G.I.S.M.のバイオレンスは“パフォーマンス”だった? 安田潤司監督 × ISHIYA『パンクス 青の時代』対談

安田監督 × ISHIYA『パンクス 青の時代』

 1983年に製作された日本のパンクドキュメンタリー映画『ちょっとの雨ならがまん』の安田潤司監督による自伝的エッセイ『パンクス 青の時代 『ちょっとの雨ならがまん』1980年代パンクシーンの記憶と記録』(DU BOOKS)が、2月7日に刊行された。ハードコアパンクとの出会い、石井聰亙(現・岳龍)監督『狂い咲きサンダーロード』の衝撃、スターリン、INU、G.I.S.M.、ハナタラシ、頭脳警察といった伝説的バンドとの交流や知られざるエピソードが、当時のムーヴメントを間近で見ていた安田監督ならではのリアルな筆致で描かれた貴重な一冊だ。本書の刊行を記念して『ISHIYA私観 ジャパニーズ・ハードコア30年史』(blueprint)などの著者であるFORWARD/DEATH SIDEのISHIYAとの対談を行った。

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安田「演出なのか本当なのかのギリギリのところが面白くて」

安田潤司

ISHIYA:安田監督は映像のプロの方じゃないですか。なんで今回、本を出すことになったんですか?

安田:もともとライターとして文筆業は結構やっていたんですよ。師匠(桜井章一)の関係で麻雀の本とか漫画の原作とか。今回の本は去年のGWくらいから書き始めて。

ISHIYA:横山さん(G.I.S.M. 横山SAKEVI)が亡くなってからですか。

安田:もちろんその影響もあります。横山に限らず、一緒に映像をやっていた大坪(草次郎)が亡くなったのも大きかった。コロナでバンドマンもいっぱい死んだじゃないですか。横山は同い年だし、近い年の仲間や後輩が沢山死んでいったので、自分もいつ死ぬかわからないなと。当時のシーンで自分しか知らないこともあるし、それはシーンの歴史としても重要なことだったりするから、ちゃんと残しておかなければと思って。

ISHIYA:そうやって自分を客観的に見れていたということですね。俺はまったくそんなこと思わなかったから、さすがだな。

安田:それは、ISHIYAは当事者だからね。

ISHIYA:安田監督も当事者みたいなものじゃないですか(笑)。

安田:それはそうだけど、俺はある一定の距離を保ちながらシーンの中にいる観察者だったから。もちろん撮影の時は心臓バクバクだし、ヤバいなと思っていたけれど(笑)。

ISHIYA:ライブで「あの人、いつも後ろで撮ってるけど大丈夫なのかな?」と思ってましたよ。

安田:大丈夫じゃないこともたくさんあったけど(笑)。G.I.S.M.とか横山について世の中で伝説的に語られていることって、いっぱいあるじゃないですか。そこにはあまり興味がなくて、G.I.S.M.はパフォーマンスアートの中に暴力が含まれていて、それがちゃんと演出の一部になっているんだけど、それが演出なのか本当なのかのギリギリのところが面白くて。

ISHIYA:俺は普通に客として行っていたから、パフォーマンスかどうかなんてわからなくて、「いや、あんた本当に怒っているだけでしょ」って恐れていました(笑)。

安田:結果として、本人にも境目なんてわからなかったと思う。でも、アートでも何でもないただのバイオレンスに興味はないし、書き残すことでもない。だから、そういう部分に興味がある人が多いのはわかるけれど、この本ではパフォーマンスの範疇でのG.I.S.M.にフォーカスを当てたから、それ以外のところは思い切り割愛しています。

ISHIYA:でも、そのギリギリのところがG.I.S.M.の際立った部分でもあって。自ら「ANARCHY & VIOLENCE」なんて謳って世界に出ているんだから。本人にもそれについて聞いたことがあるけど、話が長くなって内容がよくわからなかった(笑)。ひとつ話をふると、だいたい1時間くらい話すから。

安田:それが面白かったよね。少し違うのは、ISHIYAのようにパンクの仲間という関係性じゃなくて、自分は彼をアーティストとして見ていたし、単純に違うジャンルの表現者と話すという感じだったことかな。

