連載「Signal to Real Noise」第五回:Shurkn Pap
「姫路を出たいと思ったことはない」 世界を見たShurkn Papに聞く、地元から発信し続ける理由
Spotifyが注目する、ニューカマー発掘プレイリスト『Early Noise Japan』と、リアルサウンドのコラボによる連載企画「Signal to Real Noise」。プレイリストでピックアップされた“才能の原石”たちへ、手練の音楽評論家がその音楽遍歴や制作手法などについて取材する。
同企画の第五回は、猪又孝氏による、Shurkn Papへのインタビューを掲載。地元・兵庫県の姫路市で活動を始め、世界を見た視点から描いた「Road Trip」がヒットするまでの話や、地元で発信を続ける理由、ラップと歌の中間的な表現論、彼が目指すアーティスト像などについて、じっくりと話を聞いた。(編集部)
第一回:福岡から世界へ、Attractionsが考える“アジアで通用するということ”
第二回:Newspeakが語る“リバプールと日本の違い”
第三回:CIRRRCLEに聞く、国やバックグラウンドを超えた音楽作り
第四回:Mega Shinnosukeに聞く、“何でも聴ける時代”のセンスとスタイルの磨き方
「海外に行って行動力は培われた」
ーーShurkn Papさんの最初の音楽体験はいつ頃ですか?
Shurkn Pap:父親が音楽好きで、幼少期は父親が運転する車の中で、ファンクとかソウルとか80年代ポップスとかを聞いてました。ホール&オーツとかドゥービー・ブラザーズ、エリカ・バドゥ。あとはアース・ウィンド&ファイアーとか。
ーーそう言えば、「Bout Music」のMVにアース・ウィンド&ファイアーのジャケットが出てきますね。ヒップホップとの出会いは?
Shurkn Pap:小2のときに、6個上の兄貴がエミネムの『Curtain Call』というアルバムを買って来て。それに入ってる「Lose Yourself」を聴いたときに、心が震えるじゃないけど、バコン! と来て。こういう強いリズムってメチャクチャいいなと思って興味を持ったんです。そのあと小5のときに地元の幼馴染みと「サブロク」というスケートボードのチームを組んだんです。そのときにずっとヒップホップを聴きながらスケボーをやってて。気付いたらラップにドハマリしてました。
ーーそのサブロクのメンバーがMaisonDeに繋がるんですか?
Shurkn Pap:そうです。TaiyohとHash Tがその頃からいて。もうひとりSILYUSっていう、今ソロで活動してるラッパーもサブロクでした。
ーーその頃によく聞いていたヒップホップは?
Shurkn Pap:DMXとか50セントとかリル・ウェインとか。あと、もともとヒップホップの中でもGファンクがめっちゃ好きで。ウォーレンGとかネイト・ドッグが好きで、今でも何周か回って聞いてますね。
ーーその後、中学3年生になるとDJを始めたそうですが、それはどのようなきっかけからだったんですか?
Shurkn Pap:その頃、『BAZOOKA!!! 高校生RAP選手権』の第1回、第2回が開催されて、サブロクのヤツらが「俺もラップしようかな」みたいな流れになってきて。僕も一応やってみたんですけど、全然フリースタイルができなかったんです。じゃあ、歌が好きやし、DJには昔から興味があったんで、ちょっとやってみようかなと。
ーーラッパーを目指したのは、いつ頃なんですか?
Shurkn Pap:周りがフリースタイルをやっていた影響もあって、高1の始めの頃に1回だけレコーディングしたことがあって。Taiyohとかがレコーディングしてる間の10分とかだけもらって、「シンガポールの歌」っていう曲を録って。でも、そのときはそれで終わって、次は4年後になるんです。19歳の5月か6月にYouTubeを見ていたらType Beat(有名なアーティストの曲調を真似て作られたトラック)っていうのを見つけて。もともと歌を聞きながら勝手にハモったり、煽りを入れたりするクセがあったんで、これで一回やってみようと思って。今もずっとお世話になってるHLGB STUDIO(ハローグッバイスタジオ)に、さっき話した高1の1回しか行ったことがなかったんですけど、いきなり連絡して録ってみたんです。そこからまた半年くらい空くんですけど、その間、アメリカ旅行に行って帰ってきたときに、自分は何がやりたいんだろう? と真剣に考えて。そのタイミングでMaisonDeが結成されたこともあって、僕もラップすることになったのがきっかけなんです。
ーーシンガポールやアメリカという地名が出ましたが、海外によく行っていたんですか?
