立花もも新刊レビュー メロスの副読本としても最適な小説や伊岡瞬、逢坂冬馬の注目の新刊登場
発売されたばかりの新刊小説の中から、ライターの立花ももがおすすめの作品を紹介する連載企画。数多く出版されている新刊小説の中から厳選し、今読むべき注目作を紹介します。(編集部)
五条紀夫『殺人事件に巻き込まれて走っている場合ではないメロス』(角川文庫)

メロスって、バカなのかな……。というのが、初めて教科書で『走れメロス』を読んだときの率直な感想だった。暴虐の限りをつくす王様に、なんで考えなしに突っ込んでいって、処刑されることになったうえ、勝手に親友を身代わりにして故郷に戻るの? そのくせ「俺はもう頑張った……あいつも許してくれる……」って諦めようとするのなに??? と、情緒の欠片もないことを考えてしまい、太宰治自身が「借金の返済金を借りてくる」と友人ひとりを残して旅立ち、戻ってもこなかったというエピソードが基になっていると知っても「へえ……」とさらに無の心になるばかりだった。
大人になった今なら、もう少し細部に感じ入るところがないでもないのだが、正直、潔癖性の強い十代に教科書で読ませるには、あまり向いていない物語なんじゃないかと思う。というわけで、副読本として中高生の課題図書にしてみると、原作の印象が変わって、太宰治に対する興味も増すのではないか、と思うのが本作である。
本作では、走って戻った故郷で妹婿の父親が殺されてしまい、妹ともども容疑者にされたメロスは思いもよらぬ足止めを食う。どうにか切り抜けて都に戻ろうと思ったら、山では山賊が、川では文豪が死体となって転がっており、そのつど推理力を働かせて真実を解き明かしていくのだが、基本、思考がシンプルなマッチョでしかないメロスの、ときに的外れな試行錯誤に思わず笑ってしまう。オサムス、イブセマス、カズオスという三人の文豪の関係性に、史実と別の作品を重ねてメタ的な構造にしているのも、憎い。そもそもメロスが食ってかかった王が実在したという点も含めて、原作を読み解くのにぴったりなのである。もちろん、ミステリーとしての仕掛けも多岐にわたっていて、誰もが知るあのラストに辿りついたときには爽快感すら味わえる。
伊岡瞬『翳りゆく午後』(集英社)

本作も、『走れメロス』同様、中高生時代に読んでいたら、もしかするとそこまで響かなかったかもしれないなあ、と思った。親が高齢者と呼ばれる年齢になり、認知症や免許の返納が他人事ではなくなったからこそ、描かれる「怖さ」が読み終えたあとも尾を引いている。
79歳の父親が認知症かもしれない、という疑いを抱きながらも受け止めきれず「まあ大丈夫だろう」とのらりくらり、妻の心配も受け流してきた息子の敏明。挙動があやしくても、父親が運転する車に傷が増えていても「まあ、うっかりすることはあるだろう」「ちょっとこするくらいはするだろう」と正常性バイアスを働かせ続ける彼の弱さは、大人になった今だからこそ、わかる。父親には元校長のプライドがあるし、そもそも偏屈で人の話を素直に聞くようなタイプではなく、親子の上下関係もはっきりしている。そんな人を相手にどうすれば老いを認めさせることができるのか、自分が同じ立場になっても、上手にやれる自信はない。
でも、おそれていたことは、突然起きる。人を轢いたかもしれないと父親に告白されて、敏明の日常は少しずつ歪み、そして崩壊していく。どんなに些細に見えても、いや些細に見えるうちにこそ、人は間違いを誰かと共有して、解決に臨んだほうがいいのだと、本作を読んでいるとつくづく痛感する。保身を優先させることは、何よりの悪手なのだと。けれど、果たして追い詰められたときに自分は、正しいふるまいをできるだろうか。できる、と言い切れない自分は、メロスに純粋に憤ってころから、ずいぶん歳を重ねてしまったなあと切なくもなる。























