『小説版 ゴジラ-1.0』にあふれる山崎貴監督テイスト 独特の文体を精読して見えてきたものとは?

■早くもサブスク解禁の『ゴジラ-1.0』

山崎貴『小説版 ゴジラ-1.0』(集英社)

 今やアカデミー賞監督となった山崎貴だが、この監督は「自分でノベライズ版を書く」という芸を持つ人でもある。監督デビュー作である『ジュブナイル』はもとより、『鎌倉ものがたり』や『ドラえもん』、『ドラゴンクエスト』のような原作が他に存在する作品でも、映画のノベライズ版は山崎監督が担当。忙しいだろうに、いつノベライズ版まで書いてるんだろう……と不思議になるくらい、律儀に自作の小説を執筆している。『小説版 ゴジラ-1.0』も、それに連なる作品である。

 「そうは言っても、言うて山崎監督は名義貸ししてるだけで、実際はゴーストライターが書いてるんじゃないの……」といったことが話題になることがある。が、自分が推測する限り、おそらく山崎監督はマジで自らノベライズ版を書いている。というのも、山崎監督作品に共通する特徴が、ノベライズ版にもはみ出しているのである。

  以前より、山崎監督作品には「何でもかんでもセリフで説明してしまう」という傾向があった。悲しい時には悲しそうなセリフを大声で言っちゃうし、嬉しい時には嬉しそうなセリフをこれまた特段捻らずに言わせてしまう。見てりゃわかるよ、と言いたくなるような状況でも、役者にセリフを喋らせずにはいられない。観客を信用していないのかな……と思いたくなるが、ボヤッと見ていてもストーリーがわかりやすいのは確かである。

  そんな喋りすぎ、言葉で説明しすぎという山崎作品の特徴が、『ゴジラ-1.0』のノベライズ版にも見事に染み出している。というのもこの小説、行間というものがほぼなく、想像の余地が皆無なのである。

  ちょっとわかりやすい場面を引用してみたい。映画を見た人ならば印象に残っているであろう、復員してきた主人公の敷島が実家にたどり着いたところで、安藤サクラ演じる太田澄子になじられる場面である。

「太田の姉さん!」
「あんた、特攻に行ったんじゃ…」
 敷島が特攻隊に選ばれたことは知れ渡っているようだった。
「……」
「違うのかい?」
 それに対する敷島の表情で、何が起きたのかを澄子は一瞬で理解してしまったようだった。
「平気な顔して帰ってきたのか。この恥知らず」
「……」
 どうやら特攻を卑怯な方法で回避したらしいこと……それが澄子が持っていた、どこにも持っていきようがなかったどす黒い感情に火をつけてしまったらしかった。呪詛のように澄子は言葉を……負け戦から帰ってきた兵士には一番つらい言葉を次々と投げつけた。
「あんた達兵隊がふぬけなせいでこの有様だよ。あんたらさえしっかりしてれば、うちの子達も死なずにすんだんだ」

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