「赤い公園・津野米咲さんを語り継ぎたい」 小説家・金子玲介が『私たちはたしかに光ってたんだ』に刻んだバンド愛


小説家・金子玲介の新作『私たちはたしかに光ってたんだ』(文藝春秋)が話題を集めている。『死んだ山田と教室』でデビューし、同作が2025年の本屋大賞にノミネートされるなど注目度を高めている金子。自身6作目の単行本作品『私たちはたしかに光ってたんだ』は“青春の光”と“大人になった現在”を描く長編小説だ。
高校生の瑞葉(みずは)がクラスメイトの朝顔(あさがお)に誘われてバンド〈さなぎいぬ〉を結成するところから物語は始まる。4人の夢はいつか紅白に出ること。無謀にも思えたその夢は、朝顔が初めて作ったオリジナル曲「光」によって少しずつ実現に向かって動き始める。しかし10年後、26歳になった瑞葉は会社でPCを睨みつけていたーー。
高校生のときに軽音楽部でASIAN KUNG-FU GENERATIONやDOESなどのカバーをやっていたという金子。「自分を救うために書いた小説でもあります」という金子に、本作『私たちはたしかに光ってたんだ』についてじっくり語ってもらった。
「いつかバンドの小説を」夢の先に生きる大人に焦点を当てた理由

ーー『私たちはたしかに光ってたんだ』は、バンドへの愛と理解に裏打ちされた作品だと思いますが、執筆のきっかけは何だったのでしょうか?
金子玲介(以下、金子):私自身、高校生のときに1年間だけ軽音部に所属していたんです。ギターボーカルだったんですけど、アジカン、RADWIMPS、DOESなどをコピーしていて。小学生の頃からバンド音楽を聴くのが好きだったし、ずっとバンドの小説を書きたいと思っていたんですよね。ただ、なかなかうまく書けなくて。実は、2016年に『私たちはたしかに光ってたんだ』と同じ主題の小説を書いたことがあるんですが、そのときはバンドと一切関係がない、路上生活者の男性の物語でした。ちょうど大学を卒業する年で、青春時代が終わるという感覚があって、それを形にしたかったんです。
高校も大学も友人に恵まれて楽しい時期を過ごすことができたし、高校では合唱部にも所属していて、3年のときに創部初めて全国大会に進めた。そのときの成功体験が自分のなかに鮮烈に残っていて、青春の光が人生を照らしてくれるような小説を書きたいなと。監査法人に就職することになっていたんですが、働き始めれば忙しくなるだろうし、作家としてデビューできるかどうかもわからない。だからこそ、今後何があろうとも、私の青春は光っていたから大丈夫だ、という御守りのような気持ちを小説に残しておきたかったんですよね。そのときは結局上手くいかなかったんですが、2019年から2020年にかけて青春バンド小説として改めて取り掛かって。それが『私たちはたしかに光ってたんだ』の原型となる、原稿用紙200枚くらいの中篇小説でした。結局、2024年に別の小説(『死んだ山田と教室』)でデビューできたんですが、それからさらに時間が経ち、200枚の中篇を350枚の長篇に仕上げることで、ようやく青春バンド小説を世に出せました。
ーー2019年、つまり就職して3年が経った頃に「青春小説を完成させたい」と改めて思ったのはどうしてなんですか?
金子:順を追ってお話すると、高校2年の頃から小説を書き始めたんです。毎年のようにいろんな新人賞に応募していたんですが、大学4年のときに初めて最終候補に残って。社会人1年目のときも二年連続で同じ賞の最終候補に残ったんですけど、その後は全然ダメで。2019年は「もうムリかもな」と思い始めた頃。いろいろ悩んではいたんですけど、そんな時期だからこそ、青春の輝きをきちんと小説にしたいと思い直して、もう1度取り組んでみようと。
ーー監査法人に勤務しながら小説を書くのは時間的にも大変だったのでは?
金子:監査法人には繁忙期と閑散期の波があるんですよ。日本の会社は多くが3月決算なので、4月から6月くらいまでは忙しいんですけど、8月9月あたりは意外と休みが取れたり。週末と長めの休みのときに集中して書くようにしていましたね。と言いつつ、けっこう仕事は大変だったんです。4~5年目になると後輩も増えてだんだん中間管理職っぽくなってきて、忙しくて。そのときの経験は『私たちはたしかに光ってたんだ』の瑞葉の現在のパートにそのまま活かしてます。
ーー主人公の瑞葉はバンド“さなぎいぬ”を辞めた後、公認会計士の資格を取って、今は監査法人で働いていて。この小説自体もほぼ一貫して瑞葉の目線で書かれていますね。
金子:一人の視点で書き切った小説が単行本になるのは、これが初めてですね。この小説は、とにかく瑞葉の話にしたくて。もちろんバンドメンバーの朝顔、葵、緋由のことも書いていますが、中心はあくまでも瑞葉の人生。青春期の光がその後の人生を照らして、輝きを大切にしながら生きている姿を書きたかったし、そのためには瑞葉の過去と現在をしっかり書く必要があって。夢を叶えられる人って、実際は一握りじゃないですか。大多数は夢を諦めるわけですけど、この小説ではそちら側の人生に焦点を当てたくて。私自身も「小説家にはなれないかも」という時期に初稿を書き始めていますし、そんな自分を肯定したいという気持ちもあったんですよね。私を救うための小説でもあると思います。
生々しいバンド描写とフィクション的リアリティのチューニング
ーーバンド“さなぎいぬ”の造詣も生々しいですよね。作曲の才能を持ったギタリスト・朝顔を中心に、他のメンバーががんばってついて行くという形は、実存したバンド・赤い公園を想起させます。
金子:まさしくそうで、赤い公園を念頭に書き進めました。赤い公園はずっと大好きなバンドですし、私にとって同世代の天才と言えばまず津野米咲さんだったので、ギタリスト・三浦朝顔の人物造形は彼女を種にしています。2020年に初稿を書き上げた後、訃報を聞き、打ちひしがれました。ファンのひとりとして、津野さんの凄さを語り継いでいきたいと思っています。赤い公園のCDについているドキュメンタリー映像なども小説の参考にしていました。赤い公園はメンバー全員が本当に上手いバンドでしたけど、“さなぎいぬ”はそうじゃないんですよ。リズム隊があまり上手くなかった赤い公園が“さなぎいぬ”なのかなと。
ーーバンド名を決めたり、初めてスタジオに入る場面の初々しさも印象的でした。
金子:そのあたりは軽音部での経験も活かしながら。登場人物のキャラクターを作って、「あとはサイゼリヤに集めて自由に喋らせてみよう」という形で書き進めました。喋らせていくうちにどんどんキャラクターが定まっていくこともあるし、特に小説の序盤はそういう書き方だったと思います。
ーー小説のなかには、10代限定フェス“閃光ライオット”をモデルにしたと思われる“群青モーメント”というコンテストや、雑誌「ROCKIN'ON JAPAN」が実名で出てきます。現実とフィクションのバランスについては、どういうスタンスを取ってるんですか?
