『オッペンハイマー』原作を読む【前編】 核分裂:クリストファー・ノーランが挑んだ「究極のフィクション」

『オッペンハイマー』原作を読む【前編】

己が産みし、自分の写し鏡への恐怖

 さて、ノーランの「なぜ」に対する答えは見えた。素質に知的欲求と性衝動が結びついた「抑えがたい欲求」に突き動かされ、オッペンハイマーはマンハッタン計画を遂行したのだ。さらにこのマンハッタン計画は、オッペンハイマーにとって「青春のやり直し」であったと見えることにも触れておきたい。

 原爆の開発をミッションとするマンハッタン計画が遂行されたのは、オッペンハイマーが愛する地、ニューメキシコだ。かねてより「ニューメキシコと物理学が一緒になればいいのに」と話していたオッペンハイマーは、それをそのまま実行に移す。愛する地に街を作り、敬愛する科学者たちを招き、愛する人も招き共に暮らす。鬱屈とした青春時代を過ごしたオッペンハイマーにとって、これは理想の青春の具現化であった。

 原作にも記されている通り、ここでのオッペンハイマーは非常にイキイキとしている。「彼はパーティが大好きで、女性には大人気だった」と当時を振り返りドロシー・マッキンビンは話す。ちなみに、そのパーティの名は「来たれ! 抑圧された欲望よ」であった。マンハッタン計画を描いた映画『シャドー・メーカーズ』(1989年)では、計画の責任者のグローヴス将軍(ポール・ニューマン)とオッペンハイマー(ドワイト・シュルツ)がダンスを踊るなんていう衝撃のシーンがあるのだが、これは意外にも事実に即したものだ。映画『オッペンハイマー』では乱痴気騒ぎこそ描かれないものの、どことなく青春映画の香りが漂っている。ロスアラモスを去ろうとするテラーとのやり取りや、科学者たちの関係性は、不完全な若者たちがハイスクールで織りなす群像劇と似て見えないだろうか。

 だが、全ての青春には終わりが来る。友情や性への欲求に遊ぶティーンたちも、いずれは現実の世界へと放り出されるのだ。それはマンハッタン計画も同様である。オッペンハイマーの欲求はトリニティ実験の爆炎と共に世界へと顕現する。原爆の誕生だ。どうしようもなく抑えがたい衝動に突き動かされていたオッペンハイマーは、そこでこの兵器がもたらす圧倒的な危険性を目の当たりにする。

 計画のグループリーダーを務めたロバート・ラスバン・ウィルソンは思い出す。トリニティ実験の成功後「彼は非常に気分がめいっていくようだった」。原爆を開発したことへの後悔、恐れ、使用されることへの慚愧の念。これまで欲求に蓋をされていたそれらが噴出し、オッペンハイマーを覆ったのだ。これは「オッペンハイマーは原爆を作ったことを後悔していました」などというヒューマニズムではない。より俗な……性交後憂鬱(俗に言う賢者タイム)に近しいものであるだろう。青春が終わり、欲求により産まれた現実に苛まれる。その点において『オッペンハイマー』は『イレイザーヘッド』(1977年)や『死神ランボー 皆殺しの戦場』(1984年)に類する、己が産みし、自分の写し鏡への恐怖を描いたものだ。

 オッペンハイマーの明晰な頭脳には、原爆が使用された後の像が浮かぶ。映画『オッペンハイマー』にて、国民たちが歓喜に沸く中、オッペンハイマーは幻視する。爆風と共に皮膚が剥がれ燃えゆく人体、そしてその残骸を。「原爆の父」はたしかに恐れを覚えていた。それは自らが開発した「罪」に対してのみならず、その結果をもたらした己の欲求に対するものではなかったか。

「“我”は死なり、世界の破壊者なり」

※本文中の史実や証言に基づく箇所はすべて「オッペンハイマー 上 異才」「オッペンハイマー 中 原爆」「オッペンハイマー 下 贖罪」(早川ノンフィクション文庫)より引用しております。



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