手塚治虫はいかにして名作『ブラック・ジャック』を描いたかーー漫画の神様がどん底で味わった“絶望と希望”
ではなぜ手塚治虫が、時代遅れの消えかけた漫画家との評をひっくり返すような作品を、このタイミングで描くことができたのだろう。
筆者は、前述した状況が、こと本作の創作に関してはプラスに転じたと考える。
念願だったアニメーション制作の場を失い、作品を発表する場も減りつつある、消えかけの漫画家・手塚治虫自身が、後に“どん底”と称したこの状況も見方を変えれば、これまで各誌の編集者が仕事場に泊まり込んで原稿を待つほど多作で、アニメーションなどの他分野にまで放出していた巨大な才能を、限られた作品に集中させる絶好の機会でもあった。
また『ブラック・ジャック』のキャラクター造形にも、虫プロダクション・虫プロ商事の悲劇が影響しているのではないだろうか。
虫プロダクションで社長を務めていた頃の手塚治虫は、実印を貸してほしいと言われたら、書類もろくに見ないでそのまま渡してしまうほど経営や金銭に無頓着だったという。そのため二社の倒産後ほうぼうに覚えのない多額の借金があることが発覚した。
同時にアニメーションの質を上げるためであれば、採算は度外視で私費を投じることも厭わなかった。
冷淡に高額の手術代を要求する一方で、時には無償でも治療を施す、ブラック・ジャックのこの二律背反とも取れる行動は、経営者として現実にうちのめされた自分への後悔と、それでも自分が信じる道を進もうとする決意が投影されているようにもみえる。
そしてこうした一見矛盾した行動理念は、奥深いキャラクター像と複雑なドラマを生む源泉となる。少なくとも『ブラック・ジャック』を読んで、単純明快なヒューマニズムあふれた作品と感じる人はいないだろう。
“漫画の神様”が、過酷な現実をつきつけられ、それでも夢を見ようと足掻いた作品ーー『ブラック・ジャック』がいまなお読者を魅了し続けるのは、手塚治虫の当時の絶望と希望が作品に込められているからかもしれない。
最後に、この稿を書くために資料をあたっているうちに気が付いたことがある。
前述したように『ブラック・ジャック』の第1話「医者はどこだ!」はスポーツカーが疾走(暴走)するシーンで始まるが、これは手塚治虫の単行本デビュー作『新宝島』も同様だ。根拠はないが、もしかしたら再起を意図しての演出だったのでは、とつい邪推してしまったことを記しておく。
■倉田雅弘
フリーのライター兼編集者。web・紙媒体を問わず漫画・アニメ・映画関係の作品紹介や取材記事執筆と編集を中心に、活動している。Twitter(@KURATAMasahiro)