伊坂幸太郎と斉藤和義、2人の“出会い”が生み出した『アイネクライネナハトムジーク』の面白さ

『アイネクライネナハトムジーク』レビュー

 伊坂幸太郎による『アイネクライネナハトムジーク』は、ある出会いがなければこの世に生まれることがなかった連作短編集だ。その出会いとは、作家・伊坂幸太郎と、ミュージシャン・斉藤和義、2人の出会いである。映画『フィッシュストーリー』や『ゴールデンスランバー』(共に中村義洋)、そして現在公開中の『アイネクライネナハトムジーク』の音楽を斉藤が手がけていることからも、関係の強さは明らかである。

 斉藤からの「「出会い」をテーマにした曲の歌詞を」という依頼に応えるために書かれた短篇『アイネクライネ』から始まる6つの物語は、小洒落た台詞の応酬、丁寧かつ鮮やかな伏線の回収といった伊坂マジックにかけられ、美しく繋がりあった。そして、現在、今泉力哉監督によって、6つの物語の登場人物たちがさらに強く、確かに結びついた、「小さな夜」の、奇跡の映画ができあがったのだ。

 短編集『アイネクライネナハトムジーク』の面白さは、伊坂幸太郎が珍しく「恋」を描いたということに尽きる。伊坂が描く「恋」というものはこれほど軽妙で優しく穏やかなものなのか。劇的とは言えない感じでおずおずと出会った2人が、やがて登場人物・織田一真が言うところの「ベリーベリーストロング」な関係になっていることに、ふと気づかされる。

 同じ場所を生きる人々の、10年という時間をゆるやかに移動する短編集であるため、それをまざまざと見せつけられるのではなく、1つの短編の中心にいた人物たちの後日談を、他の短編でさらっと教えられるのである。

 出会った瞬間、恋らしきものが芽生える瞬間は描かれるけれど、何年か後に夫婦になり幸せそうにしている、あるいは倦怠期を迎えている登場人物たちを他の短編で見かけるだけで、恋が生まれて夫婦になる間の過程の部分があっさり抜け落ちているところが、いい意味で「ベタッとしていない」伊坂幸太郎の小説の心地よさであり、彼の一種の「照れ」のようなものさえ感じられて、妙に嬉しい。

 例えば、『アイネクライネ』で幼児園児として登場する織田一真・由美夫婦の子供である美緒が『ルックスライク』では女子高生のヒロインとして活躍し、その友人として、『ドクメンタ』を中心に複数の短篇に登場する藤間の、離婚したために離れて暮らしている娘が登場する。『ライトヘビー』で電話越しに出会った2人は『ナハトムジーク』では苦労を共にした夫婦になっているし、映画において三浦春馬と多部未華子が演じる、佐藤と、手に「シャンプー」とマジックで書いている女性との2人は、『アイネクライネ』で知り合い、『ナハトムジーク』で付き合い始めたらしいことを、読者はあくまで噂話として、間接的に知ることになるといった具合である。

 つまり、この連作短編集の中で一番印象に残る「出会い」の物語であるところの、佐藤と「彼女」の物語のその後は、実は原作ではあまり描かれていない。そのため、佐藤を中心にした世界が描かれた映画版は、原作ファンも知らない、7個目の物語であるとも言える。

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