杉江松恋の新鋭作家ハンティング 風俗店を舞台にした犯罪小説『ガールズ・アット・ジ・エッジ』

『ガールズ・アット・ジ・エッジ』レビュー

 犬怪寅日子、世界に遍在しようとする作家だ。実はそこにもいる。思いがけないところにもいる。一つの概念で縛ろうとすると、するりと抜けて別に自分の居場所を作っている。

 新刊『ガールズ・アット・ジ・エッジ』(ハヤカワ文庫JA)は、犬怪が〈カクヨム〉に投稿連載していた長篇で、すでにハトリアヤコ作画によるコミカライズ版も存在する。犬怪の商業デビュー作は第12回ハヤカワSFコンテストで大賞に輝いた『羊式型人間模擬機』(早川書房)だ。亡くなった人が羊になり、ゆかりの者に食われる慣習が存在する世界を描いた小説で、書かれている内容よりもそれを書く文体を極めることに主眼が置かれており、実に不思議な読み心地であった。強いて分類するなら幻想小説だが、これにSFの賞を授与した早川書房は太っ腹だったと思う。

犬怪寅日子『羊式型人間模擬機』(早川書房)

 この連載では同じ作家の作品を二度採り上げないことにしているが、前回は同時受賞のカスガ『コミケへの聖歌』(早川書房)と二作の紹介だったので、特例としてお許しいただきたい。『ガールズ・アット・ジ・エッジ』は『羊式型人間模擬機』とはまったく様相が異なる。犯罪小説と呼ぶべき作品であり、『羊式型人間模擬機』に先行していることもあって、こちらを実質的なデビュー作と見なすこともできるだろう。

 視点人物が交替しながら進んでいく物語である。主舞台は風俗営業店であるピンサロで、そこでユリア、綾乃、リンカ、ニコという四人の女性がこの順番で主要な語り手となる。彼女たちは接客をするキャストであり、それぞれNo.7、No.5、No.18、No.25というナンバーを背負って紹介される。もう一人の視点人物は最上真はキャストではなく、ボーイである。客の対応から清掃まで、あらゆる雑事をする。この真が物語のキーパーソンである。

 しかし叙述は、彼ら五人以外の語りによって始められる。その序幕で明かされるのは作中で起きた出来事の後日談だ。視点人物は鳩谷真衣というのが本名でやはりキャストの一人だが、事情があって件のピンサロをしばらく休んでいた。復帰した彼女は、店から一気に六人の人間が消えたことを教えられる。塩原という名の、最上真と同じボーイが殺され、五人の従業員が逮捕されたというのである。伝聞だから詳しいことはよくわからない。そもそもナンバーと源氏名だけで相手を認識する関係性の中で彼女たちは暮らしていて、お互いがどんな人生を背負っているかは知らないのだ。そこまで踏み込まないことにより、関係性が保たれているともいえる。

 刑事と思われる男性が店の待機所に踏み込んできて不躾に質問してくる。それを聞きながら真衣の中にはある思いが浮かんでくるのである。「彼女たちは、どうして自分たちを置いて行ってしまったのだろう。人を殺すくらい、真衣にだってできる。塩原でもこの男でも、客の誰でもいいから、殺して、自分たちも彼女たちと一緒にどこかへ行きたかった」「そうすれば」「あるいはここから逃げ出せたかもしれない」「こんな人生から」。

 しかし鳩谷真衣は当事者ではなく、事件とは無関係に生き、やがて店を卒業し、過去を過去として葬り去る。だからこの序幕には「鳩谷真衣という女はいない」という題名がつけられている。それでは事件の中にいるのはどんな人間か、ということを語るのが以降の展開だ。

 この序幕を読んで連想したのは、アメリカのミステリー作家パット・マガーだった。マガーには1947年に発表した『七人のおば』(創元推理文庫)という長篇がある。物語の枠として一人の女性が登場する。彼女には七人のおばがいたが、そのうちの誰かが夫を殺害し、自らも命を絶ったことを知るのである。届いた手紙は当事者の名前が読めなくなっていて、どのおばが事件に関与したのかがわからない。そこで過去の出来事から推理を働かせ、誰がそのおばなのかを当てようとする、という内容だ。

