『オッペンハイマー』原作を読む【前編】 核分裂:クリストファー・ノーランが挑んだ「究極のフィクション」

『オッペンハイマー』原作を読む【前編】

ノーランがセックスシーンを描いた理由

 映画『オッペンハイマー』において、ノーランはキャリア初の試みを行った。それはセックスを描くことだ。これまで性描写を作品に持ち込まなかったノーランだが、本作ではそれが大きくフィーチャーされている。オッペンハイマー(キリアン・マーフィ)と恋人ジーン・タトロック(フローレンス・ピュー)によるセックスは、肌を伝う汗が光を滑らかに反射し、ジットリとした肉感をフィルムに焼き付ける、なんとも艶めかしく生々しいものだ。

 このシーンのため『オッペンハイマー』は本国でR指定となり、またヌードに厳しいインドや中東では修正版が上映されることになる。はたしてこのシーンは必要なのか? かような議論も交わされた。だがしかし、それでもこのシーンはノーランにとって必要であったのだろう。考えてほしい、本質的に性生活とはプライベート極まりないものだ。オッペンハイマーとジーンが恋愛関係にあったことは史実に残っていても、その性生活の詳細はどこにも記録されていない。されているはずがない。つまり、このセックスシーンこそが「メタ・“ノン”フィクション」である『オッペンハイマー』における「究極のフィクション」なのだ。

 行為の最中にジーンはヒンドゥー教の聖典『バガバット・ギーター』を広げ、その一節をオッペンハイマーに朗読させる。

「我は死なり、世界の破壊者なり」

 この言葉と共に、みなさんの脳裏には何が浮かぶだろうか。言うまでもない。人類史上最大の爆発と、轟々と立ちのぼるキノコ雲のはずだ。オッペンハイマーを象徴するこの言葉を、セックス、そしてそれに連なるオーガズムの渦中で発させたこの瞬間が、この「究極のフィクション」こそが、ノーランの問いの辿り着いた答えである。オーガズムと核爆発のオーバーラップ……あまりにフロイト的で、なんだか馬鹿げたものに思えてくるかもしれない。だがしかし原作を紐解くと、そこにはセックスと核爆発と死を等号で結ぶことについて、頷くに足るだけの要素が揃っていることが分かる。

 オッペンハイマーの青春時代は鬱屈としたものだった。ハーバード大学に在学中の彼の姿は「安心できる自分の知性の殻へ逃げ込んだ」と評される。当時のユダヤ人への不寛容さもその傾向に拍車をかけたのだろう。オッペンハイマーは鬱病に襲われ不安定な時期を過ごすことになる。かつての恩師ハーバード・スミスと頻繁にやり取りしていた手紙に記されていたオッペンハイマー自作の詩は、その多くが悲しみと孤独を題材にしたものであった。その中において特に印象的なものがある。「汗は彼女の腿を包み/妖しい輝きは/わたしの胸を高鳴らせ/レイプの欲望を許している」。学問で知的好奇心を満たしながらも、若い肉体に滾る狂わんばかりのリビドー(性衝動)に引き裂かれそうになっている天才の姿が、ここからは容易に見て取れるはずだ。

 ハーバード大学を卒業後、オッペンハイマーはケンブリッジ大学へと足を進めた。友人のフランシス・ファーガソンは当時をこのように回想している。「二十一歳になったロバートが、未だに性生活面では、まったくどうしたらいいか分からないで困っている」。成長と遂げる頭脳と、未発達な社会性の乖離により、オッペンハイマーは精神の均衡を失ってゆく。自身で「とても苦しい日々を送っています」と打ち明けたケンブリッジでの生活は、オッペンハイマーの苦悩を他者への加害という形で爆発させた。ひとつは、指導教官だったパトリック・ブラケットの机の上に毒を注入したリンゴを置いた事件。もうひとつは、友人ファーガソンが恋人を紹介した瞬間、激昂したオッペンハイマーが彼の首を絞めた事件だ。後者においては、当時のオッペンハイマーの心中に渦巻く女性に対するコンプレックスがありありと表れている。

 オッペンハイマーは青年期に二つの致死的な事件を引き起こした。この背景には、少年期から顕在化されていた「死の衝動(タナトス)」の影が見え隠れする。鉱物を愛する内気な少年だったオッペンハイマーは、時として自分と他人の命を危機にさらすことがあった。ボートで夏の嵐の中を幾度となく航海したのだ。この理由については「風と海を制御する絶対的な自信」と「深く染みついた傲慢さ」、そして「面白半分に危険に手を出したいという抑えがたい衝動」と評されている。三つ子の魂百まで。まさしく、人類を絶滅に導きかねない最も危険なガジェットの開発に向かう姿そのものだ。これらの素質が青年期に発散されないリビドーと深く結びつき、性衝動と知的欲求が分かちがたい複雑形を形成し、オッペンハイマーの心中に棲みついたのではないだろうか。

 この解釈を裏付けるかのように、ノーランはオッペンハイマーの脳内で紡がれる原子の像を映像化したことに対し、このように話している。「彼は人生の早い段階で多くの神経症と問題を抱えていた。これらの抽象的な概念を融合させ、彼の中にある精神エネルギーを示し、どのように(量子力学を)習得するかを示したいと考えたんだ。劇中の原子や核分裂のイメージは、全て彼の若いころの内面の状態に直結したものだ。オッペンハイマーの心の中には危険な緊張がたくさんある」。オッペンハイマーの内奥に巣食うエロスとタナトスの衝動は、ノーランにより「原子の幻視」として映像化された。それが劇中の現実世界においては、オーガズム(エロス)と核爆発(タナトス)のオーバーラップとして同様に描かれているのだ。

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