日ソ戦争は現在と地続きの戦争だったーー麻田雅文『日ソ戦争』に学ぶ、“最後の戦い”の実態

第26回読売・吉野作造賞に『日ソ戦争』

■ウクライナ軍事侵攻を考えるために

 ただ、やはり難しいのは、この戦争が1945年の8月8日という微妙すぎるタイミングで始まった点だ。後世の我々と違い、1945年前半にはソ連も日本もアメリカも「1945年8月14日に日本がポツダム宣言を受諾する」とは知らない。だからこそ、いつどのようにソ連が対日参戦に踏み切るのか、そもそも対日参戦するのかどうかは、どの立場からも予断を許さないものだった。

 そもそも1945年7月以前の認識としては、連合国は各国ともに「日本を降伏させるには本土決戦の必要があるかもしれないが、できればそれはやりたくない」と考えていた。ルーズベルトはアメリカ兵の流血を避けるためにソ連の対日参戦を願い、そのためにはありとあらゆる支援を惜しまない。対してソ連は大詰めを迎えているヨーロッパでの戦いに集中したいという本音があり、戦後を見据えたアメリカとの関係の変化という事情もある。スターリンはのらりくらりと米英からの要求をかわしつつ自国にとって最大の利益が発生するタイミングでの参戦の可能性を探るが、そこにマンハッタン計画の成功によって生まれた原爆という要素も加わり、1945年7~8月の連合国各陣営は極めてややこしい綱引きを行なっていた。このあたりの詳細は、本書を読んでいて「へえ~!」と思わされた部分である。

 さらに日本は当時中立条約を結んでいたソ連に対して、停戦への橋渡し役を期待していた。この期待からソ連の対日参戦の兆候を見誤り、結果的に満州を筆頭に軍民問わず多大な犠牲をはらうことになる。ソ連に妙な期待をしていた日本政府と日本軍の見通しの甘さ、見たいものしか見ず信じたいものしか信じないという認識の問題点についても、本書では説明されている。読んでいて頭が痛くなるような箇所だった。

 後知恵ならなんでも言えるが、いずれにせよ1945年7~8月という時期は、どの陣営もこの先何があるかわからないまま、自国にとって最善のルートを模索していたことは本書でよく理解できる。そしてソ連の対日参戦は「今にも降伏しそうな日本軍に対し、戦争が終わる前にソ連が漁夫の利を得るのならば、まさにここしかない」というタイミングを選んだ結果であり、スターリンのソ連が極めて冷静に時期を選んだことが、本書を読めば理解できる。

 もう一点印象的だったのが、ソ連・ロシアという国の戦争の進め方である。当時のソ連軍は米軍などと比較して兵士の命が大事にされていたとは言い難く、自軍の犠牲を厭わず前進する傾向は、日ソ戦争でも現れている。そしてもうひとつ、死亡率の高さと相関するのが軍規のゆるさである。このふたつの特徴を持つソ連軍は、攻め込んだ土地で数々の蛮行をはたらいた。また、ソ連が持つ北海道に対する領土的野心と、アメリカとの複雑な事情が絡まった結果、終戦後の8月28日から北方領土への上陸を行なっており、この問題は現在に至るまで解決されていない。

 こういったソ連・ロシア軍隊の性質は、現在に至るまで持ち越されているように感じられる。チェチェンやジョージア、シリアといった地域での紛争、そして2014年以来続くウクライナでの戦闘では、ロシア軍による組織的な戦争犯罪がたびたび取り沙汰されてきた。ソ連・ロシアが「戦争相手国の降伏」という条件や国際法を無視し、軍事力でもって他国の領土に侵攻して占領するというプロセスをいまだに繰り返している点を見ても、日ソ戦争は現在と地続きの戦争だったと言えるだろう。

 シベリア抑留や中国残留孤児、北方領土問題といった、日本の近代史に大きくのしかかった諸問題の源流を知る意味でも、『日ソ戦争』は必読の一冊と言える。そしてまた、ロシアが関わる現在の戦争と日ソ戦争との共通点を知り、考えるためにも、本書は多くのヒントを与えてくれる。綿密なリサーチによって日ソ戦争に新しい光を当てた本書は、各賞を受賞するのも納得の濃密な内容だった。

■書誌情報
『日ソ戦争 帝国日本最後の戦い』
著者:麻田雅文
価格:1,078円(税込)
発売日:2024年4月22日
出版社:中央公論新社

関連記事

リアルサウンド厳選記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「書評」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる