「マンガとゴシック」第12回:チャールズ・バーンズ『ブラックホール』とタラッサ的退行——シアトル、グランジとの同時代的共振

音楽だけではないシアトルのサブカル事情

 この作品にはタバコ、ビール、生理用品、ドラッグなど膨大な商品名やチェーン店の名前が空疎な記号のように膨大に出てくることには留意するべきで、主要人物の一人キースがショーウィンドー沿いを歩きながら「窓ガラスの奥は、ひどくバカバカしい代物でいっぱいだった」と独白するシーンもある。そう考えるとのちにアマゾンやマイクロソフト、ボーイング、コストコ、スターバックスのような大企業がシアトル及びその近郊で発展していくのは大いなる皮肉であるが。

 とはいえ大資本の動きのみならず、シアトルはグランジのほかサブカルチャーのメッカという側面もある。例えばニューヨークのキムズ・ビデオと並ぶアメリカを代表するビデオレンタルの店スケアクロウ・ビデオも1988年にシアトルで設立された。「近くからも遠くからも巡礼者を集めるオフビート映画のアレキサンドリア図書館」(ダニエル・ハーバート『ビデオランド』より)と評されたこのビデオレンタルショップは、タランティーノのような映画オタクのみならず、カート・コバーンとコートニー・ラブ夫妻が巡礼したことでも知られる。

 他にはハーシェル・ゴードン・ルイスの『血の祝祭』のような悪趣味映画の配給で知られるサムシング・ウィアード・ビデオもここシアトルで1990年に誕生した。1990年前後に誕生したグランジ、スケアクロウ・ビデオ、サムシング・ウィアード・ビデオからは時代的にずれるが、和モノAORの復刻などで評価の高いLight in the Atticのようなレーベルも2002年にシアトルで誕生していて、サブカルチャーの都市としてかなりの存在感を誇っていることは事実である。

  「オルタナティヴ・コミック」として紹介されることの多いチャールズ・バーンズであるが、明らかに80年代から90年代にかけて台頭したシアトルの「オルタナティブ」な音楽や映画シーンとの共振を考えるべきであろう。70年代が舞台の物語だからといって、必ずしも描いているのは当時(バーンズが思春期を過ごした70年代シアトル)とは限らないのである。

 ところで『ブラックホール』の終盤、デイヴが殺人を犯すあたりで激しい雨が降り始めるのはシアトルという土地柄、無視できない。クリスは「降りやまない雨がわたしの気分を滅入らせて無気力にした」(347ページ)と内面独白しているほどだ。先述したサウンドガーデンの「ブラック・ホール・サン」には以下のようなリリックがある。「ブラックホールの太陽よ、やってきて雨を洗い流してくれないか?」。なぜこういった描写が出てくるのかというと、アメリカ北西部に位置するワシントン州シアトルがとてつもない降水量で有名だからである。『The Dark Side Of The 90s』というTVシリーズの「グランジとシアトル・サウンド」(2021年放送)の回では、開始早々ジリアン・ガールという人が「90年代のシアトルで、三か月毎日雨が降ったことがあってニュースになった」と衝撃の発言から始まる。

 シンシア・ハーネットは『雨の自然誌』の第九章「ライダーズ・オン・ザ・ストーム」の中で、マンチェスター出身のザ・スミスとシアトル近郊のアバディーン出身のニルヴァーナが、メランコリックで陰鬱なロックを鳴らしていることは天候不順と無関係ではないことを指摘している。その伝でいくと、シアトルの雨の多い気象条件が『ブラックホール』の陰鬱さにもある程度作用していることは考慮しても良いだろう。

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