『俺の妹』『エロマンガ先生』かんざきひろが語る 業界屈指のマルチクリエイターの仕事術

マルチクリエイター・かんざきひろ
アニメ化もされた『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』をはじめ、その後の『エロマンガ先生』など、ライトノベルのヒット作の挿絵を手掛けているイラストレーターのかんざきひろ。そのかわいらしい絵柄は書店の店頭でも一目でかんざきの作品とわかるほど目を引き、その後のイラスト界隈に与えた影響も大きい。
そんなかんざきは実に多彩な一面をもつ。アニメーターとして本名の織田広之、ミュージシャンとしてはHiroyuki ODAもしくは鼻そうめんPの名義で活動。月宮雫や姫森ルーナなど、VTuberのキャラクターデザインも務め、楽曲の提供も行っている。イラスト以外の仕事でかんざきを知った人も少なくない。
マルチクリエイターの走りともいえる八面六臂の活躍を見せているかんざきひろ。今回、2024年11月8日に自身3冊目となる画集『かんざきひろ画集 Home.』(KADOKAWA)が刊行されたかんざきにインタビュー。自身の絵柄の変遷について話を聞いた。
3冊目の画集が刊行

――このたび、2015年以来実に9年ぶりとなる、3冊目の画集『かんざきひろ画集 Home.』が2024年11月8日に刊行されました。前回の画集には収録されなかったライトノベルの絵を中心に、多彩な作品が多数掲載されていますね。今回の主な見どころを教えてください。
かんざき:前回からかなりの年月が経っていますが、その間、どんな作品に関わっていたか、読んでいただければわかるようになっています。ライトノベルやVTuberなどのメジャーな仕事から、残念ながらサービス終了してしまった希少なものまで網羅しています。また、時代的にはVTuberに関わったことが大きな変化でもあります。そういった作品が多いのがポイントでしょうか。
――その間、かんざき先生の絵柄も変化していますよね。もっともわかりやすい例を挙げると、特徴的なのはキャラの目の大きさが小さくなったことではないでしょうか。
かんざき:一目瞭然ですが、めちゃくちゃ変化していますね。アニメーターの仕事もしているので、関わった作品の影響も受けますし、ある程度の流行も意識はしています。同人をやっていた時の感覚で、好きな作品を追いかけているうちに影響されることもあったと思います。ただ、意図して変えようということはなく、数年の間にいろいろな作品に関わるなかで、自然に変化したのでしょうね。
――これまでのイラスト関連の仕事のなかで、会心の出来といえる仕事を教えていただけますか。
かんざき:もし、そんな仕事があったら絵を描くことをやめてしまうかもしれませんから、ないですね。良いものを作りたいと思って描いてはいますが、常に反省点は出てきてしまうので、次に活かしたいと考えています。一生そうなのかもしれません。
仕事は、実はめちゃくちゃ遅いんです(笑)
――かんざき先生は1999年にデビューして以来、美少女ゲームの原画家、アニメーター、イラストレーター、さらには作曲まで多岐にわたる仕事をしています。美少女ゲーム関連のクリエイターにはマルチプレイヤーがたくさんいましたが、かんざき先生ほど多彩な側面をもつ方は珍しいと思います。
かんざき:学生時代にインターネットやその前身のパソコン通信などを利用して、自作の絵や曲を公開していたのですが、そこで知り合った人づてに美少女ゲームの原画の仕事を紹介されました。そこでプロデューサーに逃げられたりと、いろいろなことがあったのですが、立て直しに尽力してくれたプログラマーが立ち上げた制作会社に入り、いくつかの作品に関わることができました。
――美少女ゲームの仕事を経て、アニメーターの仕事もなさっています。
かんざき:もともとはアニメーター志望だったんですよ。美少女ゲームの仕事は順風満帆ではあったものの、このままこの仕事を続けていいのか悩み、意を決して会社を辞めて、いろいろな制作会社へ持ち込みをすることにしました。その過程で知り合った、アニメーターで演出家でもある入江泰浩さんに、オリジナル作品の企画用にイメージボードを描かないかと誘われまして、ボンズさんに席を置かせていただくことになりました。
――ボンズさんではアニメーターとして、どんな仕事をなさったのでしょうか。
かんざき:イメージボードの仕事をしながら、1年ほど原画の描き方からいろいろと面倒を見ていただき、そこからは普通のフリーアニメーターと同じように仕事をこなすようになりましたね。制作もアニメーターも若い同年代の者が多く、年長者の偉大な先輩方のもとで大変ではありましたが、寝食を共にする仲間とともに、楽しく充実した時期を過ごしていた気がします。
――アニメーターは短時間でかなりの枚数の絵を仕上げないといけない仕事ですが、かんざき先生は仕事の速度はどうだったのですか。
かんざき:それが、めちゃくちゃ遅いんです(笑)。早そうといわれますが、そんなことはないですね。原画を描いていても集中力があまりないので、しょっちゅう中断しますし。とは言っても、あまり遅すぎても食べていけませんから、それでも月に20~25カットくらいが最高だったかな。ただ、職場には僕と同じくらい遅い人がいたので助かりましたよ(笑)。
中学受験に合格したらパソコンを買ってほしい
――かんざき先生は、いつ頃からCGを制作しておられたのでしょうか。
かんざき:高校生くらいでしょうか。PC-9801などが主流だった1990年代にマウスで絵を描き始め、パソコン通信を利用してネットに公開するようになりました。アナログでも描いていましたが、昔はアナログで描いたものをネットにUPするのは大変だったんですよ。なにしろ、スキャナの値段が高い一方で、解像度が低い。一応お下がりみたいなものをもらったことがあるのですが、思えば、あの時代のスキャナは本当に精度が低かったですね。
