『チェンソーマン』第二部「モテたいから戦う」というヒーロー像はアリなのか!?

 『チェンソーマン』(藤本タツキ)の第二部がなんだか変である。変、というのは私の場合、褒め言葉として使うことが多いので誤解のないようお願いしたいが、藤本タツキはいま、あえて“面白い漫画”の定型(パターン)から外れた形で物語を動かそうとしているように思えてならない。

 むろん、ひとえに“面白い漫画”といっても人それぞれだろう。しかし、主人公が何を成し遂げようとしているのかがわからないまま進んでいく物語を、「面白い」と感じる人はそれほど多くはないのではないだろうか。近年の他のヒット作――たとえば、『鬼滅の刃』(吾峠呼世晴)の主人公には、「鬼にされた妹を人間に戻す」という強い意志があり、『東京卍リベンジャーズ』(和久井健)の主人公には、「かつての恋人を救うため、過去にタイムリープして未来を変える」という使命があるわけだが、いずれもそうした、いわば“主人公の戦いや冒険の動機(目的)”は、第1話の段階で明示されている。

 だからこそ読者は安心して、つまり、“いま読んでいる漫画の主人公がどこに向かおうとしているのか”を頭に入れたうえで、2話目以降の物語を追うことができるわけだが、『チェンソーマン』の第二部については――本稿を書いている時点ですでに7話分が公開されているにもかかわらず――いまだにそれが“どこ”なのか、まったくわからない。具体的にいえば、第二部でも相変わらず、主人公のデンジ(チェンソーマン)は悪魔と戦い続けてはいるのだが、それがなんのための戦いなのか、はっきりと明示されてはいない(ちなみに第一部では、物語の序盤で、彼がなぜ悪魔と戦うのかは明かされている)。

※以下、『チェンソーマン』のネタバレを含みます。同作を未読の方はご注意ください。(筆者)

 とはいえ、第二部の6話目(第103話)で、ある人物に、「(いまでも)キミはなぜ チェンソーマンになって 悪魔と戦ってるんだ?」と訊かれたデンジは、「チェンソーマンだってみんなにバレてえから」と答えてはいる。そして、「だって バレたらよ~! すげーモテちゃうから!」とも。

 果たしてこれは、“少年漫画の主人公の戦う動機”になりうるのだろうか。私はそうは思わない(ブラックユーモアを交えた青年漫画か、ギャグ漫画なら、「モテたいから戦うヒーロー」という設定はアリかもしれないが……)。

 むろん、第一部の終盤でもデンジは、多くの人々がチェンソーマンにエールを送る映像を観て、興奮し、「チェンソーマンになりたい」と思ったりもしていたわけだが、この時の彼には、愛する女性――すなわち、「面白くない映画はなくなった方がいい」などと考えている「支配の悪魔」ことマキマとの決着をつけなければならないという“戦う動機”が別にあった。なお、ここでいう「面白くない映画」とは、おそらくは“糞みたいな人生”や“退屈な日常”の比喩であり、それを認めないというマキマに対し、デンジは、「じゃ やっぱ 殺すしかないな」という決断を下すのである。いずれにせよ、これが、(たとえ「ダーク」という言葉が頭につく存在であるにせよ)「ヒーロー」というものの本来あるべき姿だろう。

 ところが、いまのところ、第二部のデンジには、そうしたヒーロー性はまったく感じられない。では、いまの彼は一体なんのために戦っているのかといえば、考えられるのは以下の4つだ。

【1】第103話でデンジがいったこと(=「チェンソーマンだということがバレて、モテたい」)は、本心である。
 ただし、繰り返しになるが、それだけでは、少年漫画のヒーローの戦う動機としては(いかに変化球の作品だとしても)不純である前に、「弱い」と私は思っている(むろん、戦う目的が別にあり、その上でモテたい、というのならアリだ)。また、そもそも、それほど正体をバラしたいのなら、人前で変身すればいいのでは、という気もしないではない。

【2】いま物語に登場しているデンジ/チェンソーマンは偽者である。
 第二部のある回で、悪魔に人質にとられた人間たちを、チェンソーマンがあっさりと見殺しにして(いわゆる「トロッコ問題」を無視して)、その場にいた猫だけを助ける場面が出てくるのだが、こうした行動は、第一部のデンジと比べ、違和感がなくはない(とはいえ、第104話で、かつて人を一人だけ食べた、とさりげなく告白している様子を見るに、“本物”だと考えていいと思うが)

【3】「支配の悪魔」に支配されている。
 第一部の最後で、“消失”したマキマに変わって、新たな「支配の悪魔」になったナユタという少女をデンジが保護する、というエピソードが描かれているのだが、もしかしたらデンジはすでにその少女に「支配」されているのかもしれない。ただしその場合も、「支配の悪魔」の目的や動機は不明である。

【4】まだ読者には明かされていない、何か別の戦う目的や動機がある。

 個人的には【4】だろうと思ってはいるのだが、だとしたら、さすがにそろそろ第二部の物語がどこに向かっているのかくらいは明かされてもいいように思える。

 しかしその一方で、この『チェンソーマン』の第二部が、何がなんだかよくわからないながら、現時点でも充分すぎるくらいに面白い、というのもまたひとつの事実ではあるのだ。だからこそ私は、冒頭でこの漫画のことを「変」だと書いたわけだが、それはもしかしたら、第一部におけるデンジの壮絶な戦いを見てきた我々読者が、いまなお彼の“正義”を信じられていることの証なのかもしれないし、そうでなければ、現時点までの物語が、本来は主人公の“敵”として設定されているはずの、「戦争の悪魔」と三鷹アサのふたりに感情移入して読める作りになっているせいかもしれない(「人々から忘れられたくない」という「戦争の悪魔」の本音や、アサの“孤独”と“悲しみ”に共感している読者は少なくないだろう)。

 いずれにせよ、近い将来、主人公・デンジの本心(=戦う動機)が明らかになった時、『チェンソーマン』の第二部は、これまでとは違う形の“面白さ”を見せ始めるだろう。10月11日24時からはテレビアニメの放送も始まることであるし(テレビ東京ほか)、本作から目が離せない日々が、当分のあいだ続くものと思われる。

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