「マンガとゴシック」第7回:日野日出志「蔵六の奇病」と虹色のデカダンス ユイスマンス『腐爛の華』から考える「腐れの美学」

日野日出志選集『地獄の絵草子(蔵六の奇病の巻)』(ひばり書房 1987年)

ギレルモ・デル・トロも惚れた「怪奇と叙情」

 「怪奇マンガ」というジャンルが好きならかなり早い段階で、そしてサブカル領域をそれなりに掘っている人なら遅かれ早かれ出逢うことになるのが、日野日出志の代表作「蔵六の奇病」ではなかろうか。マンガ自体読んでいなくても、ノイズバンド非常階段の「蔵六の奇病」のジャケの元ネタとして、あるいは戸川純の推しマンガ家として、うっすらご存じの人も多いかもしれない。

 日野マンガの登場人物たちの見た目は往々にして、粘土をこねあげて作ったゴーレムのように不気味な丸みや質感を帯びていたり、目玉がギョロリと飛び出していたり、鼻が巨大な肉団子のように膨らんでいたり、餓鬼のように下腹が飛び出ていたりしてグロテスク極まりない。趣味嗜好に関しても異様で、七日間の精進潔斎を経てから美女の死体を食し、ひりだした糞を「まぎれもなくお前だ」とうっとり眺めたのち肥料にして赤い花を咲かす男(「赤い花」)や、顔にできた醜い瘤を義理の娘に踏みつけてもらって、膿をドピュっと出すことに性的な興奮を得ている老人(『赤い蛇』)など、常人には理解しがたいフェティッシュを持ったキャラばかりである。異形と呼ぶべき画風と世界観は、アヴェレージなマンガ読者にとってはなかなか手の届かないエクストリームな域にあると言える。

 とはいえ日野日出志自身が「怪奇と叙情」のマンガ家を名乗っている通り、吐き気を催す「怪奇」描写の向こう側には、往々にして虐げられた者、呪われた者らの醸し出す「叙情」が漂っている。その証拠に、日野マニアの寺井広樹が編集した『日野日出志——泣ける! 怪奇漫画集』(イカロス出版)が2018年に刊行されている。「怪奇なのに泣けるって?」と疑問をお持ちの方は、日野の大ファンがハリウッドの巨匠ギレルモ・デル・トロだと言えば、一発で了解されるだろう。アカデミー賞受賞作『シェイプ・オブ・ウォーター』もグロテスクな半魚人とさえない清掃婦のラブロマンスであり、「醜」に寄せるエモすぎるまでの愛は、ほとんど日野日出志ワールドであった。とにかく、上述の寺井本の巻頭を飾る作品こそが「蔵六の奇病」なのである。

「蔵六の奇病」とは?

 三島由紀夫の熱烈な信者だった日野日出志が23歳の時、1969年から70年にかけて、丸一年かけて描かれた渾身の一作が「蔵六の奇病」であった(僅か40ページの短編であるからこの一年がどれだけ異様な執筆時間であるか分かるだろう)。1967年『COM』に「つめたい汗」でデビューし、それから2年のあいだに『COM』と『ガロ』という当時の二大前衛誌に5本の短編を発表した。しかし本人も認めるように、唯一無二のスタイルをまだ確立できてはおらず、思い悩んでいた。そこで一念発起して「これが認められなけりゃマンガからはスパッと手を引く」と覚悟を決めて取り組んだのが「蔵六の奇病」で、1970年4月28日号の『少年画報』に掲載された。話題を呼び、以後仕事は大量に舞い込んできたというから、本作をもって「ザ・日野日出志スタイル」と言うべきものが確立されたとみていい。

 「蔵六の奇病」は、ある小さな農村共同体に暮らす蔵六という男が主人公である。頭が弱く一日中ぼっとしており、絵ばかり描いているので村の人々からは馬鹿にされ、石を投げつけられいじめられている。虫や小鳥や動物、赤い花や金色のミツバチを愛してやまない心優しい蔵六の願いは、「あらゆる色をつかって」「ほんものそっくりの色で」絵を描いてみたい、只それだけだった。

 村の桜が満開になるころ、蔵六の顔一面にキノコのような七色の吹出物があらわれる。それはやがて全身に転移し、伝染病かもしれないと恐れた村全体の意向もあり、蔵六は不吉とされる「ねむり沼」近くにある、森の中のあばら屋に隔離される。そこに母が毎日食べ物と薬を届けるが、雨が降りしきる時期になると、デキモノから七色の膿が流れ出し、下腹部は餓鬼のように醜く膨らんでいく【図1】。

図1 『蔵六の奇病』(少年画報社、1971年)

 蔵六は何度も痛みで気絶しながらも、小刀で全身の膿を絞り出して七色の絵の具にし、夢中になって絵を描き続けた。部屋の中は血と膿でベトベトである。やがて夏になると体中に蛆虫が湧き始め、風の強い日にはその悪臭が村の方まで届くようになった。家族が村八分されないように、長男の太郎は二度と蔵六に会わないように母を諭す。母は泣く泣くそれを誓う。実の母にさえ拒絶され、ショックを受けた蔵六は虫や動物の腐肉を漁るようになり、餓鬼道に堕ちる。

 秋になると目玉が溶けだし、無限の闇が蔵六を包み込む。冬になると膿が耳の穴もふさぐようになる。さらに悪いことに、仮面をつけ竹槍をもった村人たちが、いよいよ蔵六を殺しに来る。しかし既に蔵六の姿はなかった。雪の中を這いずっていく「何か」が、ねむり沼の方へ向かっていく。それは七色の美しい甲羅を輝かせる亀だった。亀は血の涙を流しながら、「ねむり沼」の中に沈んでいく。あばら屋には美しい色で描かれた、夥しい絵だけが残されていた…。

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