帰属の欲望に介入するアート――ニコラ・ブリオー『ラディカント』評
書物という名のウイルス 第8回
二人のアーティストによるラディカントな仕事
このような状況下で、アイデンティティやモノをその帰属から解き放とうとするラディカントの美学は、いかに可能になるだろうか。根に執着するのではなく、接ぎ木や転位や翻訳へと開かれた「出エジプト」型のアートには、いかなる展望があるだろうか。ここで注目に値するのは、近年のインスタレーションや彫刻において、頭脳的にも感覚的にも洗練されたラディカントな仕事が見受けられることである。
例えば1974年生まれの宮永愛子。宮永のアートは、日常生活に溶け込みやすいもの――家庭の台所やタンスにもあるナフタリンや塩――を使って、自然のうつろいや循環を見事に捉えている。宮永がナフタリンで造形した事物(靴や帆のように移動に関わるオブジェ)は展示中にも静かに気化し、その形を失って朽ち果ててゆく。しかし、それは消滅ではなく、むしろ形態間の翻訳である。モノが自然の作用を受けて別の形をまとおうとする、その中間的な《ま》に観客は立ち会っているのである。
宮永の扱う素材は、構築的というより環境的である。例えば、《漕法Ⅰ》では大量の海水を使って、漁師の網に塩の結晶をまとわせる。熟練の手仕事が網を作り、その《ま》の多い網が微細な塩の彫刻を生み出し、その彫刻の発する粒子が空間を立ち上げる――時間と空間そのものがゆっくりと呼吸するようなこのプロセスのなかで、形の翻訳が静かに進められる。並の作家がナフタリンや塩を扱おうとしても、たいていはその繊細さを保ち切れずにダメにしてしまうだろう。素材や空間についての深い研究に裏打ちされているからこそ、宮永はモノを《ま》へと翻訳できるのである。
思えば、近代建築を象徴する素材は「ガラス」であった。この硬質ですっきりとした物質は、すべてを公開しようとする近代の原理と対応している。逆に、宮永の好む透明樹脂は、ガラスのようなシャープな透明感をもたないぶん、自然のサイクルを包み込む器としてはぴったりである。「梱包された環境」(磯崎新)の系譜に連なる透明樹脂のアートは、秘密めいたやり方で粒子を保存する。秘密を公開するのではなく、梱包しようとする展示空間――それがときに、生活の匂いの沈殿した古民家を思わせるのも、偶然ではないだろう。
さらに1980年生まれの毛利悠子。毛利の代表作《パレード》はいわばアレクサンダー・カルダーの《モビール》彫刻を腹ばいにして、夏休みの工作に置き換えたような風情のインスタレーションだが、そこに電気が流れると、どこにでもあるようなジャンクな道具たちが賑やかに共鳴し始める。人間にはお構いなくお祭りを始めた日用品たち――そのユーモラスな遊びのなかで、モノは跳ね上がり、ぶつかり、寝入り、音となる。モノは自己に閉じこもることをやめて、軽やかなエネルギーへと変換されるのである。
その一方、十和田市現代美術館でのインスタレーション《墓の中に閉じ込めたのなら、せめて墓なみに静かにしてくれ》(2018年)では、より立体的な構成が試みられる。そこでは回転するスピーカーが音と振動を転位させ、さらに中央の螺旋階段はとぐろを巻いてエネルギーを放散させながら、壁に影を投げかけるのだ。ウラジーミル・タトリンの《第三インターナショナル記念塔》を参照したこのインスタレーションは、かつてのラディカルな前衛を回顧しつつ、それを大胆に変奏して、前代未聞のサウンド・アートとして運動し続けていた。
毛利自身は「見えない力」を自作のコンセプトとしているが、それは「乗り移る力」と言い換えてもよいかもしれない。カルダーが動きを暗示するのではなく、動きそのものを捉えたのと同じく(サルトル「カルダーのモビル」『シチュアシオンⅢ』所収参照)、毛利もとるにたらない環境的なモノたちを使って、エネルギーの送受信を繰り返す。彼女のインスタレーションは、工作と音の楽しみを呼び覚ますユーモラスな翻訳機である。モノが別の形態へと乗り移ろうとする、その《ま》の多面体ほど、観客の想像力を刺激するものがあるだろうか。
表面的な印象を言えば、宮永の作品が静謐で自然的であるのに対して、毛利の作品は賑やかで機械的である。陶芸家の家に生まれた宮永が、形をもたないものに束の間の形を与え、静けさのなかに幽かな音を響かせるのに対して、秋葉原でジャンクをあさっていた毛利は、ときに台座もとっぱらい、地面を占有してエネルギーを転移させてゆく(腹ばいの保育園児たちが遊びのフィールドを拡大していくように?)。その点で、両者の作品は鮮やかなコントラストをなしている。
しかし、私はむしろ両者の共通性に心惹かれる。宮永にせよ毛利にせよ、何の変哲もない日用品たちから、実に豊かな共鳴や運動を引き出している。彼女らはモノを特定の帰属から解放している。宮永のナフタリン・アートは別の形態へと静かに変わり続け、毛利のジャンク・アートは音や影へとたえず翻訳される。これらのユニークなオブジェはわれわれの「モノへの執着」を満たすが、眼前のモノだけに目を奪われていると《ま》の広がりには気づかない――それはまさに「まぬけ」である。しかし、一度は具体的なモノに魅入られなければ、抽象的な《ま》も浮かび上がってこない(※)。それも確かだろう。
してみると、宮永や毛利が制作したのは、モノへの感染とモノからの離脱が同時に生じるようなメディウムではないか。それは根無し草の不安をかきたてるよりも、むしろ「フロー」(ボリス・グロイス)の世界との新しい出会い方のデモンストレーションとなる。もとより、両者のコンセプトは「ラディカント」として要約できるほど単純ではないにせよ、そこにはボードレールやデュシャンの構想と気脈を通じるものがある。ブリオーの議論は、魅力的なアイディアと創意に富んだ作品によって更新されてゆく必要があるが、その未来は実はわれわれのすぐそばで、すでに芽吹いているのだ。
(※)思うに、具象画とは地上的なイメージ、肉眼で見える地上のモノを根拠とするイメージである。しかし、空中や地中では具象的な形は崩れて、抽象的なイメージが奔放に動き始める(私は飛行機内から雲上を眺めるたびにマーク・ロスコの抽象画を思い出す)。さらに、肉眼ではまったく見えないウイルスの画像は、抽象画のようにぼんやりしている。要するに、地上のモノたちを取り巻く環境は、抽象の尺度でなければ捉えきれない。具体的な日用品で構成されながら、抽象的な《ま》まで豊かに含んだ宮永や毛利のアートは、それ自体が世界の縮図なのである。