『PICU』高杉真宙と吉沢亮の見事な呼応に息を呑む なぜ大竹しのぶは体の異変を隠すのか

『PICU』高杉真宙と吉沢亮の見事な呼応

 当然のことだが、医師も医師である前に一人の人間であることが描かれた『PICU 小児集中治療室』(フジテレビ系)第5話。

 網走総合病院で奮闘しているはずの親友の悠太(高杉真宙)が丘珠病院に救急搬送される。ホテルで大量の睡眠薬を飲み昏睡状態に陥ったと聞いた“しこちゃん先生”こと志子田(吉沢亮)は、どうしても悠太が自分で薬を飲んだとは信じられない。急性リンパ性白血病患者で3年間小児科を受診し続けている立花日菜(小吹奈合緖)の母親の「命を粗末にしている人を見ると、うちの子と代わってくれって。なんでうちの子ばっかり。こんなに頑張ってるのに… 」という切なる言葉も重なり、志子田は生きたくても生きられない、助からない子どもたちがいる中、自ら命を絶とうとした悠太のことが許せないのだ。毎日、誰のせいでもないのに小さな体に沢山のチューブを繋げられて痛くて辛い治療に耐え続け、様々なことを我慢している子どもたちの姿を近くで見ていれば、そんな気持ちが真っ先に湧いてくるものなのだろう。

 しかし、志子田は同時に自分が親友のことを勝手に過信しすぎてしまっており、勝手な本人像をどこかで押し付けてしまっていたことにどこかで気付いていたのだろう。自分たちはお互いに切磋琢磨でき、相談し合える関係だと思っていたのに、相手にとっての自分はそうではなかった……。その可能性を考えなければならないことや、傷つくことから自分自身を守るための防衛本能が働き知らず知らずのうちに避けてしまっていた部分もあったのかもしれない。もちろん自分が悠太のSOSのサインを尽く見過ごしてしまっていたことに、その後悔に向き合う怖さもあったのだろう。

 ここで志子田の母・南(大竹しのぶ)の言葉が効いてくる。「悠太の命はあんたのもんじゃないよ。いくら苦しくても生きたいって思える人もいる。でもその反対の人だっているの。(中略)悠太の命は悠太のものだから、私たちのものじゃないから。見損なうんじゃなくて悠太のこれからを一緒に考えてあげな」 ―志子田が抱く“生きたくても生きられない人もいるのに……”という感情ももちろん間違ってはいないが、誰しもがそうではないことを、人にはそれぞれ事情があることを南はさらりと伝え、正反対のサイドにいる人のことも決して否定しないし同じように抱きしめる。

 この時、志子田はまだ知らないが、自分の身体の異変に気付いており、それを周囲に悟られまいとする、膵臓癌の疑いのある南の口から放たれた言葉であることがまたこの言葉に説得力を宿らせ、今後の展開の中でも立ち返りたくなるキーワードになりそうな予感を漂わせる。

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