――かなり早い段階から、デジタルでイラストを描いていることに驚きです。当時、高校生でパソコンをそこまで使いこなしていた人は珍しいと思います。
かんざき:父がパソコンを使う企業に在籍していましたし、新しもの好きという性格があったんだと思います。パソコンに興味を持ち始めたのはもっと前で、小学生の時、親に自分にもパソコンを買ってくれとおねだりしたんですよ。私立中学を受験し、合格したら買ってもらうという約束をしました。
――そ、それは凄いですね。しかし、当時の子どもは家庭用ゲーム機で遊ぶのが普通でしたよね。
かんざき:僕はファミコンの世代ですし、小学生の頃から遊びまくっていましたが、飽きてしまったんです。そんなとき、クラスの友達がMSXを買っていて、なんだこれはと驚いたんです。ファミコンにないゲームができるとわかって、興奮しましたね。
――小学生のころからパソコンのゲームに触れているのですね。
かんざき:近所に小さなパソコンショップがあって、店頭でデモを流していました。多感な時期なので、「パソコンはすごい!」と釘付けになってしまったわけです。ただ、ゲームをやるためだけに親にパソコンを買ってもらうわけにはいかないでしょう。買ってもらう理由を頑張っていろいろ並べました。
ネットのコミュニティにハマる
――そして、受験に成功し、めでたくパソコンをゲットできたわけですね。しかし、多感な時期にパソコンを手にしてしまったら、それこそ没頭してしまったのではないですか。
かんざき:中学生の頃は、夜中に睡眠不足になるくらい、時間があるとチャットに入り浸っていました。高校生のときにはネットで知り合った人たちのオフ会にも参加していましたし、仲良くなった人と遊びに出かけていました。とにかく欲望に忠実だったと思います。当時は、草の根BBSがいっぱいありましたが、今みたいな個人情報の保護なんてないので、ホストの住所が普通に載っていたんですよね。
――そして、ネットにイラストもUPしていたそうですね。
かんざき:イラストを描いたら、やっぱり見てもらいたいと思うじゃないですか。描いた絵をUPして、ダイレクトに反応がもらえるのは嬉しかったですよ。当時のネットは今のSNSみたいな広がりがない狭い世界でしたから、どんなに褒められてもいわば“お山の大将”なのですが、それが逆によかったと思うんです。今は上手い人がいくらでもいますし、絵を載せてもまったく反応がないこともあるでしょう。昔は、ちょっと描けるだけで褒めちぎってもらえたんですよ。
――ネット黎明期らしい、素敵なコミュニティですね。
かんざき:オタクの先輩方もめっちゃ褒めてくれましたし、宣伝用のCGを描いてくれ、と依頼があったこともありました。“かんざきひろ”のペンネームを作ったのもこのころです。“ひろ”は本名から。“かんざき”は、“ひろ”だけだと名前が被りやすいので、たまたま見ていた『天空のエスカフローネ』の主人公の“神崎ひとみ”からいただきました。最近になってSNSでペンネームの由来について書いたところ、先輩の小森高博さん(注:『天空のエスカフローネ』作画監督・原画)に爆笑されましたね(笑)。
美少女ゲームとの出合いと影響
――学生時代から、漫画やアニメがお好きだったんですね。
かんざき:中学生の時は体育会系の部活に入り、こっそりそういう人間と付き合う感じでしたが、高校生の頃はオタクまっしぐらですよ。『エヴァ』にはハマっていましたし、あの頃のキングレコード系統というか、テレ東のアニメはよく見ていましたね。しかも、高校では富士通のFM TOWNSを持っている友達がいたんです。98でやれることがしょぼいなと感じていたころだったので、彼の家にはよく遊びに行っていました。
――オタクの鑑のような(笑)、充実した高校時代を過ごしていますね。
かんざき:パソコンやネットにはまりすぎて、高校の成績は最悪でした。僕は大学では工学部系だったのでADSLなど、自分の嗜好に合った授業も受けることができたのですが、勉強はやっぱり全然しなかったですね。ただ、大学では勉強はしなかったのに、設備はフル活用していましたよ(笑)。当時のネットは、接続して利用するだけでかなりお金がかかりました。ところが、大学ではそれがタダで使えましたから、ますますネットにのめり込んでいったわけです。
――2000年前後は、大学に籍を置きながら美少女ゲームの原画を手掛けています。先生が仕事を始めた頃の美少女ゲーム界のイメージはどんなものでしたか。
かんざき:当時はパソコンといえば美少女ゲームが非常に力を持っていた時代で、オタクで絵を描く者にとって憧れの職業でもありました。みつみ美里さんや甘露樹さん、竹井正樹さんなどスターのような原画家がたくさんいた時期ですし、かなり影響を受けましたね。
――実際にゲームもプレイされていたのでしょうか。
かんざき:もちろんです。アリスソフトやLeafなどの有名どころの作品は普通にゲーマーの立場でプレイしていましたし、普通に死ぬほどゲームをやっていたと思います。言葉で言い表せませんが、みつみさんたちの絵は当時出ていた作品の中では頭一つ出ていた印象を受けます。あの当時は16色のグラフィックだったじゃないですかね。その中で映える絵だったと思います。
――みつみ美里さんの絵からの影響を公言される方は多いですね。美少女ゲームの原画家は最先端で、スターのような存在でした。
かんざき:当時はめっちゃアクティブだったので、コミケがあると作った本を持って、本人のところに突撃していました。ただの一ファンだったのですが、今でもつながりを持たせていただいているのはありがたいです。