AIは人類の敵か味方か? 国内外のSF作家たちが描く、多種多様なAIの未来像
いやいや、やはりAIを野放しにすれば人類は滅亡に追い込まれる。そんな恐怖のビジョンをもたらしてくれるのが、『ロボット・アップライジング』の編者でもあるダニエル・H・ウィルソンの「小さなもの」だ。物質を別の物質に変えてしまう機能を持っているナノマシンが、狂気にとりつかれた科学者によって孤島で増殖してしまう。外に漏れ出せば世界が大変なことになるため、ナノマシンの無害化技術を持った科学者が孤島へと送り込まれるが、そこで見たものは樹皮が臓器に変わった木々であり、ダイヤモンドに変化した虫だった。
ナノマシンを暴走させたのは人間であり、悪いのは人間なのだといった反論もできそうだが、そうしたリスクを完全に排除できない以上、AIに全権を委ねるべきではないといった見解も合理性を持つ。同じ事を『AIとSF』に寄せた斧田小夜の「オルフェウスの子供たち」も指摘している。建造物を自己再生するシステムに間違った操作が行われたことで、東京の一角にある建物が異常増殖して人が住めなくなってしまう「癌化災害」が発生する。
弐瓶勉の漫画で、アニメ映画にもなった『BLAME!』を思い起こさせるビジョン。なおかつ癌化災害の中でAIが人造人間を生み出すような可能性も取りざたされ、人類がだんだんと追い詰められていく不安を突きつけられる。やはりAIの進化は許すべきではないのか? そうした厳しい見解に、芥川賞作家の高山羽根子が『AIとSF』に寄せた「没友」は、おるすばんAIが見せた家族と共存しようとする姿を通して、共に歩んでいく幸福を示唆する。
揚羽はなによる「形態学としての病理診断の終わり」も、どれだけAIが優秀になって病理診断を肩代わりできるようになろうと、未知の病気には人間の思考が必要とされる事を描いて人類側を安心させてくれる。『ロボット・アップライジング』に収録のロビン・ワッサーマンによる「死にゆく英雄たちと不滅の武勲について」でも、人類に反旗を翻して殺戮を始めたロボットが、迷いを覚えるようになった時に生き残っていた精神科医と出会い、治療を受けて回復する状況に人間の価値を見いだしたくなる。
もっとも、「死にゆく英雄たちと不滅の武勲について」でロボットは、治療の経緯を記録して精神科医をお払い箱にする。無慈悲で残酷きわまりない。『不思議の国の少女たち』がヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞というSF界の3つの大きな賞を受賞したショーニン・マグワイアの「ビロード戦争で残されたいびつなおもちゃたち」でも、知性を持ったおもちゃたちが持ち主の子供たちと一緒になって大人たちに反旗を翻す。
共存できそうで相容れなさそうで、幸福にしてくれそうで恐怖をもたらしそうなAIと人類はどう付き合うべきか。訳が分からなくなった頭に、遊ぶことかもしれないという道を示すのが、『タイタン』で愛を求めるAIを描いた野﨑まどが『AIとSF』に寄せた「智慧練糸」だ。
平安末期の京都にAIのようなものが存在して、千体もの仏像を作らなくてはならなくなった仏師の要求に応えて仏の姿を絵にして見せていく。混沌から遠景を経て浮かび上がった仏の容貌は、ギリシア彫刻であったりキラ目であったり自撮りをしていたりともう無茶苦茶。AIに欲しい絵を描かせることが簡単ではない現状に気持ちを立ち返らせてくれる。
『AIとSF』には他に、円城塔や長谷敏司、飛浩隆らが執筆。『ロボット・アップライジング』にはスピルバーグ監督の映画『レディ・プレイヤー1』の原作を書いたアーネスト・クラインや《啓示空間》シリーズのアレステア・レナルズ、『SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと』のチャールズ・ユウの作品を収録している。これらを読み、AIとの付き合い方を考えていくのが良さそうだ。