Shurkn Pap:母方の祖母が亡くなったのがきっかけで、ひとり旅にハマって。そのときに結構へこんで、心に穴が開いた状態で2カ月くらい過ごしていて。昔から海外に興味はあって、お金も貯まってたんで、ふと行こうかなと思ったんです。最初はフィリピンのマニラとセブ島に行きました。それ以来、バイトをしまくってお金を貯めて、とりあえず航空券だけ買って行くっていうことをずっとしてたんです。
ーー高校生のときに?
Shurkn Pap:卒業できるギリギリの単位を数えて(笑)。「先生、あと何週間休めますか?」って。「この日とこの日……じゃあ、1週間あるから行ってこよう」とか。
ーー知らない土地に行けば何か自分が変わるかなという漠然とした思いがあった。
Shurkn Pap:そうです。最初に行ったときに、たった数日の滞在だったのに、見るもの全部がフレッシュで、体感的には1カ月とか2カ月くらいに感じられるものがあって。帰ってきたときに自分のレベルが上がってる気がして、それがめちゃくちゃ気持ちよくてハマったんです。
ーー19歳のときのアメリカ旅行はどこに行ったんですか?
Shurkn Pap:最初はカナダに入ってナイアガラとかを観に行って。そこからバッファロー、ニューヨーク、ワシントンと下って。それはバスとか公共交通で移動して、そのあと飛行機でワシントンからロサンザルスに行って。そこからは自分で車を借りてラスベガス、アリゾナと中央に入っていきました。
ーーその旅行が大きな転機になったわけですね。
Shurkn Pap:そうです。いろんな気づきがありました。僕はそのときファッションの専門学校に行ってたんですけど、「自分が思ってたんと違う」という部分が少しあって、「このあとどうしよう?」と迷ってたんです。そのときにアメリカに行って、海外には自分に自信を持ってる人が多いなと。誇りを持って自分の好きなことをやって生きている姿を見て、自分の好きなことってなんやろう? って考えて。そのときに、ファッションも好きやけど、やっぱり音楽がいちばん好きやなって。
ーーそれまで1回した行ったことがないHLGBに電話して飛び込んだ勇気も海外旅行で身についたものかもしれないですね。
Shurkn Pap:確かに。海外に行って行動力は培われたと思います。
ーーラップを本格的に始めた頃、自分のスタイルをどのように作っていこうと考えていましたか?
Shurkn Pap:最初はファンクをベースにしたビートとか、Bruno Mars Type Beatとか、そういうのを選んだりしていました。けど、音楽自体、全部が好きやから、いろいろ試してみたいと思って。いちばん初めに出したソロEPは『Various』っていうタイトルなんですけど、ヒップホップの中にもいろいろなジャンルがあるから、それを採り入れたら逆に面白いんじゃないかなと思ったんです。だから、最初は方向性というより、音楽を楽しむっていうことに重点を置いてました。
ーーMaisonDeが2018年に公開した1stミックステープに収録され、のちに『Various』にも収録されたデビュー曲「Road Trip」のMVは大きな反響を呼びました。そもそも「Road Trip」はどのようなきっかけで書いた曲なんですか?
Shurkn Pap:「Road Trip」はアメリカから帰ってきて、2018年の成人式の日にレコーディングしたんです。あれは自分が3曲目に作った楽曲で。それまでなかなかリリックが書けなくて全然制作が進んでいなかったんです。そんなときにあのビートを聞いて、アメリカをドライブしていたときに楽しかったことを思い出して。周りのみんなも結構車に乗るし、地元は車がないと生活できないし、車をテーマにした曲を書いてみようと。
ーー「Road Trip」のヒットで何か変わったところはありますか?
Shurkn Pap:地元で声を掛けられる場面が増えたのと、いろんな地方に少しずつ呼ばれるようになっていって、ライブが増えていったなっていう印象ですね。