春日太一が語る、『時代劇入門』の執筆と映画の楽しみ方 「知らない人に向けてゼロから書いています」
時代劇研究家・春日太一氏の著書『時代劇入門』(角川新書)は、タイトルのとおり、時代劇の魅力について書かれた入門書だ。はじめに、時代劇を「なんとなく」楽しむためのガイダンスが書かれた後、時代劇の歩み、「とりあえず」知っておきたい基礎知識(ジャンル、ヒーロー、スター、監督、原作者)、そして、忠臣蔵、忍者、大河ドラマ、チャンバラといったトピックについて掘り下げられ、最後に『機動戦士ガンダム』を手掛けた富野由悠季監督のインタビューで幕を閉じるという構成となっている。読めば時代劇の魅力がよくわかる新書だが、同時に驚くのはその語り口である。
最初は気づかなかったが(この気づかないということ自体が実はすごいことである)、本書を読み終えた後、春日氏の他の著作を読み漁り、今回のインタビューの前に改めて『時代劇入門』を読み返したとき「なんで、こんなに読みやすいのだ?」と驚いた。まったく知識を共有していない人にゼロから何かを伝えるということはとても難しいことだ。しかし本書はすらすらと頭に入ってくる。おそらく筆者のようなライターや、教師のような人に何かを教える仕事をしている人ほど、この本の凄さに圧倒されることだろう。内容もさることながら、どうしてこんなに読みやすい本が書けたのか? 春日太一氏に話を伺った。(成馬零一)
時代劇研究家としてスタンス
――YouTubeで配信された藤津亮太さんとのトークイベント(『時代劇入門』刊行記念 春日太一×藤津亮太トークイベント URL:https://youtu.be/1WL6CKg1JKo)を拝見したのですが、『時代劇入門』は2014年に執筆した『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮新書)に対する、ある種のリベンジだったそうですね。春日太一(以下、春日):当時は思わなかったのですが『なぜ時代劇は滅びるのか?』で伝えたいと思っていたことを伝えきれなかった悔しさがあったんです。
――伝えきれなかったこととは?
春日:「ジャンルとしての時代劇の魅力を、ちゃんと伝えられなかった」ということです。業界批判ばかりに注目がいってしまって。それで2018年に時代劇研究活動15周年を迎えたときに自分のこれまでの活動を振り返り「自分がやるべき事は何か?」と改めて考え直したのですが、そのときに、時代劇研究家の本道に戻らないといけない。本来、僕がメディアに出ているのは時代劇の魅力を伝えるためじゃないか?と思ったんです。テーマごとに語ることはあっても、それは今までやってこなかった。だから『時代劇入門』では「時代劇そのもの」を語ろうと思いました。
――デビュー作となる『時代劇は死なず!完全版:京都太秦の「職人」たち』(河出文庫/2008年)と『なぜ時代劇は滅びるのか』、そして今回の『時代劇入門』は、テーマがつながっているように感じました。
春日:取材を受けるたびに「なんで時代劇を扱うとなると、こんなに雑な捉え方になるのだ」という不満があったんです。ちゃんとした評論家や記者の方でも、時代劇を語るときは雑になる。それがとても嫌だったので、論点の整理をするために当時『なぜ時代劇は滅びるのか』を書きました。あの本で言いたかった事は「時代劇本来の魅力」でした。『水戸黄門』は王道ではなく亜流に過ぎないということ。そして、時代劇状況における論点の整理。この前半が僕の書きたいことでした。後半に書かれた現状に対する批判は、本にするために付け足したものだったのですが、そこばかりに注目が集まってしまい「とにかく悪口を言ってくれ。毒舌を語ってくれ」と言われるようになってしまった。
「時代劇そのものに対する考え方」は、昔も今も変わってないんですよ。時代劇は気軽に楽しめるエンターテインメント。でも、その裏側には、たくさんの作り手が仕事をしている。そんな「作り手たちの声を届けること」と「エビデンスをもって語ること」が時代劇研究家としての僕のスタンスです。「時代劇の魅力をいかに語るか」という入り口があって、その時ごとの問題意識の在り方で出口が変わっていったのが、この三冊です。
わかりやすく、楽しく、さっと楽しめる
――『時代劇は死なず!』は「だ、だった」と過去形で語っていたのに対し『時代劇入門』は「ですます調」の現在形と語っていますね。
春日:基本的に作品ごとに文体は変えていて『時代劇は死なず!』の語り口は『プロジェクトX』でした。つまり、田口トモロヲのナレーションの口調です。プロの職人たちが困難を乗り越えていくというドラマは普遍的ですよね。黒部ダムに興味がない人でも黒部ダムを作った人たちの話になら興味をもってもらえる。だから、時代劇に興味のない人でも時代劇を作った職人の話には感動できるはずだと思い、時代劇版『プロジェクトX』という形で書きました。対して『なぜ時代劇は滅びるのか』は現状に対する自分の認識を語る必要があったので、一人称視点の語りとなりました。自分の本にはあまりない書き方です。
――『時代劇入門』は、どのようなイメージで書かれたのですか?
