日野日出志の怪奇漫画、なぜ読者を震撼させるのか 作品集発刊で考える、“視覚表現”より恐ろしいもの
「状況」が人を変えることの恐怖
ところで私は、先ほど、日野の漫画が怖いのは、視覚表現がショッキングなせいではなく、“人間の本性”が描かれているからだと書いたが、具体的にいえばそれは、“「状況」が人を変える”ということである。
つまり、「蔵六の奇病」でいえば、私が最も怖いと感じるのは、主人公の体を蝕む「奇病」でも、彼を殺そうとする村人たちでもなく、母親に息子の殺害を黙認させてしまうという「状況」(の変化)なのだ。
あらためていうまでもなく、心の底から信じている人間に見放されることほど、怖いものはないだろう。
一般的に、“母親が子供を守ろうとする気持ち”は強いものだとされている。しかし、それも、自らを取り巻く「状況」によっては変わらざるを得ない場合もある、ということだ。
そのことが、「蔵六の奇病」では暗に描かれているのだと思うし、「水の中」でも、「地獄変」でも、よく読めば、同じように、“「状況」によって愛する息子を裏切った母”たちの姿が描かれているのだ。
いずれにせよ、大きな「状況」の変化の前では、個人の感情は無力だといっていい。「新しい戦前」といわれているいまこそ、日野日出志の怪奇漫画は読まれるべきだろう。