ジャガーさんはDIY精神で激動の時代を生き抜いたーー神田桂一が辿る、千葉のご当地スターの足跡

神田桂一の『ジャガー自伝』レビュー

 千葉を愛するご当地スターのジャガーさんが、自身の人生について書き下ろした『ジャガー自伝 みんな元気かぁ~~い?』(イースト・プレス)が刊行された。「洋服直し」店の起業やロックミュージシャンとしての活動の裏側などが赤裸々に綴られている。住居も起業も音楽もTV番組も、すべてDIYでやっていた男の生き様から見えてくるものとはーー。『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』や『台湾対抗文化紀行』などの著作で知られる、ライターの神田桂一氏にブックレビューを寄稿してもらった。(編集部)

自分で自動車をつくってしまうDIY精神

 先日、千葉のローカルタレントとして知られるジャガーさんが、ジャガー星に帰還したことが、所属事務所より発表された。時期や理由は明らかにされていないが、もう地球には帰ってこないであろうことが匂わされていた。そんなタイミングで刊行されたのが、『ジャガー自伝 みんな元気かぁ~~い?』(イースト・プレス)である。

 僕は、大阪の生まれで、東京に出てきたのは、2003年。時すでに東京でジャガーブームが一段落した頃である。なので、時折、ツイッターのタイムラインに出てくるジャガーさんの動画を見ても何が面白いのかちんぷんかんぷんであった。

 しかし、自伝を読んで、僕は理解した。ジャガーさんの偉大さを。その存在の大きさを。ジャガーさんの人生を読んでいると、まるで初めからこうなることが運命づけられていたかのような錯覚に陥る。すべてが必然だったかのような。つまり、幼少のときに撒いた伏線が、大人になって見事に回収されていくのである。

 1944年生まれのジャガーさんは幼少の頃から何かを自分でつくることが大好きだった。木更津第一高校(現:木更津高校)に通うようになると工作に夢中になる。そして、なんと自分で、自動車を作ってしまうのだった。このエピソードには参った。同時に裁縫も得意だったジャガーさん、姉や妹の服を作ってあげたり、自分の服を作ったりしていた。それが、後の1979年の「洋服直し村上」(ジャガーさんの地球での名前は村上牧彦)の起業に繋がるのである。

 起業で大成功したジャガーさんは、80年代初頭から好きな音楽活動に力を入れるようになり、レコードを出そうと企画する。それも、すべて自分のおカネでプレスし、自分でレコード・レーベルを作り、発売するという魂のインディペンデント精神(メジャーすべてから断られたため。時はバンドブーム、ジャガーさんの音楽性は理解されにいくかった)。そこでCMの営業に来た千葉テレビの社員と知り合い、伝説の番組「HELLO JAGUAR」が1985年に始まるのである。その制作ももちろん、ジャガーさんがひとりでやった。この根底にあるDIY精神が、ジャガーさんの人生を運命づけた方向に持っていくのである。

 ひとりポートランド・ジャガーさんの「HELLO JAGUAR」は、静かな反響を得て、当時、もっとも尖っていた雑誌「宝島」に発見されることになる。今とは違い、ネットのない世界である。雑誌が唯一の情報の媒介として機能していた頃の話、ジャガーさんの情報が続々と「宝島」に集まるようになる。どんどんジャガーさんのことが盛り上がり、最終的にはテレビ番組で紹介されるまでに。まさに「JAGUAR現象」(ジャガーさんのアルバムのタイトル)である。しかし、このテレビ番組も東京ローカルで、大阪に住む神田青年には届くことがなかった。

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