金子:実在するものを小説に取り入れることもけっこうあるんですが、一方で「現実をそっくりそのまま書いてもウソくさい」ということもあって。大谷翔平がわかりやすいと思うんですが、「打っても投げてもすごくて、メジャーでホームラン王になってワールドシリーズで優勝して」みたいなことをフィクションとして書いても、「ウソじゃん」となってしまう。そうならないように、ちょうどいい塩梅のフィクション的なリアリティにチューニングしているんですよね。小説に出てくる“群青モーメント”では、同じ楽屋に2つのバンドが相部屋してるんですけど、実際の閃光ライオットがどうだったかは全然知らないんですよ。
ーー相部屋になった“シグナルズ”のメンバーと話をするというのも大事な場面ですからね。実際には起きないことかもしれないけど、小説としては「ありそう」と思えるというか。
金子:シグナルズのメンバーもかなりアクが強いんですけど、あれくらいのほうがフィクションには馴染むのかなと。小説に出てくる「ROCKIN'ON JAPAN」の“さなぎいぬ”インタビュー記事もできるだけ本当らしく書いたつもりなんですが、もちろん実際のインタビューとは微妙に違うはずで。いかに小説のなかのリアリティとして成立させるか? ということを、探り探りやり続けている感じですね。
1秒ごとに変化する音楽を小説のレイアウトで表現する技巧
ーーさなぎいぬの最初のオリジナル曲「光」も重要な役割を果たしています。この曲もそうですが、演奏シーンが本当に素晴らしくて。バンドが演奏しているときに起きていること、楽曲の内容、メンバー同士の感情の動きが時間の流れのなかでリアルに描かれていると感じました。
金子:演奏シーンはかなり気合を入れて書いたので、そう言っていただけるとうれしいです。今回の作品に限らず、私は文体のリアルタイム性を投稿時代から長年磨き続けてきました。元を辿ると、舞城王太郎さんから受けた影響が大きいのですが、舞城さんの小説は「~した。」という過去形ではなく「~する。」という現在形で地の文を閉じることがほとんどで、即時性がかなり強いんです。そこで生まれるドライブ感に憧れてきたし、自分でもそういう文体を練り上げてきたんですよね。『私たちは~』に関しては、扱っている題材が音楽だということも大きいです。ちょっと話が飛んでしまうのですが、合唱部のときの指揮者の先生に「音楽は時間の芸術だから、絶対に遅刻をするな」と何度も言われていて。
ーー音楽が時間を使った芸術だというのはわかりますが、それと「遅刻するな」が結びつくんですね(笑)。
金子:そうなんです(笑)。部活のスケジュールは、パートごとの練習、全体練習、ミーティングなどに分かれていて。そうやって時間通りに進んでいくものだから、1秒でも遅れたら、歌う資格がない。音楽は時間の芸術なんだから、時間を守れない人間に良い歌を歌えるわけがないということなんですが、それが自分のなかに刷り込まれているんですよ。1秒1秒移り変わっていく音楽を小説のなかで書くときに、これまで自分が積み上げてきた即時性の強い文体が合うはずだと思っていたし、実際、演奏シーンはけっこうスラスラ書けました。もともと志向していた文体が音楽にフィットしたと言いますか。文章自体にもグルーヴを持たせているし、センテンスの長短、レイアウトを含めて、自分なりに音楽を小説で表現したということですね。
ーーなるほど。確かにこの小説におけるライブシーンの書き方は、音楽雑誌のライブレポートとはまったく違いますよね。
金子:小説だから、こういう表現を許してもらえたと思っています。私の書いたものは「小説らしくない」「戯曲っぽい」と言われることがあるんですが、こちらが「小説です」と言い張れば、「小説」として受け取ってもらえるはずと信じていて。小説という表現のそういう懐の深さが好きだし、どこまで「小説」と言い張れるかは今後も探っていきたいです。
ーー小説を書くのは時間がかかるし、『私たち~』のように着想から出版までに長い年月がかかることもある。そのことについてはどう捉えていますか?
