歴史学者・小和田泰経が読み解く「三河雑兵心得」シリーズの魅力 「戦国時代の常識が自然と伝わる」
秀吉の「惣無事令」は日本のパラダイムシフト
小和田:最近の展開で面白いと思ったのは、天下をほぼ手中に収めた秀吉が「惣無事令」というのを出したところです。これから先、勝手な戦は慎むようにと。ただ、誰もがそれを積極的に受け入れていたわけじゃないんですよね。もちろん、戦いのない世の中を望んでいた人はいたでしょうけど、まだまだ戦いを続けて立身出世したいという人も、少なからずいた。それこそ伊達政宗とかがそうですけど、乱世が続いたほうが、自分たちにとってはありがたいという立場もあった。そういう感覚は、恐らく「大坂の陣」まで、多くの人たちが持っていたと思うんですよね。だからこそ、大坂城にあれだけの浪人が集まったわけで。本シリーズでは、まだ「関ヶ原の戦い」もやっていないので、そのあたりのことは今後きっちり描かれていくのかもしれないです。そういう時代の変化が、この小説にはちゃんと描かれているように思います。――本シリーズは茂兵衛の一代記であると同時に、時代の変化もきっちり描き出されていて、長編シリーズならではの読み応えがあります。最新刊である「奥州仁義」あたりになると、ちょっと時代の雰囲気が変わってきたようなところがありますよね。
小和田:そうですね。ちょうどこの頃が、日本のパラダイムシフトが起こりかけているときなんですよ。いわゆる「小田原攻め」と「奥州仕置」が終わって、秀吉による日本統一が、ある程度なされた段階であるという。それまではこのシリーズを読んでいてもわかるように、徳川家臣団でも、茂兵衛をはじめ、武功でのし上がってきた人が出世できた。ただ、今回の「奥州仁義」で描かれていたように「奥州仕置」が終わったあとは、家康の家臣団も武功派だけではなく、むしろ行政に秀でているような人たちが徐々に取り立てられるようになってくる。本多正信はもちろん、その息子の正純、あとは大久保忠世の息子の大久保忠隣……それに大久保長安とか。今で言う「官僚」みたいな人たちが出世していく世の中にだんだん変わっていくんですよね。
――家康の側近も、いつの間にか入れ替わっていますもんね。茂兵衛の恩人である本多忠勝の出番も減っていって……。
小和田:それがちょうどこの「奥州仕置」のあたりなんですよ。いわゆる「徳川四天王」にしても、酒井忠次はもう引退しているし、榊原康政にしても本多忠勝にしても井伊直政にしても、だんだん活躍の場がなくなってきている。というか、家康も、もう側には置いてないじゃないですか。みんな城持ち大名になって……しかも、家康の近くではなく、領国の端のほうに追いやられている。まあ、それは敵の侵入を防ぐという意味で重要な役割ではあるんですけど、それと同時に、もはや家康の側にいる必要がないということでもあるわけで。
それは秀吉のまわりも同じですよね。石田三成とかの存在が大きくなっていくのはこの頃からなので。秀吉にとっても、いわゆる「吏僚派」と呼ばれる人たちのほうが「武功派」の人たちよりも大事になってくる。武功だけでは、もうダメなんですよ。歴史的に見ても「奥州仕置」が終わったあとは「関ヶ原の戦い」と「大坂の陣」しかない。その前に「唐入り」がありますけど、家康はほとんど何もしてないというか、家康の家臣団は江戸城を修復したりとか、伏見城の築城工事に駆り出されたりとか、そんなことぐらいしかしてない。だから、茂兵衛もうかうかしていられないですよね(笑)。
――茂兵衛も気がつけば40代半ばですし、これから何か新しいことを始めるにしても……。
小和田:武功ではなく、むしろ行政のほうで能力を発揮したほうがいいのかもしれない。それこそ、伊奈忠次のように。まあ、いずれにせよ、得意分野を広げていかないと、これからの時代、なかなか生き残っていけないですよね。四天王ですら、活躍の場がなくなっているわけですから。
――そういう意味で、物語的には結構重要な局面に差し掛かっているのかもしれないですよね。
小和田:そうですね。もはや、槍働きで出世する時代じゃなくなっていますから。ただ、茂兵衛の場合、最近家康の「使者」みたいなことを、ちょこちょこやるようになっているじゃないですか。敵の城に乗り込んで、講和の交渉をするみたいな。「使者」というのは実はかなり大事な役割なんですけれど、必ずしも頭が切れる人がいいわけではないんですよね。頭が切れすぎると、「何か騙そうとしているんじゃないか?」って相手に勘ぐられてしまったり……。
――それこそ、黒田官兵衛のように、使者として乗り込んだ先で、そのまま幽閉されてしまうみたいなこともあったわけで。
小和田:そうそう(笑)。頭が切れすぎても困るというか、いろんなタイプの使者がいたんだと思うんですよね。いわゆる「調略」というか、相手をだまくらかすタイプの使者もいたでしょうし、実直な人間性で相手の信頼を勝ち取るような使者もいたでしょう。あと、家康の場合、ものすごく手紙を書くじゃないですか。関ケ原のときなんて、170通ぐらい書状を書いていて……それを相手に届ける人っていうのも、間違いなくいたはずなんですよね。
昔の人たちの人間ドラマを知ることは、今を生きる日本人にも役立つ
――今後、茂兵衛は、どのあたりに自らの活路を見出していくのか。そのへんも気になるところですが、最後に少し、小和田さん自身のことも聞かせてください。最初のほうの話で「歴史というのは、わからないことのほうが多い」とおっしゃっていましたが、それでも小和田さんが歴史研究を続けている理由は、どのあたりにあるのでしょう?
