写真提供=福井宏明

――伊藤さんの業績の代表的なものとして、何が挙げられますか。

岡本:まず、1974年に初めて水木先生の公式作品リストを作ったことですね。そして、1978年に最初の水木先生の公式ファンクラブを創設したことも大きいでしょう。1981年に自然消滅するような形で解散したのが惜しまれます。また、大手の出版社がどこも作らなかった水木先生の画業40周年の祝賀記念本を自主制作し、“古書マニア発”の水木しげるブームを起こすという、前例のないことをやった点でしょうか。

――いずれも大きな業績ですし、漫画ファンの活動としても先駆的です。

岡本:「関東水木会」設立のきっかけになった『水木しげる叢書』第1期全10巻を出したことも重要です。これがなければ、今の京極夏彦先生はなかったと断言していいでしょう。また、水木先生自身が発行されていたことを知らなかった貸本長編作品『恐怖の遊星魔人』(暁星出版)を発見して、復刻したことも偉業だと思います。

――そういえば、1980年~90年代は神保町の中野書店などを筆頭に、漫画古書界隈で絶版古書の“復刻”がブームでしたよね。

岡本:水木先生の主要な作品は、1986年から88年の“第3次鬼太郎ブーム”の時に矢継ぎ早に単行本化されていました。その後、伊藤さんが水木先生の作品の復刻を手がけた1990年は、画業40周年という節目の年だったのです。講談社と朝日ソノラマが競うように出していた短編集も既に絶版となっており、平成アニメ版の『悪魔くん』の放送が終了した直後という、ある意味では空白期間ともいえる年でした。こんな時期に復刻をやるなら、これまで一度も復刻されてない作品をやろうという、伊藤さんのサービス精神の表れだったのではないかと思います。

――『恐怖の遊星魔人』の発見と復刻を伊藤さんが担ったことは、ファン活動の域を完全に超えていると思います。

岡本:ただ、伊藤さんの復刻では、一部のページが上下逆になっているという、貸本オリジナル版の製本ミスに気付かなかったのは痛かったですね(笑)。

こちらの『もののけ通信』第3号は「ガロ」などで活躍した鈴木翁二が表紙を担当。漫画古書ファンなら共感できると思うが、とにかく人選が素晴らしい。写真提供=福井宏明
インタビュー内で語られていた、1983年に江崎グリコから発行されたフーセンガム『ギャグメイト』『ギャグシー』の販促カタログ『水木しげるの妖怪学校』。現在は講談社『水木しげる漫画大全集』に収録されているが、籠目舎が先駆けて復刻を手掛けている。大手出版社が手掛けるようなレベルの復刻を、個人のファンが行っていたのだ。写真提供=福井宏明
『水木しげるの妖怪学校』は、「籠目舎から復刻されたものは、伊藤さんが識別の目的で意図的に“版ズレ”させているんですよ」と、岡本氏。「『一つ目小僧ケシゴム』の左側の白い線が一番わかりやすい“版ズレ”です。オリジナル版を持っている人が見たら、一発でわかります。伊藤さんは印刷会社の勤務経験があるので、編集のスキルを持っているんですよ」。写真提供=福井宏明
1992年11月に青林堂から刊行された『復刻版妖奇伝』第2版には、岡本氏が籠目舎の一員として編集で協力した。初版は箱帯の文字が白色だが、上巻巻末の「鬼太郎作品リスト」の誤記などを修正した第2版は、文字が青色である。『妖奇伝』は鬼太郎シリーズの第一作。写真提供=福井宏明
『恐怖の遊星魔人』は1993年に籠目舎から限定復刻されたのを皮切りに、現時点で計4度復刻されている。これは 2010 年に小学館クリエイティブから復刻されたもの。「2015年2月に鳥取県米子市で行われた『第2回バオーンの夕べ』に来られた方なら特にご存知かとは思いますが、貸本オリジナル版の製本ミスは、2015 年4月発売の講談社『水木しげる漫画大全集』版でようやく修正されたんですよ」と、岡本氏。

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