千街晶之が読む『妖怪に焦がれた男 小泉八雲全解剖』 朝ドラ『ばけばけ』モデル・小泉セツとの馴れ初めは?

『妖怪に焦がれた男小泉八雲全解剖』書評

 9月29日から放送がスタートするNHKの朝ドラ『ばけばけ』で髙石あかりが演じる主人公・松野トキが、小泉セツをモデルにした女性であることが発表されている。小泉セツ(節子)とは、ギリシャ出身で明治期に日本を訪れた文学者・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の妻となった女性である。

■ビジュアルが豊富で入門書として最適

 『ばけばけ』の放送決定により、小泉八雲やセツに関する書物が既に立て続けに出ており、今後もいろいろ刊行されることが予想されるが、宝島社から刊行された『妖怪に焦がれた男 小泉八雲全解剖』は、その入門編として格好の内容ではないだろうか。

■小泉八雲の半生を丁寧に紐解く

 来日してからの小泉八雲についてはある程度知っていても、それ以前の彼の経歴はあまり知らないというひとは少なくないと予想されるが、本書では、彼の生い立ち、日本を訪れるまでの半生などが詳しく紹介されている。出生名はパトリック・ラフカディオ・ハーン、父はアイルランド人、母はギリシャ人で、産まれたのは父の赴任先で当時はイギリスの半植民地状態だったイオニア諸島のキシラ島だった。アイルランドに呼び寄せられた母は寒冷な気候と英語の難しさから帰国し、離婚が成立してしまう。ラフカディオは大叔母に育てられるが、16歳で左目の視力を失い、大叔母が破産したため神学校を退学しなければならなくなる……等々、若き日の彼の運命はかなりの逆境続きである。

小泉八雲の怪談と再話の魅力について特集したページ。むじなの解説が掲載れている。『妖怪に焦がれた男 小泉八雲全解剖』(宝島社)より

 そんな中で、ラフカディオはしばしば不思議な体験をする少年だったようだ。中でも、家にやってきた修道女を呼び止めると、振り向いた彼女の顔がなかった……というエピソードは、後年、「むじな」(『怪談』所収)へと昇華されたと思しい。

 単身渡米したラフカディオはジャーナリストとなり、日本研究家バジル・ホール・チェンバレンによる英訳版『古事記』に魅了される。一神教よりも多神教を愛した彼は、日本神話に馴染みやすいものを感じたのだ。やがて機会を得て彼は訪日するが、日本に定住し、小泉八雲と名を改め、1904年(明治37年)に54歳で生涯を終えるまでの彼の活動は広く知られている通りである。

■小泉セツとの馴れ初めは?

本書『妖怪に焦がれた男 小泉八雲全解剖』の監修は、小泉八雲とセツのひ孫にあたる小泉凡氏

 一方、本書では妻となるセツの経歴も詳細に紹介されている。両親ともに松江藩の上級武士の家柄だったセツだが、かつての武士階級である士族は多くが没落の運命を迎え、彼女の実家・小泉家も、養子として迎えられた稲垣家も例外ではなかった。セツの最初の結婚が破綻し、小泉家に籍を戻した1890年(明治23年)は、ラフカディオが来日し松江に赴任した年であった。母同様に寒さが苦手なラフカディオは松江で体調を崩すが、その世話をセツが担当したことから、両者は惹かれ合い、やがて結婚することになる。八雲は日本語を話せず、セツも英語を解さなかったが、両者は日本語と英語の折衷とも言うべき「ヘルン言葉」という特別な言葉で意思疎通を行った。

 小泉八雲に関連する日本の土地といえばまず松江を連想するひとは多いだろうが、実際には彼は松江でそれほど長い歳月を過ごしたわけではない。彼はセツとともに松江から熊本・神戸・東京と転居を繰り返したが、日本文化の古層が残る出雲に特別の思い入れがあり、八雲という日本名もスサノヲノミコトが詠んだ日本最古の和歌とされる「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を」から採った。「八雲立つ」は出雲に掛かる枕詞である。

■オープンマインドが生んだ夫婦関係

 本書には「小泉八雲を知る7つのキーワード」という章があるが、その筆頭に挙げられているのが「オープン・マインド」である。当時の西洋人にありがちだった偏見に囚われず、同じ目線で異文化を見ることが出来た八雲。小泉セツという日本人女性を愛し、妻の姓に改姓し、生涯をともにした八雲。恐らく、朝ドラ『ばけばけ』で八雲夫婦が採り上げられたのも、そうした夫婦関係が現代の視点から改めて注目されたからに違いない。

 彼ら夫婦の生涯を物語る当時の写真や、彼らにまつわる土地の写真が沢山掲載されているのが本書の大きな特色だ。八雲の家の外観や書斎の佇まい、八雲の葬儀の写真などは、時を超えて八雲夫婦の過ごした時代の空気を伝えてくるかのようである。ヴィジュアル的にも小泉八雲とセツの生涯をわかりやすく伝えているのが本書の美点であり、冒頭で「入門編として格好の内容」と記した所以はそこにある。夫の死後、4人の子供を抱えたセツを助けた友人たち——後にダグラス・マッカーサーの秘書として象徴天皇制実現に尽力したことで知られるボナー・フェラーズや、八雲の伝記を執筆したジャーナリストのエリザベス・ビスランドらの紹介にもページが割かれており、彼らと八雲夫婦との交友が『ばけばけ』でどう描かれるかも注目したいところだ。

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