『岸辺露伴は動かない 懺悔室』露伴はなぜ“動き出した”のか? ノベライズから読み解く、漫画家の“誇り”

映画ノベライズから分かる岸辺露伴の誇り

 もう少し触れるなら、ゲームとはポップコーンを空中に放り投げて口に入れるという微笑ましい遊びを、命がけで行うというもの。これを漫画では、荒木飛呂彦のパワフルな絵で見せられ、自分がそのゲームをさせられているような思いにさせられる。アニメの方では、そうした荒木の絵が動くことで、よりスリリングな感じを抱かされる。

 圧倒的な画力や構成力で描かれる荒木の絵があってこその名シーンだと言えるが、映画はこれを人間の役者、具体的には大東駿介の演技とそれを捉えるカメラワークによって見事に描ききっている。2026年の大河ドラマ『羽柴兄弟!』で前田利家という重要な役を演じる大東に、ひとあし先に注目を向かわせる名演だ。

 ノベライズはここを、懺悔する男の心情を交えることで、恐怖から歓喜へと変わりそして絶望へと至る心の動きに触れさせる。漫画とアニメと映画と小説、それぞれにおける描かれ方を比べて表現の違いを感じ取る楽しみ方ができるだろう。

 こうしたやりとりの後、懺悔する男がどのような状況に陥っているかが明かされて漫画やアニメのオチとなるが、映画とそのノベライズはここからが本格的な物語の始まりだ。〈ヘブンズ・ドアー〉が繰り出され、懺悔する男の体験が本当であることを知った露伴に、懺悔した男が受けている呪いが及ぶことになる。

 呪いは、直前に露伴が出会った仮面職人の女性にも関わるもので、そこからどうすれば呪いを祓うことができるのかといった戦いが始まる。この中で、人をいったん幸福の絶頂に至らせる呪いの特性が露伴に及び、イタリアで露伴の漫画の単行本が「日本国内でも、そうそう見る桁ではない」初版部数で刊行されたり、フランスや他の国でも増刷されたりすることになった時、露伴がスリの言葉にキレた時と重なる怒りを見せる。

 映画では、高橋一生が演じる露伴の表情や仕草から感じ取れるその激しい怒りについて、ノベライズでは「〈誇り〉という領域に踏み込んだ」からだといった説明がされていて、「だから、岸辺露伴は動き出す」のだと分かる。

 「もし〈幸運〉だけで名作漫画が出来上がるなら、チンパンジーにでもペンを持たせて描かせればいい。あるいは流行りのAI技術でも使えばいい。最高に運が良ければ、すばらしいイラストとストーリーが伴うに違いない」。けれども、露伴の漫画は露伴が描くから意味があると訴える描写もある。映画を観た人も、小説を読むことで露伴へのいっそうの理解を深められる。

 その後の展開は、映画を観るなりノベライズを読んで確かめて欲しいが、もうひとつ添えるなら、実は漫画の「エピソード#16 懺悔室」で露伴は〈ヘブンズ・ドアー〉を使っていない。荒木が当初は『ジョジョの奇妙な冒険』の外伝やスピンオフではないものを依頼され、設定を考えた上でストーリーの都合上、露伴を聞き手にするのが良いと考えルールを破って登場させたからだろう。

 最初から露伴を主人公にして描くなら、〈ヘブンズ・ドアー〉の使用を展開に絡めたはず。映画は露伴が主人公だけあって、〈ヘブンズ・ドアー〉を使いまくって危機から逃れ、真相に近づいていく展開が続いてラストまで引っ張られていく。その意味で、『岸辺露伴は動かない 懺悔室』は岸辺露伴というヒーローの活躍を大いに楽しめる映画であり、そのノベライズと言えそうだ。


関連記事

リアルサウンド厳選記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「コラム」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる