ジャガーさんはDIY精神で激動の時代を生き抜いたーー神田桂一が辿る、千葉のご当地スターの足跡

神田桂一の『ジャガー自伝』レビュー

バブル崩壊の苦難を経て...

 そして、ここに重要人物が現れる。MJことみうらじゅん氏である。みうらじゅん氏は80年代半ば以降、「HELLO JAGUAR」で知ったジャガーさんを絶賛し、ジャガーさんがやることなすことを「新しい」と褒めまくるのである。確かに、ジャガーさんは狙ってサブカルを演じているのではなく、完全に天然である。そこにみうらじゅん氏が気づいたのだ。ジャガーさんのことを、「成り上がり」ではなく、「上がり成り」と命名するなど、ジャガーさんの名言を作ったり、引き出したりしていく。「上がり成り」とは、成功してから好きなことをすることという意味で、今、元ZOZOの前澤社長がバンドを始めたら確実に「上がり成り」である。

 そんなジャガーさんにも苦難の時期が訪れる。90年代初頭のバブル崩壊である。「洋服直し村上」はバブル景気のDCブランドブームで儲けていた部分がかなりあった。高い服を買った顧客は、ちょっとやそっとのことで服を捨てない。直して長く着るのが普通だったのだ。しかし、時代は段々とファストファッションを要請するようになってきていた。服は捨てるもの。そんな時代に突入していたのである。「洋服直し村上」も支店が減り、社員が会社のカネを横領していたことが発覚したり、持ち逃げされたり、色んな問題が起こった。ジャガ―さんは、何千万もした録音機材や本社ビル、ライブハウスを売ったりして、なんとかしのいだが、もう疲れ果てていた。また一から始めればいい。もうジャガーは封印する。そして、みうらじゅん氏にジャガーを辞める旨の手紙を書いて、「HELLO JAGUAR」も9年の幕を閉じることとなる。

 ジャガーさんはその後もときおり復活し、実は後進の育成にも一役買っていたりして、運命づけられた人生は続くのだった。日本の激動の戦後に翻弄されながらも、DIY精神を持って力強く生きていく社長像が記された本書は、規模の大小はあれど、本田技研の本田宗一郎や、松下電器の松下幸之助、ソニーの井深大の自伝と何が違うのだろうか、と僕は思う。ジャガーさんの自伝は、日経新聞の「私の履歴書」で連載されるべきだったのだ。

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