『プロジェクト・ヘイル・メアリー』はなぜ面白いのか? 科学が創りだすプロットと、地に足が着いたリアリティ

目覚めた男は、自分が宇宙船のなかにいることに気づく。ロボットアームが身の周りで動き、コンピュータが話しかけてきたが、自分以外の乗員の男女2人はすでに死体になっていた。なにが起きているのか、「ぼく」が誰なのか、わからない。『プロジェクト・ヘイル・メアリー』の物語は、そんなゾッとする場面から始まる。太陽系とはべつの恒星系を移動する彼は1人のまま、ここで過ごさなければならないらしい。
現在公開中の同名の映画とアンディ・ウィアーによる原作小説(2021年)は、いくつか違いがあるものの、大枠の構成や展開は共通する。ただ、小説の方はディテールが書きこまれているぶん、宇宙船内における主人公の生活の日々が、肌感覚として伝わってくる。
男は覚醒後、少しずつ記憶を取り戻す。そうして現在の彼の状況が描かれる一方、過去の経緯が語られていく。太陽の明るさの減少が観測され、人類の危機が認識されたのだった。地球外生命体が太陽のエネルギーを食べており、放置すると30年以内に地球の気温は10~15度下がってしまう。全生命の危機である。アストロファージ(宇宙を食べるもの)と命名されたその生命体は、広い範囲の恒星を同様に“感染”させていたが、そのなかでなぜか恒星タウ・セチには影響がみられなかった。人類を救う手がかりは、タウ・セチにあるのではないか。それを探るため、打ち上げられたのが、宇宙船「ヘイル・メアリー」だった。
目覚めた主人公の名はライランド・グレースであり、生命の基盤に関する異端の説を唱えたのが原因で学界にいられなくなり、中学校の科学教師をしていたことが次第にわかってくる。タウ・セチに向かう現在では、ライランドが次々に襲ってくる問題に対し、宇宙船にある機能や資材、自身の体力という限られた条件のなかで必死に考え、解決にとり組む。やがて予期せぬ出会いがあり、途中からは一風変わったバディものになる。
一方、過去では、ライランドがアストロファージについての検査を要請され、「プロジェクト・ヘイル・メアリー」にかかわるようになったが、宇宙飛行士の訓練を受けたわけではない。地球に戻れるだけの燃料が搭載されていない、片道切符の「ヘイル・メアリー」の特攻ミッションになぜ彼がたずさわることになったのか。記憶障害が回復するにつれて明らかになっていく。
壮大さと孤独のコントラスト
宇宙規模のパンデミックという設定の壮大さと、限られた空間に一人ぼっちでいることの対比が、まず興味を引く。この点は、同じアンディ・ウィアーのデビュー作『火星の人』(2011年)とその映画化である『オデッセイ』(2015年)を連想させる。その物語では、チームで火星に降り立った宇宙飛行士マーク・ワトニーが、事故によって1人だけ、現地にとり残されてしまう。地球と通信不能になった彼は、食料を維持するために残された基地でジャガイモを育てるなど、生き延びるための策を相次いで打ち出す。やがてマークの生存に気づいた地球では、遠い星から彼を救出するための作戦が動き出す。
排泄物を有効利用して食物を栽培するマークの孤独さと、NASAで大人数が連携して進められる救出計画のスケールの大きさは対照的だ。そうしたコントラストは、搭乗員で唯一生き残ったライランドの奮闘と、国家を越えて人材を横断的に採用して進められる「プロジェクト・ヘイル・メアリー」の対比にも受け継がれている。ライランドは、アストロファージ対策のためのタウ・セチ探索や、そのための実験や観測といった人類代表としてのミッションだけでなく、宇宙船の不具合への対応、散らかった船内の片づけ、もちろん食料の確認といった個人の生活維持のための作業もこなさなければならない。マークとライランドは、勇敢さや粘り強さはあっても無敵のヒーローではなく、不安を抱えた生活者の側面がある。読む者、観る者は、自身との近さを感じ、親しみを覚えるだろう。その点も2人に共通する。
しかし、『火星の人』でマークとNASA、それぞれの動向が同時進行で書かれていたのとは異なり、『プロジェクト・ヘイル・メアリー』では、現在のライランドと、過去に始まったプロジェクトが並行して書かれながらも、どのようにつながっているかは、終盤まで謎のままに進んでいく。また、現在パートは、予期せぬ出会いからバディものに移り変わるわけで、構成、展開にいっそうの工夫が加えられている。
『火星の人』(ハヤカワ文庫)収録の中村融「ハードSFの新星」によると、かつてアンディ・ウィアーは、同作について「科学がプロットを創りだすんだ!」と述べており、科学によって問題を解決するという道筋が、そのまま物語のプロットになると示唆していた。この原理は、『プロジェクト・ヘイル・メアリー』でも変わらない。
ライランドは、科学者として試行錯誤を繰り返す。良かれと考えた決定が、悪い結果を招くこともしばしばだ。逆に悪いと思っていたことがらに、良い点を見出すこともある。そうして問題に対する解決を引き寄せ、事態が動いていく。予断や思いこみが反転する意外性が、何度も現れるのが本書の面白さだ。
絶妙な2つのバディ
過去パートにおいて、「プロジェクト・ヘイル・メアリー」のリーダーであるエヴァ・ストラットは、圧倒的な権限を有しており、多くを思うままに動かしていた。「明けても暮れてもスタッフ・ミーティング。世界を救うことがこれほど退屈とは誰が想像しただろうか?」とライランドがぼやくほど、会議の手続きが必要とされた。だが、ストラットが無駄と判断した手続き、人材に大なたをふるうことも珍しくなかったのだ。
自身が女性でありながら「ヘイル・メアリー」の飛行士候補から女性を排除しようとして果たせなかった際には、「性差別じゃないわ。現実主義よ」(小野田和子訳)といい放った。嫌な奴である。だが、人類の半数の命がかかった危機に対処するには、これくらいでなければ務まらないだろうと納得もさせられる。強烈すぎて、逆に魅力的なキャラクターだ。
ストラットに翻弄されるライランドは、彼女とは違い、臆病なところのある人物だ。それだけにコツコツと辛抱強くトライ&エラーを繰り返せる。この2人の組みあわせが、絶妙だ。ライランドは、タウ・セチにむかう最中にバディを得るが、望むと望まないとにかかわらず、離れた地球にいるストラットとも切れない絆で結びついたバディだといえるのではないか。
宇宙船の名前である「ヘイル・メアリー」とは、聖母マリアへの祈りの言葉「アヴェ・マリア」を意味する。また、アメリカンフットボールで劣勢のチームが、試合終盤に運を天にまかせて投げるロングパスをそう呼ぶのでもあった。ほかに打つ手がなくて選んだ特攻ミッションを、「ヘイル・メアリー」と名づけるのは理解できる。たとえそうであっても、コツコツの延長線上で大胆な行動にも出られるライランドだからこそ、プロジェクトが一か八かのただの無謀な冒険にならない。宇宙の彼方で展開されるものの、地球人の地に足が着いたリアリティを忘れない物語。それが『プロジェクト・ヘイル・メアリー』なのだ。
■書誌情報
『プロジェクト・ヘイル・メアリー 上』
著者:アンディ・ウィアー
訳者:小野田 和子
価格:1,650円(税込)
発売日:2026年1月22日
出版社:早川書房
























