『チェンソーマン』は現実と戦う漫画だーージャンプ大好き評論家3名が「第二部」を語り尽くす
2022年10月11日より、いよいよTVアニメの放送がスタートした『チェンソーマン』(藤本タツキ)。本作は、「週刊少年ジャンプ」にて、2019年1号から2021年2号まで連載された作品で、完結後は2022年7月より「少年ジャンプ+」にて第二部という形で続編の連載をスタートさせた。
人気マンガの続編はときに物議を醸すが、『チェンソーマン』の大ファンだと公言する3名の論客は第二部に何を思うのか? ドラマ評論家の成馬零一氏、書評家の倉本さおり氏、アイドル専門ライターの岡島紳士氏が語り合う。
参考:『チェンソーマン』は本当に“愛の物語”だったのか? ジャンプ大好き評論家3名が討論
第二部は藤本タツキの完全最新作?
成馬:第二部は、主人公のデンジが中々出てこないことに驚きました。第一部から引き続き登場している主要キャラは吉田ヒロフミくらいで、舞台も違う。だから、別のマンガを読んでいるみたいだと戸惑うと同時に、これが許されるのが今の藤本タツキの立ち位置なんだなぁと思いました。
第一部が終わって、藤本タツキ先生を巡る状況が大きく変わりましたよね。「Rolling Stone Japan」や「SWITCH」などの雑誌で藤本タツキ特集が組まれるようになって、漫画家という枠を超えて、現在、最も注目すべき旬のクリエイターという扱いになっている。これは『チェンソーマン』の成功だけでなく、第一部終了後に発表した『ルックバック』、『さよなら絵梨』、原作を担当した『フツーに聞いてくれ』(漫画:遠野おと)といった短編がSNSでバズって高く評価されたことが、大きかったと思います。『チェンソーマン』までは、どちらかというと、作品に対する注目度が高かったと思うんですよ。でも『ルックバック』以降になると、藤本タツキ先生が次にどんな漫画を描くのかに注目が集まっている。その流れを受けて第二部がスタートしたので、『チェンソーマン』を読んでいるというよりも、藤本タツキ先生の最新作を読んでいるという感じです。
倉本:『ルックバック』は、社会現象とまではいかないかもしれないけど、普段あまりマンガを読まない層からも注目されていましたよね。
成馬:マンガファンの間でも、『チェンソーマン』が好きな人と、『ルックバック』や『さよなら絵梨』を好きな人って、読者の好みに少しズレがあると思うんですよ。『チェンソーマン』までは、ギリギリ「週刊少年ジャンプ」に掲載されている少年漫画が好きな人が読んでいるという印象でしたが、『ルックバック』や『さよなら絵梨』は、同じ漫画でも純文学的な世界ですよね。この二作は表現者の苦悩を描いた作品だったので、作者の藤本タツキ先生が何を考えて描いたのかを考察しながら読まれていたし、逆にそういうSNSでの過剰な読みに対する牽制として『フツーに聞いてくれ』が描かれたようにも見える。
作品を通して作者と読者が対話をする中で独自のファンコミュニティが生まれていく様子は、それこそ太宰治などの文学作品の読まれ方と近いのかなぁと思います。そんな『ルックバック』や『さよなら絵梨』を経てからの第二部だったので、純文学的な作品になるのか、エンタメ寄りになるのか、今後の展開が気になります。
岡島:第一部が終わって第二部が始まるまでの間、日本社会でおかしなことがどんどん起こって行きましたよね。コロナはもちろん、戦争や暗殺も。その影響がどのように出るのかにも興味があります。「チェンソーマン」の第一部では、主人公のデンジ君が「ただ普通の生活を望む」貧困層であることで、日本の現在性を描き、物語にリアリティーを与えていたので。
成馬:第二部には「戦争の悪魔」が登場し、第一部の「支配の悪魔」に続き、ヨハネ黙示録の登場する四騎士が大きなモチーフとなりそうですが、支配、戦争、疫病、飢餓と、今のところ、飢餓以外は全部、現実化してますよね。物価の値上げも進んでいるし、世界規模の食料危機も噂されているので、飢餓もそう遠くない未来なのかもしれない。
岡島:もし第二部が、第一部のあと時間をおかずにすぐ始まっていたら、また意味合いが全然違っていたと思うんです。現実世界で前述のようなことが起こり続けているからこそ、今回のような第二部の始まり方になったのかなと。夜のシーンが多くて、画面が暗くて不気味な感じで……。今の世の中の動きと相まって不穏ですよね。あと第二部では、視点がアサと戦争の悪魔(ヨル)から始まります。女の子2人でどこか『ルックバック』の主人公2人の関係性を感じさせるうえ、1話のデンジとポチタの対比構造にもなっているんですよね。でも、そういう明らかなことを藤本タツキ先生にやられると、これは全部後で壊すためのフリなんじゃないなかなって思ってしまいます(笑)。他にも、支配、戦争、飢餓、死……をテーマに、第四部までやるのでは? という予想をしているファンの方もいるみたいなんですけど、そんなことは全くなく、あっけなくみんな死んでしまうんじゃないかなって。
