乙一×崇山祟が語る、怪談とメディアの関係性 映画・小説・漫画で広がる『シライサン』の恐怖

乙一×崇山祟が語る、怪談とメディアの関係性

 小説家・乙一が本名の安達寛高名義でメガホンを取った初の長編ホラー映画『シライサン』は、乙一本人がノベライズを、漫画家の崇山祟がコミカライズを担当したことで、劇中で怪談話が人々に伝播していくのと同じように、虚実の境目を超える広がりを持った異色のホラー作品となった。映画、小説、そして漫画と、異なる媒体で同じ怪異を扱ったことで、その表現にはどんな奥行きが生まれたのか。「怪談とメディアの関係性」というテーマで、乙一と崇山祟に対談してもらった。(編集部)

崇山「物語の中に自分自身も取り込まれていくような感覚」

左、崇山祟。右、乙一。

ーー『シライサン』は“話を聞くと呪われる”系の怪談であり、映画、小説、漫画とメディアミックス展開することで、恐怖の世界が広がっていくのが面白かったです。この企画はどのような経緯でスタートしましたか。

乙一:もともとは映画の企画でした。ジャパニーズホラー映画を撮るなら出資してもらえるかもしれないとの話があり、映像にしたときに効果的だと思えるお化けの設定を考えて提案したところ、無事に撮ることができることになりまして、映画が完成したところで「小説もお願いします」と依頼を受けました。同時に、コミカライズの話も進んでいったので、じゃあ小説の中ですべてが繋がるようにしようと、ギミックを考えていきました。

ーー映画ありきで小説を執筆するというのは珍しいパターンでは。

乙一:珍しいパターンですね。でも、小説の出版を考慮に入れた上で監督させていただいてる、という意識はあったので、どちらにせよ書くだろうとは考えていました。

ーーシライサンは、どんなアイデアから作っていったのですか。

乙一:まず、『リング』シリーズの貞子とか『呪怨』シリーズの伽椰子みたいに、人を呪い殺すキャラクターを作ることになりました。なおかつ、貞子や伽椰子とはまた違う、映画的な恐怖を演出したいと考えて。最初は、家に出てきても気付いていないフリをしなければいけないお化けを考えたんですけれど、そこからさらにアイデアを練っていって、最終的に「見つめている間は襲ってこない」お化けになりました。僕が小説を書くときは、大体ストーリーありきでキャラクターを作っていくのですが、今回は設定というか、ルールを最初に決めてから話を作っていったので、新鮮でした。

ーー崇山さんは、完成した映画を観てから漫画版『シライサン』を描いたのですか。

崇山:はい、映画を観て、どういう風にコミカライズすれば面白いか、アイデアを練っていきました。ジャパニーズホラーの新しいキャラクターを描いた作品であると同時に、映画には怖さだけではなく、透明感や静けさも感じたので、そこから青春モノにしようというアイデアが生まれました。怖さだけではない何かを抽出したいと考えながら鑑賞しましたね。

――小説の中で、主人公の瑞紀はシライサン怪談を聞いて、「そういうメタフィクション的な構造を持った怖い話って、世の中にはあるんですか?」との質問をしています。『シライサン』は、まさにメタ的な構造でメディアミックスされていますね。

乙一:実は映画の時点で、エンドクレジットにちょっとした仕掛けはしていて。二重の意味でのフィクション性が出てきます。小説を書いているときに、すでにコミックのネームは読ませていただいていたので、僕自身の勝手な楽しみとして、それもまたフィクションの中に取り込んでいくことにしました。

崇山:ありがとうございます。乙一さんの小説を読ませていただいたとき、まさか自分が書いた漫画が組み込まれているとは想像していなかった、いまだかつてない嬉しさがありました。小説の中に自分の作品が出るって、すごくレアな体験だと思います。おそらく、今回の企画で一番恩恵を受けたのは僕だと思います(笑)。物語の中に自分が書いたものだけじゃなく、自分自身も取り込まれていくような感覚がありました。

乙一「小説は読者の想像力に委ねることができる」

ーー乙一さんは映画と小説の両方で表現して、改めて気付いたことはありましたか。

乙一:映画を先に撮っていたので、小説を書くときに役者さんの顔や声が自然と浮かんできて、それは初めての経験でしたね。また、映画には予算の都合などでどうしてもできないシーンがあったのですが、それは小説の中で表現することができました。改めて小説という表現の自由度に気付くことができたのは、一つ収穫だったと思います。恐怖表現においても、映画と小説とではまったく違っていて。例えば映画ではお化けのビジュアルが出てしまうと、ホラー慣れしている人はそこで怖さがなくなってしまう。だから、どれだけビジュアルを見せずに観客の想像力を刺激するかが大事なのですが、シライサンは見つめていないと襲ってくるという設定なので、足元だけを映したりとか、いかにして焦らすかに苦心しました。そういう意味で、小説はいくら明快に書いても読者の想像力に委ねることができるので、やりやすかったです。一方で、小説は文章による表現だから論理性を求められる部分もあって、映画の方が表現しやすいところもあると思いました。映画の場合、画で表現できるので、説明を省いて、曖昧な部分を曖昧なまま残すことができる。そこが強みだと感じました。

ーーどうやって怖がらせるか、表現媒体によってまったく違ってくるのは面白いポイントでした。崇山さんは、乙一さんの作品の魅力はどんなところにあると考えていますか。

崇山:やはりアイデアが素晴らしいと思います。今回の作品に関しては、「ネバーエンディング・ストーリー」を読んで、その世界に入り込んでいくような不思議な魅力を感じました。しかも、最初から狙っていたのではなく、メディアミックスが進んでいく中でそういうメタ的な構造が生まれていったのが面白いし、不思議です。この作品は、映画、小説、漫画のすべてを鑑賞すると、面白さが何倍にも膨らみます。僕らが感じた不思議な感覚をぜひ皆さんにも味わって欲しいです。都市伝説って、もしかしたらこういう風に生まれるのかもしれないなと思いました。

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