ISHIYA:その感覚がちゃんと表に出ていたと思う。本のタイトルにもなったショートムービー「パンクス 青の時代」も、「BOOTLEG1986カスバーナーパニック」(G.I.S.M.の2本目のオフィシャルビデオ。横山SAKEVIがライブ中、ガスバーナーで観客たちを追い回した際の記録映像)の後かな、あのシリーズのビデオの中にちょっと入っていて、これはおもしれーなと。あれで初めてThe Velvet Undergroundを聴いて、レコードを買ったり。ルー・リードについても調べて、「なんだよ、ただのイカれオヤジじゃねーか!」って(笑)。

安田:この本もそうだけれど、自分の映像とかが新たなカルチャーを知る入口になれたらいいなと。Xで「横山SAKEVIがそういう人だとは全く知らなくて面白かった。僕らみたいなティーンエイジャーが読むべき本だと思う」みたいなつぶやきがあって、そういうのが一番嬉しいよね。今は俺らの時代と違ってネットがあるから、知りたいと思えばかなりのところまで掘れるでしょ。

ISHIYA:でも、この本に書かれているのはいくら調べても出てこない話ばかり。俺でさえ「ああ、なるほど!」と唸らされた。俺はツアー中に「大阪エッグプラント ラストライブ」を観に行ったんだけど、あの事件の相手も全員仲のいいやつらだったから、横山さんと逆の視点から見ていたんですよ。あの後にライブから暴力性がなくなったのは、単にあそこで横山さんがやられちゃったからかなと思ったんだけど、その真相が書いてあるじゃないですか。

安田:「パフォーマンス、どうだった?」って聞かれて。

ISHIYA:あれは衝撃だった。どこまでが……って。

安田:横山的にはあくまでパフォーマンスなんだよね。あいつは作って何かを言うやつじゃなくて、びっくりするほどピュアで嘘がつけない。ISHIYAも知っていると思うけど。

ISHIYA:ちょっとは嘘をつけよ、と思っちゃうくらい(笑)。

安田:仲間の嘘も許さないからね(笑)。その彼が病院から出てきて、頭を12針縫う血だらけの状況で言われたから、「ああ、本当にパフォーマンスと思ってるんだな」と。

ISHIYA「本当にやろうとした人間が、あの時代のあのシーンにいたということが驚異的」

ISHIYA

ISHIYA:俺は横山さんが一発でノされた瞬間に、「ああ、時代が変わったな」と思ったんですよ。世代交代を目の当たりにした感じなのに、横山さんは気絶しながらもずっと睨んでいて。「コワッ」って思いましたよ。

安田:倒れた瞬間に頭を打って、何も覚えていないって。

ISHIYA:その後、東京でもいろいろあったけど、納得がいかないことにはトコトンな人だった。

安田:そういう話は死ぬほどあるんだけれど、冒頭に言った理由で割愛していて。

ISHIYA:とにかく、G.I.S.M.のことを書けるのは安田監督だと思っていたんですよ。横山さんが死んで枷がなくなったというか、結果としてうるさいことを言われなくなった中で、それでもアーティストとしての姿にフォーカスしているのが、俺の本とは違いますよね。俺のはスキャンダラスな話ばかりだから(笑)。

安田:この本にも書いてるんだけれど、「当時、現場にいた」という話をよく聞くわけ。映画を観に来た人が話しかけてくれて、「法政大にてピンスポで照明を当ててました!」と言われたり。その中でそれぞれのG.I.S.M.があったり、ハナタラシがあったりして、それは全く同じものを共有しているのに、全く別アングルの別の話になっている。この本とISHIYAの本には共通のエピソードも出てくるけれど、体験としてはまた別の話で、それがすごく面白いなと。

ISHIYA:法政の時の記録がないじゃないですか。G.I.S.M.の歴史の中でもメインに近い事件で、安田監督も絶対に現場にいてカメラが回っているはずのに、なんで出てこないんだよと思っていたのが、その理由も書いてあって。真相が記憶喪失だなんて(笑)、横山さんが「これは出すな」って言ったのかと思ってましたよ。