成馬:第二部は7月8日に起きた安倍晋三元首相銃撃事件から5日後の7月13日に連載が始まったじゃないですか。あの時はTwitterのタイムラインがとにかく荒れていて、暗殺、カルト教団、コロナ、ロシアによるウクライナ侵攻の状況といった物騒なキーワードがトレンドとして並んでいたのですが、いっしょに『チェンソーマン 第二部』や“田中脊椎剣”といった言葉が混ざっていたのが印象深かった。Twitterを見ながら「現実と戦ってるなぁ」と思ったんですよ。ひどい現実に拮抗する、ひどい表現をぶつけてるというか(笑)「戦争の悪魔」を登場させる時点で読者は、ウクライナ侵攻のことを連想するわけで、第二部はすごい戦いに挑んでいるなと思いました。今の時代ってフィクションよりも現実の方が圧倒的に酷い状況なので、中途半端な表現をすると、すぐに現実に呑み込まれてしまうじゃないですか。そんな中で『チェンソーマン』はまだ、ギリギリのところで戦えている。だから今回の『チェンソーマン』の敵って「日々悪化する現実」で、本編の裏で藤本タツキ先生の現実との戦いが毎週起こっている感じがして、面白いですよね。
物語を多角的に見る、続編の描き方
成馬:10月からの放送に向けて、アニメ『チェンソーマン』の告知をよく見かけるようになりました。ネット上では「誰が声優をやるのか」「誰が主題歌を担当するのか」といった部分でも注目されていて、マンガ読みだけではなくアニメファンの関心も高まっている。以前の対談で、岡島さんが“藤本タツキ先生が作る状況も含めて作品”と仰っていましたが、第二部では悪魔と戦うチェンソーマンをめぐる大衆の様々な反応が描かれていて、作品や藤本タツキに対するSNSの反応自体が、作品の中にフィードバックされている。「ジャンプ+」で水曜日に第二部の最新話が配信されると、すぐにみんなが作品を読んで、感想を呟いたり、考察動画を上げているわけですが、そういった情報のうねりも含めて楽しんでいる人がたくさんいるので、下手をすると「週刊少年ジャンプ」以上に訴求力がありますよね。
岡島:SNSでいかに話題になるか、トレンド上位に入るか、というのが、今のエンタメコンテンツが“売れる”ことのキモになってますよね。「ジャンプ+」に連載されバズりまくった『タコピーの原罪』(タイザン5)なんて、現代版トレンディードラマ&ジェットコースタードラマみたいで、ショッキングなことが毎回起こって、バズることに特化した内容になっていました。ネットですぐに無料で読めるんだから、本誌よりも「ジャンプ+」の方がバズりやすいし、“バズ”が重要とされる現在において、「ジャンプ+」の存在感が増してくるというのは、まあ当然という感じではありますよね。
倉本: 「週刊少年ジャンプ」といえば、『ルリドラゴン』(眞藤雅興)が“ジャンプらしからぬ新作”として、話題になっていますよね。一方で、「ジャンプ+」では『正反対な君と僕』(阿賀沢紅茶)というラブコメが話題になっていて。私自身ラブコメはこれまであまり好んで読むタイプの作品ではなかったんですけど、『正反対の君と僕』にはめちゃくちゃハマってしまいました。読み進めていくと『ルリドラゴン』と『正反対な君と僕』って通ずるものがあるんですよ。例えば、「拳で語り合う」系の非言語コミュニケーションと違って、登場人物たちがあらゆる場面で言葉でコンセンサスをとることが重要視されている点とか、それぞれのキャラクターや関係性が主人公ひとりの物語に収束しない点とか。そうした点で最近のジャンプの方向性の流れは汲んでいるのかなという印象を受けました。そこで『チェンソーマン』の第二部を読んで思ったことなんですが、『進撃の巨人』新章では主人公のエレンが登場しないところからスタートしたじゃないですか。つまり、物語を一方向だけから見た描き方をしない、みたいな最近の路線を行っているのかな、と。藤本タツキ先生がというよりも、近年の作品全体のトレンドかもしれませんが。
成馬:『東京喰種』(石田スイ)も続編の『東京喰種トウキョウグール:re』では視点が大きく切り替わりましたよね。確かに登場人物を増やして多角的な視点から描くというのは最近のフィクションの流れかもしれない。
倉本:第一部では、悪魔に恐怖すればするほど、その悪魔は強くなるという設定がありましたよね。それに対して、デンジは思考がぶっ飛んでいるから、そもそも恐怖することがない。だからめちゃくちゃ強いという展開だったけれど、第二部に登場する戦争の悪魔は、恐怖ではなく罪悪感を抱かれるほど強くなっていくという……。罪悪感ってまともな人の方が抱きやすいから、ぶっ飛んでいればいるほど強いチェンソーマンと、まともであればあるほど強くなる可能性がある戦争の悪魔は、対比的で面白いなと思いました。あと、第一部と第二部では世界観がそんなに変わらないのかもしれないけれど、学校が普通に存在していることに驚きましたね(笑)。
成馬:ただ一方で、学校に通っている子たちのほとんどは、両親が悪魔に殺されてるんですよね。101話では、政治家が街頭で以下のような演説をします。
「私の周りには20人ほど話を聞いて下さる人達がいますが、この中で老衰で死ぬ事ができるのは5人のみです 残りの5人が病気で死に 1人は交通事故 1人は人間に殺され もう1人が自ら死を選びます そして残り7人が悪魔に殺されるのです…! <チェンソーマン二部 第101話より>」
このセリフに登場する数字は、生々しいなと思いました。悪魔の部分をコロナに置き換えて読むこともできるし、通り魔的な犯行で命を落とす人の数にも聞こえる。「死」がすごく身近にあっているけど「日常」はなんとなく続いているという、今の気分を反映していると思いました。