『中学聖日記』は現代社会を生きる“大人”を揺さぶり続ける 剥がれだした有村架純の仮面

『中学聖日記』は“大人”を揺さぶり続ける

 ドラマ『中学聖日記』(TBS系)がどんどん面白くなってきた。中学生と教師の恋というテーマゆえに賛否両論あるが、このドラマがどうにも気になってしょうがない。「教師としてあるまじき純愛」と謳っているが、このドラマの面白さは、「純愛」ではなく、別のところにあるのではないか。3話を経て、純愛とは言い難い煩悩まみれの15の恋が暴走し、自分を精一杯取り繕った大人たちの仮面が剥がれ、それぞれの本音がようやく見えてきた。

 『Nのために』『リバース』(TBS)などの新井順子プロデューサー、塚原あゆ子演出に加え、『FINAL CUT』(カンテレ・フジテレビ系)『花燃ゆ』(NHK総合)の脚本を担当する金子ありさという3人の女性が手がけている『中学聖日記』。雨やプールにおける水の演出、金魚鉢か何かの中にいるような、丸みを帯びたフレーム、彼らを照らす柔らかな日の光、そして常に誰かに見られているかもしれないというサスペンス、背徳感を生み出すカメラのシャッター音と、実にスリリングかつ繊細なタッチで、思春期の恋、教師と生徒の恋という瑞々しく危うい何かを描き出している。

 初回放送後、ネットでは多くの批判の声が見受けられた。その理由は、マキタスポーツ演じる上布が言うところの“メンタルとフィジカルが相半ばする”「触れたい」盛りの「15の恋」の暴走は、とうてい「純愛」という言葉で抑えきれるものではないということ。そして教師という「聖職」に従事する無垢なヒロインであるべき有村架純演じる聖の内面から染み出てくる、夏木マリ演じる教頭が言うところの「女くささ」への違和感だったのではないか。

 どうにも嘘くさいと言ったらなんだが、絵に書いたように生真面目で純真な新人教師は、常に真っ直ぐに理想を語り、教員採用試験の志望動機で書いたような「教師になった理由」を語り、まるで花嫁のスピーチのように彼氏への“尊敬”を語る。ドラマ『獣になれない私たち』(日本テレビ系)の1話における常に完璧な笑顔を作り、松田龍平に「キモい」と言われる新垣結衣のように、聖もまた、何かしら取り繕っているように見えるのは、こちらの考えすぎだろうか。

 それでいて、聖は長い髪が前にかからないように掻き分けながら、転んでいる生徒・黒岩晶(岡田健史)に手を差し伸べることで意図せずして彼を刺激したり、さらには「きれいな顔してるね」と声をかけたりする。それだけで中学生・晶の心は“聖ちゃん”でいっぱいになってしまうのである。

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