”マイナー”精神を失わないままに”メジャー”で活躍する数少ない鬼才、古屋兎丸の自伝的作品「1985年のソドム」
「1985年」は、日本のロック史を語るうえで、それなりに重要な意味を持った1年であったといえるだろう。
たとえば、同年4月28日の正午頃、新宿アルタ前広場では、1000人を越えるパンクスがひしめき合っていた。その日、「ばらまく」と告知されていたラフィン・ノーズのソノシートを求めて、数多くのファンがアルタ前広場に集まっていたのだ(じっさいにその場でソノシートがばらまかれることはなく、混乱を避けるため、メンバーの誘導でファンの多くは当時西新宿にあった「新宿ロフト」に移動、バンドは入れ替え制のライブを2回行った)。
また、8月18日には、それをさらに上回る8000人のロックキッズが同じ場所に集結した。この日おこなわれたのは、雑誌「宝島」が立ち上げたインディーズレーベル「キャプテン・レコード」の発足記念のストリートライブだった。出演したのは、ウイラード、有頂天、コブラ、ガスタンク、パパイヤ・パラノイアなど。
おそらくこの時、70年代末の「東京ロッカーズ」を起点とする「インディーズブーム」は、1つのピークに達したといえるのではないだろうか。別のいい方をすれば、その後、「インディーズブーム」は「バンドブーム」と名を変え、良くも悪くも巨大な資本主義経済の波に呑み込まれていくことになるわけだが、いずれにせよ、前述の2つのイベントが新宿の中心で行われた「1985年」の段階では、インディペンデントのバンドが持っている“カウンターカルチャーの力”は失われていなかったといっていいだろう。
なお、改めて説明するまでもないことかもしれないが、「インディーズ」とは、メジャーなレコード会社や芸能事務所とは契約せずに、独立(自立)した活動を行うアンダーグラウンドのバンドのことである。