中村うさぎ、ラノベ黎明期から様変わり「異世界転生」氾濫に喝「テンプレ小説ばかり、書いてて恥ずかしくないのかな」
異世界転生もののラノベが多すぎる!?
――ライトノベル業界は空前の活況を呈していますが、中村先生が現在の業界をどのように思われますか。
中村:もうライトノベルに関わっていないので1人のオタク視点で見ているけれど、「なろう」(編集部注:自作の小説を投稿できるサイト「小説家になろう」のこと)系が登場したのが、業界にとって一つの分岐点になったと思います。特に、異世界転生ものは増えたよね。
――異世界転生もののほか、悪役令嬢ものも無数にありますね。
中村:でも、いきなりすごい能力を授けられて、女の子にモテモテでハーレム状態……という物語ばかりが量産されているのを見ると、オリジナリティってなんだろう、同じような小説書いて恥ずかしくないのかなと思っちゃうね。私がデビューしたときは、周りと違う、自分にしか書けないものを書こうと思っていたわけ。それなりにプライドもあったと思うし、これは俺にしか書けねーだろ、みたいな作品が強いと言われていましたからね。
――そんな中村先生から見ると、現在のライトノベル界は画一的なものに映ってしまうのでしょうか。
中村:これは相当前の話だけど、男性向けのエロ小説の審査員に抜擢されたことがあって、候補作を読んだら、全部同じ人が書いたんじゃないかと思うくらい似通っていたんです。同じことがラノベにも起きていると思います。異世界転生系は、ぜんぶ作者が同じじゃないかと思うくらい、さらに言えばラノベ脳を失った私ですら書けると思うくらいテンプレなんですよ。
「なろう」のシステムは画期的だと思った
――辛辣な意見ですが、中村先生は「なろう」というサイト自体はどのように考えていますか。
中村:私は「なろう」ができたときには、すごいシステムだと思ったんです。素人がネットで自作の小説を発表した中から、優れた才能が見つかる可能性があるわけじゃないですか。私、ラノベの新人賞の審査員もやったことありますが、あれは本当に審査員がいい加減なんだよね。
――どういうことでしょうか。
中村:私は候補作を最後まで全部読んでいたけれど、ある大御所の作家は5~6ページしか読まれずに採点しちゃっていたり。おいおい、この先面白くなるかもしれないじゃん、ちゃんと読んでよ、と思ったものです。そんな審査で選外とか言われたら新人がかわいそうだし、デビューのチャンスを奪われた人が無数にいたと思うんですよ。
――新人の運命を分ける新人賞で、杜撰な審査をされてはたまったものではないですね。
中村:対して、「なろう」はコミケと同じで素人の創作物が口コミで話題になって、出版社がスカウトするシステムでしょ。私はこれこそが新人発掘の理想だと思ったの。新人賞で審査員に見出されず、埋もれていた才能が正当に評価されるチャンスじゃないか、と期待していました。ところが蓋を開けてみたら、新人が周りの評価ばかり気にしてテンプレみたいな小説しか書かなくなってしまいました。とても残念です。
――イラストレーター志望者も“いいね”が欲しいあまり、流行りの絵柄に似せて描く新人が多いです。ネット社会の弊害といえるかもしれませんね。中村先生が作家志望の若手にアドバイスするとしたら、どんな言葉をかけたいですか。
中村:こんなババアに小言を言われたくないかもしれないけれど、素人のうちから売れることを考えて書いちゃダメです。周りの評価を気にするなんてもってのほか。自分にしか書けないものを書かなきゃ。その中から将来のヒット作が生まれるんですよ。素人は自由に書けるのが特権なんだから、思う存分、好きな小説を書いてほしいと思いますね。
エッセイストに転向、ラノベを書かなくなった理由
――中村先生は90年代後半から『ショッピングの女王』などのエッセイでもヒットを飛ばし、現代を代表するエッセイストの1人だと思います。ファンタジーの世界とは真逆の文章を書き始めたきっかけはなんだったのでしょうか。