 序幕の後でまず視点人物を務めるのは、No.7の綾乃だ。物語のゼロ時間は、塩原という男が殺された瞬間に設定されている。そこから起算して「一時間と三十七分後」にまず叙述は下り、その後の情景を描き出す。「浴室に戻ると、なぜか塩原は豚の顔をしていた」と綾乃は綴る。豚の顔をしているのはストッキングをかぶせられているからだ。そこにはブラとショーツだけの姿になって、スマホをいじっているリンカがいた。リンカがストッキングをかぶせたのだ。「(死者に)見られながらバラすのがキモい」からである。そこで、彼女たちが塩原の死体をばらばらにして処理しようとしていることがわかる。

 時間がくだるのはこの章だけで、以降は過去に一旦遡り、そこからゼロ時間へ向けて、さらにはそれを越えて死体を処理しようとしている現在へ、というように叙述は進んでいく。その中で彼女たちの関係性が見えてくる。

 たとえば綾乃とユリアは腐れ縁と呼ぶべき幼馴染の関係で、お互いのことを知り尽くしているために、一緒にいるときは曖昧な主語と述語のみで会話が成立する。「外から見れば輪郭が曖昧な、内から見ればあまりにも明確な言葉」を共有しているのである。他人にはわからないような冗談も。「神社って、どこも同じ匂いがする」と綾乃が呟くとユリアは「なにそれ、精液の匂いとか?」と返す。この趣味の悪い一言には、実は共有した時間ゆえの深度があり、その記憶が綾乃をユリアに縛り付けていることが後に判明する。

 主要な登場人物には、みな何かのしがらみに絡めとられているという共通点がある。過去や家族といった自分以外の何かに。語り手たちがナンバーと源氏名だけの存在として登場する意味についてはNo.18リンカの章で端的に言及される。最上真にリンカは「新しい名前は、新しい世界ですよ」と言う。「リンカという私の名前には、父も母も存在しない。姉もいない。私の意志だけが流れている名前なんです」と。

 自分を縛るものへの解放という意志がある。家族というしがらみを抱えて生きているリンカは「この名前で呼ばれるたび、家の中にいる自分がすこしずつ死んでいく」ような感覚を味わうという。もちろん性風俗店がそんな救済の道であるわけがなく、「これはいつか必ず終わる時間で、年を取って、ここから遠く離れたときに、なかったことにしなくてはいけない記憶」であるということも認識している。

 他者に自分を収奪されてしまった者が解放を勝ち取ろうとする闘いを描いた物語であり、そのために世俗の法と倫理を逸脱してしまうという犯罪小説である。性的暴行などの痛ましい出来事が叙述の中には含まれるが、登場人物たちはそれを自分に刻まれた傷、乗り越えるべき過去として処理しようとする。その過程を作者は全体として見せようとしているのである。のしかかってくる過去とそれに抗う現在の拮抗という形で叙述は進んでいくので、時折奇跡的な瞬間が訪れる。塩原の死体を処理するためどうしても外出しなければならなくなる。そのときに探し出してきたのがチャイナ服とミニスカポリスのコスチュームだった、という箇所が私のお気に入りだ。ピンサロだから露出度の多い服しかないのである。

 犯罪小説として見た場合、感心したくなるくだりがある。塩原に決定的な一撃を与えたのが誰か確定できないという謎がフックとなって物語は進んでいく。なぜそういう展開なのかと考えながら読んでいたら、ある場面に出くわした。塩原の死体処理についてあることを決める箇所で、なるほど行為者が不明になっているのはそのためなのか、と納得させられた。誰かが曖昧なことには意味があるのだ。彼らがナンバーと源氏名だけの存在であるという共通項があり、鳩谷真衣という名前を持つ人物が物語に加われないことと、この謎とは表裏一体の関係にある。

 名前のない彼ら、名前を拒絶するわたしたちはどこにでもいる。物語の内だけではなく、その外にも。闘いを求める者の偏在を示すために犬怪は、名前のない者の物語を書いたのだ。

関連記事

リアルサウンド厳選記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「書評」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる