『閉鎖病棟』が問いかける“閉鎖”の意味とは? 24年間、読みつがれる原作小説から紐解く
「閉鎖」とは何なのか?
『閉鎖病棟』というタイトルの印象とは裏腹に、チュウさんの毎日は存外と自由だ。外出への制限は殆ど受けない。混乱が激しい患者や、周囲に危害を及ぼす恐れのある患者は、保護室などに入れられて身動きが取れなくなるが、それをチュウさんは「仕置き」とみなしている。拘束衣や鍵を使った厳重な「閉鎖」は、チュウさんとは関係ない。しかし、一見自由が利く生活の中にこそ、黒く淀む「閉鎖性」は姿を認められる。
この小説の登場人物は、三種類に大別される。患者と病院関係者、そして患者の家族だ。作中には、どういう立場にしろ、精神病患者を"知る"人しかいない。そこに人がいること、そして、そこにいる人を理解していると思っている人しかいないのだ。
"普通"の社会生活において、全てを知っている、ということはまずない。隣人の年齢ですら知らなくて済む世の中だ。多くの人は知っているだろう。世の中は僅かな知っているものと、多くの知らないもので構成されていることを。
だが、世界のすべてが「知る余地がないもの」で構成されたとき、そこに閉鎖性が生まれると私は考える。わかりきった日常、よく見知った相手、何十年と続くルーティン。そういったものが、『閉鎖病棟』の描写からよく見て取れた。
「知ろうともしない」ことが築く壁は大きい。作中付きまとう、諦め、未練、悔悟、忌避などは、知る余地のない「狭い毎日」において、逃れられない宿命のように思えた。本作では、医師が患者の意思を軽視したり、患者の横暴に対して病院側が手を打てなかったりという問題に対して、正解は示されない。だが、「相互理解」が重要なキーワードになりそうだ。病院関係者や患者が、お互いを、そして仲間を新たな角度で捉えた時、状況は変化する。知ることが、「狭い毎日」の幅を広げたのだ。
はたして、「閉鎖病棟」とは、施錠による閉ざされた空間のことを指すのだろうか?
最初チュウさんが自由に病院内を闊歩し、街に出る描写に触れたとき、私はタイトルに疑問を持った。しかし、読後の今、物理的な制約こそが人を閉じ込めるのだとは到底思えない。
『閉鎖病棟』における「閉鎖」の意味を、私は「知る余地のない狭い世界での閉鎖性」と見出した。が、それも私の狭い見識の中の話でしかない。この四文字の意味を各々が知ろうとしたとき、その意味は浮かび上がってくるのだろう。
※1
2001年、イーハーフィルムズにより『いのちの海 Closed Ward』というタイトルでも映画化された。
※2
平成30年版 犯罪白書 第6編/第1章/第5節(法務省)より
http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/65/nfm/n65_2_6_1_5_0.html
■まさみ
フリーライター。漫画・ゲーム・読書など主な趣味はインドア。広告代理店でコピーライターとして勤務後、独立。食らいついたものは、とことん掘り下げるタイプ。 @masami160206
■書籍情報
『閉鎖病棟』
帚木蓬生 著
価格:737円(税込)
判型:文庫
公式サイト:https://www.shinchosha.co.jp/book/128807/