春日:まず「書き下ろしは大変だ」と思ったので、実際に講座を開き、喋った内容を書き起こそうと考えました。イメージとしてあったのは『実況中継シリーズ』(語学春秋社)という大学受験の参考書です。予備校の先生が語った受験用の講義をそのまま一冊の本にまとめたものですが、すごくわかりやすかったんです。あのイメージで書けば、難しい話でもすっと入ってきてもらえる。そう思ったので、喋ったものを書き起こしてもらいました。それでも、最終的にはかなり書き足したので、その書き下ろし箇所も喋り口調にしてあります。大学の講義と言うよりは予備校の講義ですね。予備知識のない人にも分かりやすく専門的な話を伝えるという。
――時代劇偏差値を上げるということですね。
春日:『ビリギャル』みたいなものですね。重要なのはスタート地点でして、予備校の先生は勉強に対するハードルを最初に下げてくれるんです。ただの詰め込みではなく「この知識はこういうことのために必要なんだよ」と言われると、教わる側も方向性が見えるわけです。高校の授業だと辛い勉強も、予備校で先生の話を聴いていると楽しくなるのですが、時代劇も同じだと思って。詳しい人はつい「分かっていて当たり前」「こんなのも分からないのか」と思いがちですが、「分からなくて当たり前」という意識が必要だと。予備校の先生はこちらに降りてきてくれて、引き上げてくれる。あの感じですね。
――本書を読んで一番驚いたのはまさにそこで。共通認識がない人に教える際の語り方が、実に見事だと思いました。
春日:僕の本は全部そうで、知らない人に向けてゼロから書いています。一度もマニアに向けて書いたことはありません。「マニアを商売の相手に選ばない」というのが僕の基本的なスタンスです。題材に応じて、文体やアプローチ方法を変えているだけで、読んでほしい人はいつも無党派層なんです。
――読者はすんなり読めると思うんですよ。ですが、書く側は大変ですよね。ゼロから説明して相手に理解してもらうことが、一番難しいので。
春日:いや、僕の場合はその方が書きやすいですね。学生時代に代ゼミ(代々木ゼミナール)に通っていたのですが、富田一彦さんという英語で一番人気のある先生が「一番知的なことは難しいことを書くことではなくて、義務教育を終えた人間なら誰でもわかる言葉で、すべてを伝えることだ」と言われていたことを今でも覚えています。つまり「すべての文章はすべての人がわかるように書かなければいけない」ということですよね。同時期に文章の師匠と言える先生が高校にいて、その人からも「わかりやすく書け」と教わりました。「わかりやすく、楽しく、さっと読める」それが僕の文章の基本として、身体に染み付いています。
――第一章のガイダンスで「なんとなくでいい」と敷居を下げてくれますよね。その後「とりあえず」という形で俳優、作家、監督、ヒーローといった時代劇を楽しむ上での文脈を教えてくれる流れが心地よくて、自然と頭に入りました。
春日:どういう順番で章立てするかという構成は悩みました。田んぼを耕すようなイメージなんですよ。何もない荒れ地に、いきなり種をまいても育たないので、まずは水を引いて耕す。耕した後で種を蒔くための道を作る。それが最初のガイダンスですね。僕は予備校マニアだったのですが、教えるのが上手い先生は、必ずそれをやります。まずは敷居を下げて、何を勉強すればいいのかを教えてくれる。いきなり難しい話をすると、拒否反応が起きるので、徐々に慣らしていき、気がついたら楽しくなっている。楽しくなったら、あとは勝手に詳しくなっていくものです。
――まさに時代劇予備校ですね。
春日:最初は寺子屋だと思っていたのですが、寺子屋と言うよりは予備校ですね。そもそも『実況中継シリーズ』が、予備校のテキストですので。「楽しみながら読んで、気付いたら頭に入っていた」というのが一番良い。これは『時代劇は死なず!』からずっと変わらない、僕の徹底したイズムです。