嶋津輝『カフェーの帰り道』なぜ直木賞を射止めた? 東京創元社「初受賞作」の意義を読み解く

2026年1月14日、第174回直木三十五賞の選考会が行われ、嶋津輝の短編集『カフェーの帰り道』(東京創元社)が受賞作に決定した。前回の第173回が、芥川賞・直木賞ともに「受賞作なし」という異例の結果に終わっただけに、今回、実力派作家による極上の短編集が選出されたことは、文芸界にとって明るいニュースとなった。
受賞作の『カフェーの帰り道』は、大正から昭和にかけて東京・上野の「カフェー」で働いた女給たちの、したたかで、それでいて哀切な生を鮮やかに描き出した連作短編集だ。2016年に「姉といもうと」で第96回オール讀物新人賞を受賞してデビューした嶋津は、著作数でいえば『カフェーの帰り道』が3冊目となる。なぜ本作で大きな栄冠を手にすることができたのか。書評家・杉江松恋の視点から、本作の魅力と受賞の背景を紐解く。
時代設定を超えて響く女性像

今回の直木賞は、唯一2回目のノミネートだったのが本作『カフェーの帰り道』で、他は全員初めての候補入りだった。今回の直木賞の顔ぶれを見て、杉江は何を感じたのだろうか。
「これまでの直木賞の傾向と比べると、少し若返り、あるいは新しさを感じさせる顔ぶれだったように思います。たまたま新しい顔ぶれの中に力作が揃ったという偶然もあるかもしれませんが、全体的に『新しい世代、新しい感覚の人を直木賞に』という予選委員の意思や意図のようなものが、結果として表れたのかもしれません。嶋津さんの作歴は10年近くになると思いますが、著書はまだ3冊です。候補者全体の中では中堅に近い位置づけに見えますが、直木賞の文脈でいえば、まだまだ新しい作家の一人です。その彼女が、これほどまでに完成度の高い作品で受賞したことの意味は大きいと思います」
『カフェーの帰り道』の舞台は、今から100年ほど前の大正・昭和初期である。女性たちの群像劇というのは一見すると正攻法に見えるが、杉江は本作が単なる回顧的な歴史小説に留まっていないことを強調する。
「大正から昭和を描いているという点では、前作の『襷がけの二人』に連なるものがありますが、本作は連作短編の形で描いており、物語もバリエーションに富んでいます。かつての中島京子さんの『小さいおうち』のように、女性が太平洋戦争という時代をどう乗り越え、生きてきたかを描く、いわば王道の歴史群像劇といえます。ただ、嶋津さんの作品が素晴らしいのは、そこに描かれる女性たちの姿が、驚くほど現代的であるという点です」
カフェーという、当時としては先端でありながら、同時に女性が自立して生きるための過酷な現場。そこで働く彼女たちが、幸福や不幸に翻弄されながらも、自らの手で人生を掴み取ろうとする姿は、令和を生きる読者の心に強く響く。
「歴史の地続きにある物語でありながら、そこで働く女性たちの姿は、現代の女性たちにも重なるようなイメージがあります。近現代の歴史を借りてはいますが、描かれているのは非常に普遍的な共感を呼ぶ物語です。読者が自分を重ね合わせられる、そんな現代性が、選考委員たちの高い評価に繋がったのではないでしょうか」
全編にわたり隙がない完成度
杉江が本作を読み、最も舌を巻いたのは嶋津の技巧の高さだ。短編集において、全編のクオリティを一定以上に保つのは至難の業だが、本作はその壁を軽々と越えている。
「短編集というのは、どうしても作品ごとに出来不出来が出てしまうものですが、本作には全く隙がありません。5編全てが等しく面白い。また、舞台設定もさることながら、登場人物たちが少しずつ重なり合い、ある章で脇役だった人物が、別の章では主人公として描かれ、また後から再登場する。その連作ならではの面白さが、実に見事に機能しています。年代が少しずつズレていく中で、キャラクターの書き分けも精緻で、何よりその造形が素晴らしい。エンターテインメント小説として、良いキャラクターを魅力的な文章で書く、という基本が徹底されています。読んですぐに『これは絶対に受賞するな』と思いました。小説をあまり読まない読者でも楽しめますし、読み慣れている読者も唸らされるような技巧が随所に施されています」
東京創元社にとっての快挙が意味するもの
また、本作の受賞は、出版文化の側面からも興味深いトピックとなった。本作の版元は、ミステリやSF、ファンタジーの老舗として知られる東京創元社である。
「東京創元社の刊行作品が直木賞を受賞するのは、実はこれが初めてなんです。もちろんミステリ作品が候補作に挙がることはこれまでもありましたが、受賞は史上初の快挙。ミステリやSFのイメージが強い版元かもしれませんが、近年はいわゆる一般文芸の作品を意欲的に出しています。その流れの中で、嶋津さんのような本格的な歴史群像劇を世に送り出し、直木賞を受賞したことは、版元にとっても非常に大きな意義があるでしょうし、出版界にとっても幸福な結果だったと言えるはずです」
嶋津は連作短編という形式の魅力を見事に引き出し、その中でキャラクターを生き生きと描いた。そして戦争の時代にしたたかに生きる女性たちの姿は、令和に生きるわたしたちを勇気づけてくれる。
「戦争という負の歴史が、人々のささやかな幸せをぶち壊していく。その中で、女性たちがどう知恵を絞り、互いに手を取り合って生きてきたか。この生存の知恵の描き方は、今の時代にこそ求められているものです。歴史の細部を丹念に掬い上げながら、それが現代に通じるエールになっている。そこに本作の真髄があると思います」
嶋津輝『カフェーの帰り道』の直木賞受賞は、技巧に裏打ちされた物語の力への信頼を、改めて私たちに示してくれた。上野のカフェーから響いてくる女性たちの笑い声とため息は、直木賞という冠を得て、より多くの読者の元へと届いていくだろう。
■書誌情報
『カフェーの帰り道』
著者:嶋津輝
価格:1,870円
発売日:2025年11月12日
出版社:東京創元社
























