ヒップホップ的文章技法と黒人・パレスチナ問題のアナロジー 後藤護のタナハシ・コーツ『なぜ書くのか』評

■アナロジーのネガティヴ・サイド

アメリカ南部紀行である第3章はじっさいに読んでいただくとして、ぜひ紹介しなければならないのが第4章「巨大な夢——パレスチナを歩く」だ。国際政治レベルで目下最大の関心事項であるパレスチナ問題を扱っており、訳者の池田年穂も「コントラヴァ―シャルになることがあらかじめ運命づけられた章」とあとがきに記している。これはコーツの出自を考えても宿命であったかもしれない。というのもコーツの父が所属したブラックパンサー党は、パレスチナの人々と共同戦線を張っていた歴史的事実があり、幼いタナハシも父の影響で「イスラエル=白人」、「パレスチナ=黒人」という認識を持っていたという。
コーツの父はスヘイル・ハッマードの『生まれながらにしてパレスチナ人、生まれながらにして黒人』(1996年)という詩集を彼に与え、この二つの民族のインターナショナルな連帯を教え込んだという。とはいえ、そのような英才教育を受けながらも、実際に現地に足を運び、植民地主義にしてジェノサイド国家のイスラエルの腐敗を暴いていくコーツであるからこそ、黒人問題とパレスチナ問題を安易に類推(アナロジー)することに釘を刺すのだ。彼は本書の最後でこう述べている。
「パレスチナは私のホームではない。私はその土地、そこにいる複数の民族、そこで行われているある種の「翻訳」を通して見ている——類推(アナロジー)とか、霞のかかった自分自身の経験を通してになるのだ。残念ながらそれでは十分ではない。」
コーツの真実を追い求めるジャーナリストとしてのモラルには敬意を払いつつも、『黒人音楽史 奇想の宇宙』の著者として、アナロジーのネガティヴ・サイドを強調するコーツにある種の善意的硬化の危険性も感じたと正直に告白する。たとえばコーツも聞き惚れた変態的ヒップホップ集団ウータン・ウランのRZAは、『ドラゴンボールZ』で孫悟空が自らをスーパーサイヤ人と認識することは、ファイヴ・パーセンターズ(ネイション・オブ・イスラム分派の秘密結社)のアフロ・アメリカンが「内なるアラー」を発見するプロセスに等しいとアナロジーしている。アナロジーは往々にして「差異」を言い募る脱構築をベースとするポスト・コロニアル理論、カルチュラル・スタディーズ理論から白人至上主義そのものの「同化政策」と批判されもするが、プラトンが「美(は)しき絆」と呼んだアナロジーは弱き者らが連帯する技術、他者理解へとつながることの方がずっと多いのだということをはっきり述べておきたい。「糞まじめ教」(©山口昌男)のカルト信者に、私は死んでも屈しない。























