「日本一の校閲集団」新潮社校閲部の矜持とは? 『くらべて、けみして 校閲部の九重さん』対談
著者のこいしゆうか氏と新潮社校閲部の丸山有美子氏に、本作誕生のきっかけや校閲という仕事の奥深さについて話を聞くとともに、校閲部の模様も取材させてもらった。(編集部)
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校閲は正しさだけを追求する仕事じゃない
丸山:新潮社校閲部を舞台にマンガが描かれると聞いて、最初、部内がざわついたんです。ネタになるような出来事なんて一つも起きない地味な仕事だし、一日中、微動だにせず仕事をしている人もいれば、そういえばもう何日も声を聞いていないなって人もいる。絶対に無理だ、と。それが、できあがったマンガを読んでみたら、とてもおもしろくて。
こいし:よかった……!
丸山:ふだん、同僚がどんなふうに仕事を進めているのか聞く機会がないので、興味深くもありました。当たり前ですけど、それぞれにスタイルがあるんですよね。メモのとりかた一つとっても、クセがありますし、アプローチの仕方もまるで違う。作中にもありますが、担当する作品にどこまで入り込むか、その線引きも人によって異なります。それでも基本的には「のめりこんではいけない」というスタンスを共有していると思っていたので、「もっとのめりこんでいい」と矢彦さん(※)が言っている場面などは、新鮮に感じました。
※新潮社校閲部の元部長で、有名作家から指名を受けるほどの名物校閲者。校閲者では作中で唯一、実名で登場している。
こいし:私も、取材しはじめたころに「のめりこんではいけない」というお話を聞いていたので、そういうものかと思っていたのですが、「のめりこんだからこそ見えるものがあったし、その指摘で作者からも大変褒められた」というお話をしてくださる方がいて。そういうこともあるのか、と思った実感を描きました。新潮社に限らず、広く校閲者の方に取材をしたので、いろんな方のスタンスがマンガには入り混じっていると思います。
丸山:書かれている内容にのめりこむと、誤字があっても気づかず読めてしまうことがあるので、注意しなくてはならないのですが、それとは別に、著者の文体に入り込むということはあります。自分が思う正しい言葉からはズレているけれど、著者の文体のクセを生かすとしたらこのままでよい、ということもあります。必ずしも正しさを求められているわけではない、というのは留意しなくてはならない点ですね。文体をきれいに整えた結果、作者の美点が損なわれてしまっては、本末転倒ですから。
こいし:正しさだけを追求する仕事じゃない、ということがわかって、私も「描けるかもしれない」って思いました。最初に編集者さんから校閲者のマンガを描きませんかと言われたときは、絶対に無理だって思ったんですよ。辞書をたくさん読んで勉強しなくちゃいけないイメージがあったから、私には難しすぎる、って。でもそうじゃない、どんなふうに目の前のゲラ(原稿を本のレイアウト通りに組んだ試し刷り)に向き合うのか、一人ひとりの心の流れや葛藤、仕事に対する矜持を掬いあげていけばいいんだと、取材するうちに気づきました。
丸山:主人公の九重(くじゅう)さんが、後輩に「(校閲の仕事は)最終的には好奇心だと思う」と言う場面がありますよね。2話目でその言葉が出てきたのが、私はすごく嬉しかったんです。世間的には粗探しをしていると思われることも多いけど、九重さんが言うように「文字や人、物事に対して興味を持って考えて調べる」のが私たちの仕事なんだと、こいしさんは理解してくださっているんだな、と。
こいし:そう言っていただけて、私もうれしいです。なんでそのセリフを書いたかは覚えていないけど(笑)。でも、お話を聞いているうちに、そういうことなんだなって私自身が思ったから生まれたセリフだと思います。