『十二国記』を読むことは、未知の歴史の誕生を目撃することーー人と麒麟の重厚なドラマに酔う

細谷正充『十二国記』レビュー

 18年。小野不由美の「十二国記」シリーズの、新作を待った歳月である。その間、平成が終り、時代は令和となった。思えば、気の長い話である。だが、待つことに迷いはなかった。どうしても、あの不思議な異世界に生きる、人と麒麟の重厚なドラマを堪能したかったからだ。

 その渇が、ついに癒された。全4巻だという『白銀の墟 玄の月』の前半となる1・2巻が刊行されると、いそいそと書店に行ったのである。そして帰りのバスの中で、すぐさま読み始めたのだ。

 本書の舞台は戴国。ストーリー的には『黄昏の岸 暁の天』の続きなので、未読の人がいたら、そちらを先に読むといいだろう。『魔性の子』『風の海 迷宮の岸』及び『華胥の幽夢』収録の「冬栄」を読んでおくと、なお良しだ。

 戴国の王である驍宗が登極半年で消息を絶ち、阿選が仮王になってから6年。戴国は荒廃していた。たまたま知り合った母子と旅をしていた元中軍師帥の項梁は、東架という村で、意外な人物と出会う。騎獣を連れた、元将軍の劉李斎と、戴国の麒麟である泰麒だ。さらに東架の住人が、阿選を諫めようとして殺された、瑞雲観の道士と、その協力者であることも知る。かくして項梁は、李斎と泰麒、道士の去思たちと共に、どこかで生きているはずの驍宗を捜す旅に出るのだった。

 ところがしばらくすると泰麒が、項梁だけを連れて、ひそかに阿選がいる白圭宮に赴く。阿選は政治に関心を見せず、白圭宮には不穏な空気が漂っている。驍宗を捜す李斎たちと、何事かを考えて白圭宮で動く泰麒。ふたつのパートを交互に語りながら、物語は進行していく。

 本書には、幾つかの大きな謎がある。6年前の驍宗に何が起こったのか。なぜ消息を絶ったままなのか。なぜ阿選は仮王になったのか。政治を停滞させているのは、いかなるわけか。さらに白圭宮での戴国の言動にも、疑問を抱かざるを得ない。これらの謎がフックとなり、読者の興味を引っ張る。だから先が知りたくて、ページを繰る手が止まらないのだ。リーダビリティは抜群なのである。

 さらに戴国が荒廃し、混乱した、根本的な理由も気になる。かつて私は新潮文庫版の『黄昏の岸 暁の天』の解説で

「十二国記」シリーズの世界における、王や麒麟の役割は、読者にとって周知の事実であろう。だからここでは繰り返さない。ただ蓬莱(私たちの生きる世界)よりは、はるかにシスティマチックといっていい。世界に秩序をもたらす摂理は強固である。にもかかわらず、人々の痛みは絶えない。王が腐ることもあれば、偽王が立つこともある。妖魔は増え、国と人心は荒廃する

と記した。

 強固な摂理――すなわち強固なシステムは、融通が利かない。順調なときは問題ないが、歯車が狂ったとき、なかなか柔軟な対応が取れない。その結果が、現在の戴国の状況ではないのか。本書の2巻で女官吏の琅燦がいう「天は人間が考えているより、はるかに教条的に動くんだよ。形に拘り手続きに拘る」から始まる、天の振る舞い(摂理)の解釈により、作者がそれを示しているように感じられる。

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