『まめ夫』は“生き方”そのものを問うドラマだ 坂元裕二が描く、時の流れに翻弄される人々

坂元裕二が『まめ夫』に込めたテーマとは

 ディテールを突き詰めることによって、若者の恋愛の「リアル」をビタースウィートな形で描き出した映画『花束みたいな恋をした』のあとだけに、今回は心機一転、そのタイトルの通り、仕事に恋に生きるひとりの女性が、三人の元夫たちと恋のさや当てを繰り広げる、そんなちょっとあり得ないような設定の、愉快なコメディ作品になるのだろうか? もちろん、そんなことはなかった。いよいよ今晩、最終回を迎える坂元裕二脚本、松たか子主演のドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』(カンテレ・フジテレビ系)のことだ。端的に言うならば、このドラマは、いまだにボンヤリし続けている「未来」を前に、これまで以上のスピードで醸成されていく「過去」に戸惑いながら、停滞して久しい終わりなき「現在」を過ごしている私たち――そう、「コロナ禍」を生きる私たちに、とてもアクロバティックな形ではあるものの、「生き方」そのものを問いかけるようなドラマだったのではないだろうか。

 もちろん、「ロマンティック・コメディ」と銘打っているだけに、坂東祐大の洒脱でコミカル音楽の効果も相まって、全体としての雰囲気は、やはり間違いなく「コメディ」なのだろう。些細なことから大きなことまで、次々と巻き起こる出来事に、クルクルとその表情を変える「コメディエンヌ」としての松たか子は、いつまでも見ていたいと思わせるほど魅力的だし、そんな松たか子演じる「とわ子」の元夫たち――最初の結婚相手である田中八作(松田龍平)、二番目の佐藤鹿太郎(角田晃広)、三番目の中村慎森(岡田将生)のキャラクターや、彼らととわ子の軽妙なやり取りも、毎回毎回、非常に観ていて楽しいものとなっている。

 ひょんなことから、再びとわ子と連絡を取るようになったどころか、相互に交流を深め、やがては八作が経営するレストラン「オペレッタ」に通いつめ、場合によっては、とわ子の自宅にまで上がり込むようになっていく三人の元夫たち。彼らはそれぞれとわ子に未練タラタラで、別れて久しい「現在」も、いまだ新たなパートナーを見つけ出してはいない。しかしながら、そんなとわ子の前に、次々と新しい男たちが現れる。第1回、船長姿で颯爽と現れた男(斎藤工)にはじまり、とわ子のクライアントであるイベント企画会社のバツ3社長・門谷(谷中敦)、そして朝のラジオ体操でいい感じに知り合いながらも、その後とわ子が社長を務める会社の乗っ取りを目論む外資系ファンドの担当者として、まさかの再会を果たすことになる小鳥遊大史(オダギリジョー)。そろいもそろって、ロクでもない男たちばかりである(否、小鳥遊の場合は、少し事情が異なるけれど、それは後述する)。

 そもそも、ドラマの中で徐々に明かされてゆく三人の元夫たちとの離婚理由も、とわ子にとっては、なかなか厳しいものだった(その「なれそめ」は、いずれもうっとりするほどロマンティックなものではあったけれど)。というか、三人の元夫たちも、心のどこかできっとわかっているのだろう。いまさらやり直すことなどできないことを。ふとした瞬間に零れ落ちるペーソス。けれども、心を許せる相手が必ずしも「人生の伴侶」でなくてはならないわけではなく……そう、このドラマは、紆余曲折の果てに「とわ子が誰とくっつくのか?」といった単純なラブコメ作品ではないのだ。

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