「Signal to Real Noise」第十一回
菅原圭に初インタビュー ネットやストリーミングが叶えた自立した音楽活動、楽曲リメイクに取り組む理由も明かす
Spotifyが注目する、ニューカマー発掘プレイリスト『RADAR:Early Noise』と、リアルサウンドのコラボによる連載企画「Signal to Real Noise」。プレイリストでピックアップされた“才能の原石”たちへ、音楽評論家がその音楽遍歴や制作手法などについて取材する。
今回は、今年飛躍が期待される国内アーティスト10組が選出される『RADAR: Early Noise 2022』にも名を連ねた菅原圭が登場。ふくりゅう(音楽コンシェルジュ)氏が話を聞いた。(編集部)
連載バックナンバー
第一回:福岡から世界へ、Attractionsが考える“アジアで通用するということ”
第二回:Newspeakが語る“リバプールと日本の違い”
第三回:CIRRRCLEに聞く、国やバックグラウンドを超えた音楽作り
第四回:Mega Shinnosukeに聞く、“何でも聴ける時代”のセンスとスタイルの磨き方
第五回:世界を見たShurkn Papに聞く、地元から発信し続ける理由
第六回:竹内アンナに聞く“独特のハイブリッド感”の原点
第七回:海外公演も成功、気鋭の3ピースバンド TAWINGSインタビュー
第八回:Doul、世界に向けて発信する10代のメッセージ
第九回:にしなが明かす、曲を書き歌う理由
第十回:(sic)boy、ロックとヒップホップを見つめる視線
一度聴いたら忘れられない中毒性の高いエモーショナルボイス。そして、ほろ苦い繊細な言葉で紡がれる歌詞や、心の奥底の琴線に触れるメロディラインが多くのファンを魅了している令和時代のシンガーソングライター・菅原圭(すがわらけい)。
同企画の第十一回目となるインタビューでは、インターネットを駆使してインディペンデントに活動を続けてきた菅原のバックボーンを中心に、生み出されてきた作品について初インタビューとして胸の内を語ってもらった。(ふくりゅう / 音楽コンシェルジュ)。
唯一自分が声を出すもので傷ついたことがなかったのが歌だった
ーーこれが初めてのインタビューになるんですか?
菅原:対面でのインタビューは初めてですね。ドキドキしています。
ーー菅原さんは、ご自身での作詞曲はもちろん、くじらさんやTOOBOEさんなど、ボカロ文化圏出身のアーティストによる提供曲を歌われたり、共作もされていて。そのすべてがエモーショナルな“菅原圭ワールド”として独自の世界観を確立されていてすごいなと。
菅原:ありがとうございます。
ーーそこで、まずはシンプルな質問です。ご自分で、シンガーとして歌おうと思ったきっかけから教えてください。
菅原:もともと朗読が大好きで。小学校の頃とか学校で国語の教科書を音読するじゃないですか。そのときに、カギカッコの中の主人公たちの物語に感情を込めて話すのが好きだったんです。でも、それを本気でやると教室ではからかわれることもあって。その経験から傷つきたくないという気持ちを強く持つようになってしまって、あまり表の場で自分がやりたいことを表現しなくなっていきましたね。でも、歌に関しては、もともとリアルの場で積極的に発表することもなかったので、唯一自分が声を出すもので傷ついたことがなかったんです。傷つけられたくなかったからこそ、ずっと内々にして育てていけたというか。
ーーなるほど。
菅原:それが、歌を続けてこられた理由なのかなと思っています。あとは“インターネットという匿名の場で発表できる”という環境があったことが歌い始めたきっかけとしては大きいです。 「ああ、好きに演じていいんだ」「曲ごとに感情を入れても誰も笑わないんだ」って。それで一直線に歌にのめり込んでいきました。
ーーネットへ作品を投稿できるという仕組みが誕生したことで、表現活動をしやすい世の中になりましたよね。
菅原:そうですね。私が歌い始めた頃は「歌ってみた」の文化が流行っていて。オケが公開されていて「非営利だったら好きに歌っていいよ」「動画投稿していいよ」という文化のおかげですごく歌いやすかったし、演じやすかったです。
ーーちなみに、いまの活動に通じる流れで影響を受けたご自身のルーツとなるアーティストは?
