天才は、一人で勝手には育たないーー恩田陸『spring』が描き出す、才能のぶつかりあい

恩田陸『spring』が描く、才能のぶつかりあい

〈そう、人間はせいぜい百の春しか訪れないのに、ヤツはその名に一万もの春を持っているのだった。〉

 その一文に、心をつかまれた。物語が始まってまだ2ページ目なのに、先に進むことができず何度も何度もその一文を読んで胸の内で反芻した。恩田陸さんの小説を読んでいると、ときどき、そういう文章に出会うことがある。『spring』(筑摩書房)という小説なのだから、春にまつわる文章が特別なのは当たり前かもしれないけれど、たとえ物語の本筋と関係なくとも、釘付けになって忘れられなくなってしまうこともある。けれどさすがに2ページ目で足踏みしたまま先に進まないのはあまりにもったいない。読み進めていくと今度は、ページを繰る手が止まらなくなる。物語で描かれる天才的な舞踊家にして振付家、〝ヤツ〟こと萬春(よろず・はる)の存在そのものに今度は心をつかまれ、二度と忘れられなくなってしまう。

 本作を構成する「跳ねる」「芽吹く」「湧き出す」「春になる」の四つの章はすべて「spring」を意味している。三章までの語り手は春をよく知る人々で、一章は彼の才能をいちはやく見出したと自負する深津純。ドイツの有名ダンスカンパニーが日本で開催したワークショップで春と出会い、ともに15歳でドイツのバレエ学校に進学。自身もトップダンサーとなった男である。二章は、春がバレエに出会う8歳より前から見守り続け、彼に深い教養を与えるきっかけとなった叔父の稔。そして三章は、ともに十代からバレエを学び、春の才能と共鳴しながら才能を開花させていった作曲家の滝澤七瀬。

 三人のまなざしを通じて描かれる春は、まさにバレエの神様に愛された申し子だ。断っておくが、純も七瀬もじゅうぶん「天才」の部類に入る才能の持ち主である。稔は世界に名を馳せているわけではないけれど、観察眼は鋭く、教養と思慮も並外れて深い。それでも春の並外れた才能を目の当たりにすると、なんてヤツだと冷や汗をかき、戦慄し、気圧されてしまう。でもだからといって、ドロドロとした嫉妬をあらわにしたり、比較して僻んだりすることはない。悔しくなることはあっても、春と出会ったことで生まれる自身の化学反応を心から楽しんでいた。出会えたことを、喜んでいた。そこに、この物語のいちばんの美しさがあるように思う。

 あるとき、ある分野で天才と呼ばれる人に話を聞いたことがある。壁にぶち当たって、落ち込むことはないのか。そういうとき、どんなふうに乗り越えていくのか。――きょとんと、された。質問の意図が本気でわからない様子のその人に、雷に打たれたような衝撃を覚え、そして自分を恥じた。才能のある人ほど、努力している。そんなことは知っていた。知っているつもりだった。でも、違った。

 大事なのは〝自分〟じゃないのだ。たとえば春にとって、純や七瀬にとっても、大事なのはどうすればもっと上手に踊れるか、理想の振り付けができるか、音を生み出せるかだけ。壁にぶち当たったなら、どうすれば超えられるかを考え、挑み続けるしかない。迷っている時間さえもったいないほど、彼らはすべてを捧げている。そのひたむきさが全編に貫かれているから、この小説はどこを切り取っても爽やかで、才能のぶつかりあいにわくわくさせられるのだ。

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