金子:小説を書いてから出版するまで、早くとも半年くらいは掛かるので、あまりにも今っぽいものを扱おうとすると、世に出る頃には古くなる、というのも小説の特性ですよね。逆にそういうラグがあるからこそ表現できることは何だろう? ということもかなり意識します。だから固有名詞の使い方は常に意識していて、『死んだ山田と教室』では世代を限定するような固有名詞を出来るだけ排除したんですが、『私たちはたしかに光ってたんだ』では逆に、瑞葉の生きた時代を強く焼き付けるイメージで、積極的に固有名詞を登場させています。そうやっていろいろ考えて、試していくのが好きなんです。小説が好きだからこそ、演劇、映画、漫画、美術、音楽などの良い部分、面白いと感じる表現の特性を吸収しながら、小説でやれることを広げていきたいなと。
ーー根底にあるのは、金子さんご自身の音楽やバンドに対する理解の深さ、愛情の強さだと思います。
金子:バンドは儚いと言いますか、好きなバンドが解散したり、メンバーが脱退してしまうことが何度もあって。赤い公園、フジファブリックのようにメンバーが亡くなってしまったり……。そういう経験も含めて、バンドが放つ一瞬の輝きを何とかして小説に刻みつけたかったんですよね。
高校生の自分を救ってくれた小説への恩返し
ーー本作は、中高生の若い読者にも届いています。
金子:嬉しいです。おこがましい言い方かもしれませんが、小説の間口を広げたいという気持ちは常にあります。私が小説にハマるきっかけになった舞城王太郎さん、太宰治などの作品は「小説はこんなこともできるのか!」という衝撃があった。私自身もそこに挑戦することで、「小説は面白い」という人をちょっとでも増やせればいいなと思っているんです。会話文が多かったり、一般的な小説とは少し違うかもしれませんが、「こんな書き方もできるんだな」と思ってもらって、小説に対するイメージを変えられたらなと。既存の書き方に捉われず、なおかつ小説に慣れていない方も楽しめるような。「小説は自由だよ! どんな書き方しても怒られないよ! めちゃくちゃ楽しいよ!」と叫ぶように小説を書いています。私自身も高校生の頃に小説に救われてきた部分があるので、恩返し出来たらいいなという気持ちもあります。
ーーこれまでに培ってきた技術が惜しみなく発揮されていること、より幅広い読者に届いていることなど、この小説は金子さんご自身のキャリアのなかでも、一つのターニングポイントになるのでは?
金子:自分としても「この作品を一つの集大成にする」という覚悟で書き上げました。デビュー作の『死んだ山田と教室』で「青春を書く作家」と認知してもらったところもあると思うんですが、まだまだ書き切れていない感じがずっとあって。『私たちは~』は、自分のこれまでの人生経験もそうだし、10年以上積み上げてきた技巧も全部注ぎ込んだ手ごたえがあります。最高の形で世に送り出すことができ、とても嬉しいです。
ーー今後は新しい表現へと向かうことになりそうですか?
金子:書きたいことを書き続けるためにも、新しい表現を探し続けないといけないと思っています。おそらく金子玲介は「会話文が特徴的な作家」というイメージがあると思うのですが、同じような会話文を続けていたら飽きられてしまうし、自分自身も飽きてしまいます。人と人が言葉を交わす、という現象がとにかく大好きなので、ずっと会話を書いていきたいし、そのためには少しずつマイナーチェンジを繰り返していかないといけない。人間の発話を文章に落とし込む、という情熱だけは、どんな小説家にも絶対に負けたくない、という強い思いがあります。それと、もともと私は長らく純文学を目指していたんですよ。『死んだ山田と教室』はエンタメ小説に区分されていますが、今回の『私たちはたしかに光ってたんだ』を経て、今後は純文学とエンタメの両方を書いていきたいなと。
ーー金子さんにとって、純文学とエンタメの境界は?
金子:純文学とエンタメの区分けは日本の出版業界特有のもので、定義は人によってかなり違うと思っています。私にとっては「自分のために書いて、結果的に読者のためにもなる」のが純文学で、「読者のために書いて、結果的に自分のためにもなる」のがエンタメなのかなと。本作はエンタメ小説だと思いますが、自分のために書き始めたところもあり、初稿の段階では純文学の賞に応募していたので、一概には言えないですけどね(笑)。
ーーどちらでもいいと言えば乱暴かもしれませんが、線引きはかなりあいまいですよね。
金子:そうですね。『死んだ山田と教室』や去年出した『流星と吐き気』を「純文学っぽい」と言ってくれる方もけっこういて。その辺りの線引きをどう崩していくか、ということも、たくさん考えて書いて試していきたいです。ただ、読者の皆さまには両方とも気軽に楽しんでもらえたらな、と思っています。書き続けるので、これからもよろしくお願いします。
■書誌情報
『私たちはたしかに光ってたんだ』
著者:金子玲介
価格:1,650円
発売日:2026年4月9日
出版社:文藝春秋




