中村:エッセイも仕事をもらうまで書いたことがなかったんです。『だって、欲しいんだもん!―借金女王のビンボー日記』が初めてのエッセイ集ですが、信じられないけれど、これ、「ザ・スニーカー」で連載したんだよね(笑)。
――ザ・スニーカーにブランド品の買い物狂いのエッセイが載っていたのには、驚きです。
中村:『ゴクドーくん』が売れて、入ってきた印税で私はシャネル狂いになり、水道代が払えず、水道を止められていました。編集さんとご飯を食べていたときに、「私はこんなシャネルのスーツ着ているのに、水道止められているのよ」と話したら、「まじ!? それめっちゃおもしろいじゃん! エッセイを書いてみない?」と言われて、トントン拍子で書くことになったんです。「ザ・スニーカー」にそんな話を載せても誰もわかんないだろうなと思ったけれど、案外、子どもが面白がってくれたみたいです。
――エッセイの仕事が増加する一方で、ライトノベルは2001年6月に出た『ゴクドーくん漫遊記外伝 10 地獄に堕ちた亡者ども 上』が最後となりました。
中村:『ゴクドーくん』の本編はなんとか完結させたんですが、外伝は『地獄に堕ちた亡者ども』の上まで書いて、ついに下が出せなかった。『宇宙海賊ギル&ルーナ』も途中までしか書けませんでしたね……
――ライトノベルを書けなくなった理由は何だったのでしょうか。
中村:小説とエッセイでは脳味噌の使っている部分が違う気がするんですよ。エッセイは日常のことを面白く書けばいいわけだから、慣れちゃうと物語を作る努力をしなくなっちゃうというか……。それに90年代はゴクドーくんが勝手に動いて、話を進めてくれていたんです。キャラクターに魂が乗り移るって言うじゃない? そういう感覚ですね。ところが、2000年のころにはゴクドーくんが動かなくなっちゃった。
――読者や編集者からは、続きを催促されなかったのでしょうか。
中村:読者のみなさんからは、続きを書いて欲しいと手紙をいただきました。申し訳ない気持ちはあったけれど、しょうがないじゃん、という気持ちも強かったんですよね。だって、書けないんだもん。編集さんは半ば諦めている感じでしたね。
――それでも、何とか続きを書いてみようとしなかったのでしょうか。
中村:何年かに1回、書き出したことはありますが、ダメでしたね。ゴクドーくんが他人になりすぎていて、動いてくれないんだよね。30代の頃って、後先考えずに私自身も突っ走っていました。シャネルを買って、夜遊びしまくって、エネルギーが爆発していたから、『ゴクドーくん』も私以上に勢いよく突っ走れていたのかもしれない。でも、私も65歳です。もう、あの頃の勢いで文章は書けないなと思っています。
一番楽しかったのは『ゴクドーくん』を書いていた時期
――私は子どもの頃、母が買ってきた「週刊文春」で『ショッピングの女王』を読んでルイ・ヴィトンというブランドを知ったくらいなので、中村先生のエッセイには思い入れがありますし、何度も笑わせていただきました。一方で、中村先生のライトノベルの仕事を知らない方が増えていることは、少し残念に思っています。
中村:私の黄金時代は、美容整形やホストのエッセイを書いていた頃だと言われることが多いけれど、一番楽しかったのは『ゴクドーくん』を書いていた時期なんですよ。読者とすごく距離が近くて、一緒に走っている実感がありました。締切の連続でしんどかったけれど、私が面白いと感じたことを書いたら、読者も面白いと言ってくれていたし。振り返ってみると、本当に楽しかったなと思います。
――中村先生にインタビューする前は、失礼ながら、ライトノベルの頃のことは忘れておられると思っていましたが、強い思いを語っていただけて感動しました。
中村:思えば私自身、読者と一緒に『ゴクドーくん』を楽しんで、盛り上がっていたんだと思います。メディアミックスの黎明期だった分、たくさん夢を見させてもらいました。ライトノベルには心からありがとうと言いたいですね。