『光る君へ』なにが画期的だったのか? 『源氏物語』専門家に聞く、大河ドラマで「女性のパワー」描いた意義

古典エッセイストが見た『光る君へ』

 『源氏物語』で知られる紫式部の生涯を描いたNHK大河ドラマ『光る君へ』が12月15日、最終回を迎えた。「合戦のない大河ドラマ」として議論を呼び、全48回の平均世帯視聴率は10.7%(関東地区/ビデオリサーチ)と好調とは言い難かったが、「NHKプラス」の配信においては大河ドラマの歴代最高視聴数を記録。吉高由里子演じるまひろ(紫式部)が最後につぶやいた一言も大きな話題になっている。

『やばい源氏物語』(ポプラ新書)

 意欲作と言える本作を、時代背景に詳しい専門家はどう捉えたのか。『やばい源氏物語』(ポプラ新書)、『嫉妬と階級の『源氏物語』』(新潮選書)などの著書がある古典エッセイスト·大塚ひかり氏が語る。

「史実に照らせばツッコミどころはありましたが、全般的にとてもいい作品だったと思います。これまでの大河ドラマでは、平安時代を描いても源平戦乱が中心で、武士が主役だった。本作は平安王朝の貴族社会を舞台に、しかも女性文学者を主人公にしたのが画期的です」

 これまでになかった角度から平安時代を描いた作品だということだけでなく、「1000年前の話でありながら、未来を先取りしている感覚がある」と大塚氏。実際、『光る君へ』を見て新しい価値観を発見した人も少なくなかっただろう。

「当時は経済的にも政治的にも女性が今以上にパワーを持っていた時代でした。平安貴族の結婚は、男が女の家に通い住む婿取り婚(むことりこん)が基本。新婚家庭の経済は通常、妻方で担っていました。相続も男女平等で、家土地に関しては女子の相続がむしろ多い傾向があった。政治的にも、大貴族は娘を天皇家に入内させ、生まれた皇子を即位させ、その後見役として繁栄したため娘の誕生が望まれ、中・下流貴族の娘にしても、天皇や東宮の妻となった大貴族の娘のサロンをもり立てるため、才色兼備の女性がスカウトされ、才能が花開きました」

 歴史に名を残す、綺羅星のごとき女性たちの力。ドラマではまひろ(紫式部/吉高由里子)、ききょう(清少納言/ファーストサマーウイカ)、あかね(和泉式部/泉里香)の関係性にも注目が集まったが、史実はどうだったかは別として、大塚氏は「壮観で時代を肌で感じられた」と評価する。

『嫉妬と階級の『源氏物語』』(新潮選書)

「『紫式部日記』には<清少納言こそ、したり顔にいみじう侍りける人>(得意顔でひどい人だった)という有名な”悪口”が書かれていますし、彼女たちの仲のいい描写には抵抗感もありました。政治・経済において女性が力を持っていれば(それゆえのプレッシャーや厳しい身分制など過酷な状況も多々あるとはいえ)、こんなスターたちが同時に出てくるんだな、ということが体感できた気がします」

 他にも、ドラマらしい脚色が登場人物の魅力をうまく伝えているようだ。大塚氏は「これまでの知識が立体化していく感覚で、うれしかった」と振り返る。

「『光る君へ』では序盤から、紫式部が恋に悩む人々のために手紙や和歌を代筆・代詠するシーンがありました。代筆・代詠は当時、普通にあることですが、貴族の女性がお店屋さんに出るということは考えられない。しかし、『紫式部集』に収められた自身の和歌が約130首であるのに対し、『源氏物語』では約800首もの歌を老若男女さまざまな人になりきって詠んでいる。この“なりきり能力”をこうした設定で表現しているのかと思うと鳥肌が立ちました。

 また紫式部と清少納言は、宮仕えの時期が重なっておらず、実際には対面したことがないと言われ、私もそう考えていましたが、ドラマを見てから、先ほどの<したり顔にいみじう侍りける人>などの生々しい表現を考えると、面識がなかったとも断定できないのではと自分の思い込みを反省させられました」

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