いつ都市伝説は陰謀論になったのか? 『消えるヒッチハイカー』新訳で探る都市伝説の本質

『消えるヒッチハイカー』新訳が明かす真価

 都市伝説本の古典、ヤン・ハロルド・ブルンヴァン著『消えるヒッチハイカー』、待望の新訳である(「待望」には少なくとも二つの意味があるが、それについては後で説明することにしよう)。

入手困難だった「都市伝説」の古典、待望の新訳

ヤン・ハロルド・ブルンヴァン著、満園真木訳『消えるヒッチハイカー: アメリカの都市伝説とその意味』(東京創元社)

 そもそも本書『消えるヒッチハイカー』の原書 The Vanishing Hitchhiker (1981年出版)は、現代アメリカのフォークロア、とくに人々のあいだで語り伝えられているさまざまな話の類い――すなわち都市伝説を正面から取り上げたものであった。本書や続刊は民俗学の本としては例外的なほどに売れ、それによって「都市伝説」はアメリカの日常語になり、その後の大衆文化に大きな影響を与えた。

 The Vanishing Hitchhikerは、1988年10月、日本の若手民俗学者たちによって訳出されたものが新宿書房から出版された。日本語訳(旧訳)の副題は「都市の想像力のアメリカ」となっており、原書の副題 American Urban Legends and Their Meanings から肝心の「都市伝説」の語は消えていたものの、いずれにしてもこの訳書の刊行によって、アメリカに続いて日本でも「都市伝説」という言葉が定着したのだった。しかし新宿書房が2023年10月に閉業したため、日本語訳『消えるヒッチハイカー』は図書館か古書で入手するしかなくなっていた。「待望」ということの一つめの意味はこれである。このたび東京創元社から新訳が刊行されたことにより入手しやすくなったのはとても歓迎すべきことである。

 もう一つの「待望」は、正確な翻訳が待ち望まれていたという意味である。旧訳の歴史的な位置づけは揺るがないが、率直に言って誤訳が多く、(おそらく訳者たちの学問的な野心に由来する)不自然な訳語も多かった。かつて評者は旧訳の第1章冒頭に「回路」という言葉が頻出していることが気になって原書を当たったところ、一般に「回路」と訳される circuit という単語がどこにも見つからなかったことがある。「回路」といえば特定の経路をぐるぐる回るものだとか何らかの機構や仕組みを指す。だが、旧訳が「回路」と訳したものは stream や process、pass traditionally など多岐にわたる。いずれの単語についてもブルンヴァンは歴史的な動態を重視しているのだが、旧訳はそうした意味合いを抹消し、どちらかというと静態的・同時代的な表現へとすり替えてしまっているのである。それに対して満園真木による新訳ではこれらの単語を「流れ」「プロセス」「伝えられていく」などと適切に訳し分けている。それ以外にも多くの誤訳や一般的ではない訳語が新訳では一掃され、いちいち原書に戻って確認する必要がほとんどなくなった。

 そもそも著者名の発音についても、旧訳は「ヤン」であることを認識していたにもかかわらず「表記の問題など」で「ジャン」にしており(「訳者あとがき」)、以降40年近くにわたって誤った発音が流通しつづけていた。新訳によって著者名は原音に近い表記になった。

「都市伝説とは何か」を問い直す、今こそ読むべき一冊

 さて、本書の内容を見てみよう。収められているのは、今となっては「古典」となっている都市伝説の数々だ。表題となっている「消えるヒッチハイカー」は、ヒッチハイクしていた人を乗せたところ、目的地に着く前に車内から消えてしまうが、調べてみると数年前に亡くなっていたはずだったというもので、アメリカのみならず全世界に広まっている。ほかにもペットとして飼われていたワニの子どもがトイレに流されたが生き残って下水道で大きく成長しているという「下水道のワニ」や、某ファストフード店のチキンにネズミが混入するという「フライド・ラット」、濡れたペットを乾かそうと電子レンジに入れて悲惨な結果に終わる話、高級車が格安で売りに出されているがそれは死臭が取れないからだという「死の車」など、アメリカ人の誰もが聞いたことがあるに違いない話が多く載っている。それぞれの都市伝説には、知りうるかぎりの古いバージョンや土地・時代によって変化するバリエーション、マスメディアによる「報道」、さらに民俗学者たちによる解釈が付されており、単なるカタログに留まっていない。

 その一方で、現代の感覚からすると、都市伝説研究の代表である本書に政治的・国際的な陰謀論がほとんどないことは意外に見えるだろう。強いて言えば第七章「あくどい企業」が、企業が不祥事や手抜きを隠蔽しているという陰謀論を紹介していると言えなくもない。しかしそこにも、国家機関や外国政府、秘密結社といった、現代の陰謀論につきもののアクターは登場しない。日本でも2000年代初頭まで都市伝説と陰謀論は棲み分けられていたのだが、本書の飯倉義之による「解説」でも述べられているとおり、2000年代半ばから徐々に陰謀論が都市伝説に浸透していったらしい。アメリカでも911テロの「予告」としてWingdingsフォントの文字列がネット上で拡散されて「ユダヤの陰謀」と結びつけられるなど、陰謀論と都市伝説の境目が徐々になくなっていったが、それでもブルンヴァンの大作『都市伝説百科事典』(未訳、増補改訂版2012年)の「陰謀論」の項目はそれほど大きくない。都市伝説といえば陰謀論、という考え方はむしろ新しいものなのだ。

 巻末の飯倉義之による解説は、日本における「都市伝説」以前・以後の学問や社会的状況、そして現代の都市伝説の展開を端的にまとめている。

 本書の紹介する都市伝説のなかには、上述のものも含めて、2020年代現在の日本においては忘れ去られたもの、そもそも日本には広まらなかったものもあり、その点で、新訳で初めて『消えるヒッチハイカー』を読む人々にとっては、本書はかえって新鮮な都市伝説集に見えるかもしれない。あるいは、今の視点では「これが都市伝説なのか?」と思われるものもあるかもしれない。いったい都市伝説とは何なのか。古典『消えるヒッチハイカー』の新訳は、この問いをあらためて考えなおす絶好の機会である。

■書誌情報
『消えるヒッチハイカー: アメリカの都市伝説とその意味』
著者:ヤン・ハロルド・ブルンヴァン
翻訳:満園真木
価格:3,080円
発売日:2026年7月21日
出版社:東京創元社

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