小和田:研究者によってそれぞれ違うと思うんですけど、僕の場合はやっぱり「真実」が知りたいってことですよね。もちろん、それがわからない場合の方が多いんですけど(笑)。ただ、僕の場合、もうひとつ理由があって……最近『武士目線で語られる日本の城』(日本能率協会マネジメントセンター)という本を出したのですが、当時の人たちが「どういうふうに理解していたのか」を知りたいんです。今の価値観ではなく、当時の人たちが、どのような価値観のもと、どういうふうに物事を見ながら生きていたのか。そこはやっぱり、すごく気になるところです。
たとえば、姫路城は現代人からすると「すごく立派だな。綺麗だな」と思うけれど、当時の人たちは別にそうは思ってなかったはずです。当時の人たちは、あそこに籠もって最後まで戦うつもりでしたから。そのへんの意気込みやそもそもの覚悟が、今とは全然違うわけです。そういうものを疑似体験するのは、現代を生きる人たちにとっても、すごく良いことだと思うんです。
――というと?
小和田:本来、歴史というのは、単に過去のことを知るだけではなく、それを知った上で、それが現代にどう活きるかを考えて、さらにその先の未来の展望を知るために学ぶものじゃないですか。だから、歴史を知らなかったら現代もわからないし、未来もわからない。たとえ時代が変わろうとも、いわゆる「人間性」みたいなものは、今とそんなに変わらないわけで。その価値観が多少変わったとしても、その本質みたいなものは、いつの時代も変わらないじゃないですか。そういう意味で、昔の人たちの人間ドラマを知ることは、今を生きる日本人にも役立つと思うし、将来の日本の人たちにとっても役立つんじゃないかと思うんです。
――この「三河雑兵心得」シリーズにも描かれていますけど、いわゆる出自による差別であったり、出世をめぐる妬みや嫉みは、今の時代も変わらずありますね。
小和田:今の社会においても、普通に起きていることですよね。ただ、繰り返しになりますけど、実際のところ、その当時の人がどう思っていたのかは、史実だけではやっぱりわからないわけです(笑)。たとえば、家康が信長のことをどう思っていたのか――今回の大河ドラマでは、家康が信長を殺そうとしていましたけど、実際どんなふうに思っていたのかは、やっぱりわからないじゃないですか。
――人の「本心」なんてものは、今の時代もよくわからないですからね……。
小和田:そう。何をどう捉えるかによって違うというか、それこそ描かれ方によっても、全然違うわけです。大河ドラマにしたって、それぞれの作品で、家康なり秀吉なりの描かれ方が全然違うじゃないですか。それによって、観るほうの捉え方もまた違ってくる。学術的に見ても、家康がどんな人だったかなんて結論は出ないです。やったことのひとつひとつに対しては、学術的に言えることがあっても、全体としてどういうつもりでやっていたのかは知ることができない。
――もはや「学問」の範疇ではないというか、歴史研究者が考えることではないのかもしれないですよね。
小和田:そうですね。先ほど言ったように、歴史研究者が扱うのは「事実」だけなんです。何かを思ったとしても、それはあくまでも「推測」に過ぎない。ただ、だからこそ僕はいろんな考え方があっていいと思うんです。そういうものをたくさん知って、「自分の歴史観」をそれぞれが持てばいい。そういう意味で、「三河雑兵心得」シリーズのような小説を読むことは、すごく大事なことだと僕は思います。