安田:横山はね、わりとそういうのはないんですよ。それこそ「ガスバーナーパニック」だってもともと出すつもりはなくて、ワンカメ・ワンカットで単純に記録用として撮っていた映像を見せたら、「面白いじゃん、出そうよ」って。そこに対しては客観的なんじゃないかな。

ISHIYA:あと、ハナタラシが楽屋に時限爆弾を持ち込んで「出演者が爆弾を持ち込んだため」ってアナウンスが流れた話がゲラゲラ笑った(笑)。その噂は聞いてはいたけれど臨場感がバリバリで。

安田:場所によっては大事件になり得たことだし、「テロ行為が未然に防がれた」という話だから、考えようによっては警察介入事案じゃないですか。それを自分だけの視点で書くのは時代的にもどうなんだと考えたけれど、40年経っているから時効だし、パフォーマンスアートとして考えた時にその爆弾がどの程度のものかわからないから、書いてもいいかなと。何にせよ、あの事件は時代を表しているよね。

ISHIYA:ライブハウスで普通に火を焚いていたり、なんでもありでしたからね。俺はその時、現場に行かなかったんですよ。爆弾を持ち込むという噂は聞いていて、「そんなもん行くわけねぇだろバカ!」って(笑)。

安田:その場では「本当にやるんだろうな」と思っていたからね。横山が「何かあったら鼓膜が危ないから、耳を塞いで物陰に隠れろ」って指示してくれて(笑)。巻頭カラーにハナタラシの竹谷(郁夫)さんからの手紙が載っているんだけれど、そこに「絶対やってはいけないことをしてやろうと計画する。それが今回のハナタラシです」と書いてある。

ISHIYA:それを本当にやろうとした人間が、あの時代のあのシーンにいたということが驚異的だというか。いまはそんな人、出てこないでしょ? 爆弾を持ってくるやつとか、ガスバーナーを持って追いかけ回すやつとか。

安田:G.I.S.M.の方がバイオレンスやファッションを含めて、スタイリッシュだったじゃないですか。例えばクラブチッタの客席に松明を並べたこともそうだけど、パフォーマンスとしてデザインされていたというか。

ISHIYA:中野公会堂の戦場みたいな演出とかも。

安田:そうそう。G.I.S.M.はハードコアでありながら、エンターテインメントとしてテーマパークばりのことをやっていて。

ISHIYA:そのあたりが凄くなったのは、活動停止したあとからですよね。中野公会堂の前は映像まで使って演出することはなかった。休んでいる間に考えたんだろうなと。

安田:当時はビデオがないから、ライブの背景映像もフィルムの映写機で流したんだよね。手間がかかっていて。その点、ハナタラシの場合は本当にただ性急に破壊行動とノイズというものを突き詰めていって、最終的には「自分が死んで、みんなも殺す」というゴールに向かっていった。イカれているけれど、ある意味では純粋だったと思う。山塚(アイ)本人に会うと、全然普通なんだけど。

ISHIYA:MV撮影中に止めに入られた時のエピソードも面白かったなあ。

安田:基本的にゲリラ撮影だったから、問題も多くて。今はスマホで撮影できるから、街中を歩いている人も気づかないことが多いと思うけれど、当時は大きなカメラを持っていたから、それだけで目立ってしまって。

ISHIYA:スマホの撮影だと演者が構えなくて、むしろ臨場感が出たり?

安田:それは難しいところで、例えばこの間、エッグプラントの映像を出したけれど、あれは横山と延々と同じ距離にいるでしょ? 心臓はバクバクだけれど、ピントとフォーカスは絶対に外さないようにしていて、そういう感覚は機材と関係ないと思う。

ISHIYA:あのパニックの中で、ずっとカメラを構え続けた。あのときその場にいて「この人はいったい何なんだ」と思ったけど、その異様さが映像に出ているんだなと。エッグプラントも法政もそうだけど、横山さんは相手の数によって態度を変える人じゃないし、常に一緒にいるのは大変だったでしょ?

安田:それは大変で、それぞれ本を一冊かけるくらいの話はある。基本は止める役だったけれど、カメラもいっぱい壊れたし(笑)。

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