菅原:古川本舗さんが大好きで影響を受けていますね。
ーー自分で詞曲を作るきっかけとしても、古川本舗の影響は大きそうですね。
菅原:大きいと思っています。
ーーボカロ文化圏への入り口も古川本舗さんから?
菅原:ですね。「Alice」からです。そこから「mugs」を好きになって。
ーー古川本舗さんの活躍から音楽シーンはどんどん変わっていきましたよね。
菅原:怒涛でしたね。
ーー米津玄師さんはハチ時代に古川本舗さんをとてもリスペクトされていました。wowakaさんもですが当時、Balloomという同じレーベルにいましたから。ボカロ文化により作家性が生まれていった走りですね。シンガーだけでなく、自分で詞曲を作ろうと思ったのは自己表現への欲求が生まれたからなのですか?
菅原:案外そこに関しては淡白ですね。ほんとは作詞作曲はすべてどなたかに提供していただいて歌に専念するかたちで活動していきたかったんです。脚本を書くのが好きなわけではなかったです。演じることが好きだったので。でも「それで音楽活動だけで生きていけるのか? 食べていけるのか?」と考えたときに、自分で曲を書けるようになっていた方がいいんだろうなって。
ーーたしかに。それに、声という楽器をもっとも活かせるのは自分だけかも。
菅原:自分をプレゼンテーションする上でも、曲を作れた方がいいだろうなと思っていました。
ーーもともと音楽はピアノなどやられていたんですか?
菅原:まったく弾けないです。アカペラで歌ったものを編曲できる方にお願いして、編曲してもらったものをスタジオで歌い直して仕上げていきます。
ーー自分が伝えたいことが明確なんでしょうね。菅原さんの歌は、言葉の意味というよりも、歌いまわし、ボーカリゼーションで同じフレーズであっても前半と後半で気持ちが変わって聴こえてくるんですよ。日々の進化はもちろんあると思いますが、“菅原圭らしさ”も確立されてきていますよね。
菅原:嬉しいです。もともと歌は上手くない方なんですよ。目に見えてわかる上手さってあるじゃないですか。それよりも私の場合は個性で成り立っているよなって。歌がすごく上手ではないかもしれないけれど「なんだか病みつきになるな」と思ってもらえるようなシンガーを目指しています。
『RADAR:Early Noise 2022』に選ばれてやっとスタート地点に立てた
ーーSpotifyで『RADAR:Early Noise 2022』に選出されたことをどう思っていますか?
菅原:やっと恩返しできる場に立てたのかなと思っています。というのも、いまは個人で活動しているので、楽曲制作の費用なども全部自分で捻出していて。
ーーTwitterにその苦労について書かれていたのを見たことがあります。
菅原:それこそ「フライミ feat. PSYQUI」、「レモネード」、「シーサイド」のあたりは、自分の身の回りの仲が良い人たちにサポートしていただきながら作り上げた楽曲なんです。デザインをやってくださる方、動画やイラストを作ってくださる方々などが限られた予算の中で対応してくださったり「あなたの熱意は伝わっているから」と応援してくださって。
ーー活動初期はそんな流れからだったのですね。
菅原:なので『RADAR:Early Noise 2022』に選ばれたときに最初に思ったのは、「信じてくれた人たちを裏切る結果にならなくてよかった」ということなんです。選んでいただいたことはすごくありがたかったですし、やっとスタート地点に立てたのかなと。関わったクリエイターの方々が「菅原圭の作品、前にやったんだよ!」と胸を張って言えるようになろうとがんばってきたので。ここからが踏ん張りどきですね。
ーーご自分の中で作品をリリースしていく際に手応えを強く感じた瞬間はありましたか?
