もしも寺山修司が今、アイドルをプロデュースしたら? 中森明夫『TRY48』が紡ぐ、アングラからサブカルへの連続性
1983年に47歳で亡くなった寺山修司がこの世界では生きており、85歳にしてアイドルをプロデュースする。グループ名は、AKB48に対抗し、TRY48! 寺山の没後40年となる今年に刊行された中森明夫『TRY48』は、そういう設定の小説だ。寺山といえば、歌人、劇作家、詩人、俳人、映画監督、脚本家、作詞家、評論家などマルチな才能を持っていた。なかでも劇団「天井桟敷」を主宰し、海外で高い評価を得たことで知られる。本作は、寺山が演劇の手法をアイドルに用いたらという、もしもの世界が繰り広げられる。
中森は2010年発表の『アナーキー・イン・ザ・JP』で、大正時代に虐殺された無政府主義者・大杉栄が、現代のパンク少年に憑依して蘇る物語を書いた。寺山修司には、歴史上の人物を皮肉をまじえ独自の視点から語り直した『英雄伝 さかさま世界史』、『怪物伝 さかさま世界史』というエッセイ集があった。それに対し『アナーキー・イン・ザ・JP』、『TRY48』は、中森流の“さかさま日本史”になっている。
『TRY48』冒頭では、「怪優奇優侏儒巨人美少女等、アイドル大募集!! アイドル実験室・TRY48」と書かれた告知が紹介される。告知のフレーズは、1960年代に寺山が演劇実験室を標榜し「天井桟敷」を立ち上げた時の劇団員募集の文言を使ったものだ。見世物を志向した彼は、目立つ人間を集めようとした。その結果、TRY48の中核メンバーには変わり者ばかりが選ばれ、AKB48の神セブンに相当する7人は、悪魔セブンと称されることになる。
しかし、主人公は、平凡でこれといった才能がない17歳の深井百合子なのである。彼女はカルチャーに詳しくないし、寺山の存在も知らなかった。漠然とアイドルを夢見ていただけだ。そんな百合子に寺山の業績やサブカルの歴史を教えるのが、16歳の後輩、サブコこと寒川光子である。百合子のオーディションにサブコが黒子として同行した結果、二人で一体として評価され、TRY48に合格した。普通の百合子は、黒子込みで、かろうじて変わり者に認定されたのだ。
作中では、既存の俳句をとり入れた寺山の短歌とフリッパーズ・ギターのサンプリングを用いた曲作りの親近性が指摘されるのをはじめ、かつて(現実の歴史における生前)の寺山と1983年以降のサブカルとの様々な接続が図られる。また、寺山は1970年にマンガ『あしたのジョー』で主人公・矢吹丈のライバルだった力石徹の葬式を行ったが、本作では2005年に『DEATH NOTE』で夜神月の好敵手だったLの葬式も催したとされる。
1983年以前の寺山が再解釈される一方、文化史に実在する人物も登場させつつ1983年以降も同時代に介入し続けた寺山の姿が提示される。そうした騙りを通して、1960年代から現在までのサブカル史が、精緻かつ巧妙に語られていく。巻末に掲げられた通り、中森はこの“さかさま日本史”を構築するため、大量の参考文献にあたっている。その一つ『文藝別冊 総特集 寺山修司』(2003年)には寺山と親交のあった人々のインタビューが収められていた。「天井桟敷」の美術にかかわり、1970年代に影響力があったサブカル誌「ビックリハウス」の編集長を務めた榎本了壱は、1990年代のヤマンバ、コスプレ系、プチ・ナショナリズムにプチ・カウンターカルチャー的なものを感じるといいつつ、こう話していた。
ただ、問題は寺山修司みたいに戦略を立てられて、オルガナイズできる人がいないことです。サブカルでヌクヌク20代30代を生きちゃって、30代40代になった人達が、やっぱり今のプチ・カウンターカルチャーのオルガナイザーにはなれていないんですね。
同ムックの刊行当時、1960年生まれの中森は43歳であり、ここで触れられた世代にあたる。『TRY48』からふり返ると、続く時代のサブカルの一翼をになった著者が、仮に寺山が死なずオルガナイズし続けたらという発想で、この発言に返答した小説のように読める。
中森が寺山の没年の1983年になにをしていたかといえば、「おたく」という呼称が広まる一因ともなった「『おたく』の研究」を「漫画ブリッコ」に連載していたのだった。本書を読んだ後では、それは興味深い偶然と感じられるし、大げさにいえば文化の転換期を象徴する出来事だったようにも思える。『TRY48』には寺山が、中森の「敗戦後アイドル論」を流用し弁舌をふるう場面もある。本作では、寺山が頭角を現した1960年代のアングラ文化から1980年代以後のサブカルへ、オタク文化への連続性が描かれ、中森本人もその流れのなかに位置づけられた形だ。
そう、1960年代の日本のカウンターカルチャーは、アンダーグラウンド(地下)を略してアングラと称されていたのだった。寺山の「天井桟敷」も唐十郎の「状況劇場」もアングラ演劇と呼ばれていた。一方、本作で85歳の寺山が指揮するTRY48の活動は、AKB48のようなメジャーなグループとは違っている。1960年代にハプニングと称されたタイプの、ゲリラ的でスキャンダラスなパフォーマンス。寺山がアングラだったという出発点から示唆される通り、むしろ地下アイドルの暴走を思わせるのだ。作中にはBiSへの言及もある。そもそもTRY48は、奇異なキャラクターばかり揃え、見世物小屋を志向していた。
物語の山場は「アイドル・ノック」である。本のカバーにもある通り、寺山が1975年に阿佐ヶ谷で行った市街劇「ノック」を、アイドルたちで再び敢行する。街のあちこちで突発的に芝居を始め、その場にいるなにも知らされていない人々を戸惑わせ、巻きこむ。1975年当時は警察沙汰になり、批判報道も相次いだイベントだ。地下や見世物小屋の論理を街中へ持ち出し、小市民を「ノック」して日常を揺さぶろうとした。反体制から出発したアングラ演劇らしい発展のしかただった。