菅原:「レモネード」や「シーサイド」を出したときですね。「フライミ feat. PSYQUI」までは活動資金を貯めるために音楽活動は一時休止していたんですよ。なので、YouTubeにアップした最初の「エイプリル」を出してから1年ぐらい止まっていて。「フライミ feat. PSYQUI」で、やっと自分がやりたいことを高いレベルでやれるようになりました。
ーーモノづくりを行う上で、とても重要なターニングポイントだったんですね。
菅原:そのためにもがむしゃらに働きましたからね(笑)。活動休止から再開するときに、もっと自分の曲を知ってもらうためには起爆剤が必要だと思って。当時はまだ600人ぐらいしかTwitterのフォロワーもいなかったのですが、よく相談に乗ってもらっていたPSYQUIさんに編曲をお願いできることになって。
ーー書き下ろしではなく編曲だったのはなぜなんですか?
菅原:まだまだ迷いがありました。書き下ろししていただいた曲の方が伸びたらどうしようって……。
ーー表現者のジレンマですね。
菅原:なのでまずは編曲をお願いすることにしました。「フライミ feat. PSYQUI」は多くの方々に届くきっかけになった曲です。
ーー「レモネード」もSpotifyで伸びていきましたよね。
菅原:その後、PSYQUIさんがお手伝いしてくださった楽曲以外もリスナーが聴いてくれるようになったんですね。「よかった。聴いてくれる人がいる」と安心しましたし、モチベーションにもなりました。
ーーそして、「シーサイド」で菅原圭としての完成度の高さを打ち出し、さらに「ブランケット」でくじらさん、「ABAKU」でTOOBOEさんとコラボレーションしていくという。菅原圭のブランディングにさらなる広がりを感じました。
菅原:自分が自分のために書く曲って、当たり前ですけど自分の世界観であり自分のメロディラインなんですよね。でも、どなたかに書いていただく歌詞には自分からは出てこない言葉がありますし、その方の世界観があって自分が使わないであろうメロディラインなんですよ。それを自分の作品に取り入れられないのは惜しいなと思うことがあって。「シーサイド」までは菅原圭の作詞作曲というイメージがありつつも、書き下ろしの提供曲であっても「菅原圭いいな」って思ってもらいたくなったんです。なので、バラードがお得意なくじらさんにお願いした後で、その次のTOOBOEさんには私が作れないロック調な楽曲を手がけていただきました。ギャップが欲しかったんですよね。
ーーセルフプロデュース力の高さを感じるお話です。自分というアーティストを客観視できているというか。
菅原:ロックも似合うんだ、というところを伝えたかったんです。
ーーなるほど。たしかにスローテンポな過去曲「ia」からふと感じられる歌表現など、ロックも似合うなと思っていましたが、「ABAKU」ではTOOBOE編曲の妙もあってパワフルなナンバーになったと。シンガーソングライターであっても、コラボを自在にやり遂げるというスタンスなのですね。どちらかにとらわれなくてもいいわけですもんね。
菅原:そうなんですよ。とにかく長く音楽を続けたいと思ったときにフットワークは軽いほうがいいんだろうなって。作詞作曲をしながら、書き下ろしもお願いする。それこそ編曲で味を変えていく、衣替えするといいますか。いろんな場面で雰囲気が変わっても「これが菅原圭だ!」と伝えていきたいですね。
ーー初インタビューとは思えないほどしっかりしていますよね。ネット上で、再生回数やコメントなど、プレッシャーとなる要素を自分の糧として、第三者の批評に負けずに乗り越えてきた底力を感じます。
菅原:ありがとうございます。自分でいろいろ考えてやれてきたからかもしれません。でも考えるのは好きなことだったりもします。