『忍たま乱太郎』再ブームの陰に“推し文化”あり? 女性ファンを惹きつける「キャラ」と「関係性」を聞く
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尼子騒兵衛による忍者ギャグ漫画『落第忍者乱太郎』を原作とするアニメ『忍たま乱太郎』が再ブームを迎えている。2024年12月に公開された映画『劇場版 忍たま乱太郎 ドクタケ忍者隊最強の軍師』は興行収入15億円を突破し、2011年3月公開の前作で記録した1億8500万円から大きく躍進。1月30日には今作の公式ビジュアルブックの予約が開始され、Amazon「本の売れ筋ランキング」で早くもトップ10に入るなど、関連本も注目を集めている。
子ども向けアニメながら大人からの支持も厚く、劇場では特に女性ファンの多さが際立っている本作。コミカライズも好調の小説『忍者だけど、OLやってます』の作者「橘もも」としても知られ、ライターとして『忍たま乱太郎』関連の取材も多数行ってきた立花もも氏は、大人になってあらためて原作を読み直したファンのひとりだという。
「子どもの頃、『朝日小学生新聞』でマンガを読んでいたときは、乱きりしん(※猪名寺乱太郎、摂津のきり丸、福富しんべヱのトリオ)を中心に織りなされるコメディ劇を、シンプルに面白がっていた記憶がありますが、大人になった今(そして忍者について多少詳しくなった今)、原作マンガを読み返してみると、緻密な時代考証のもと構成されている歴史マンガであることがわかり驚かされました。忍者をアイコンとして使うのではなく、室町時代にどのような役割を負って、何のために修行をしていたのか。忍たまたちが学ぶ姿を通じて、はっとさせられることも多い。アニメ版はいい意味で何も考えずに世界観に入り込んで楽しむことができますが、そのなかで時折、原作にも描かれる“その時代を生きる人たち”のリアリティが垣間見えるから、大人もぐっときたりするんじゃないかなと思います」
「歴史マンガ」の側面を持ちながら、説教くささや“お勉強感”がまるでないエンターテインメント作品として愛されているのは、キャラクターの魅力によるところが大きいと、立花氏は分析する。「推し」というキーワードが生まれて久しいなかで、特に忍術学園一年は組の教科担当教師・土井半助の女性人気は凄まじく、その人物像が深掘りされる内容が、今回の劇場版の大ヒットに直結した部分も大きい。その他のキャラクターも個性的で、「登場人物たちの個々の関係性を把握すればするほどハマっていく」(立花氏)という。
「土井先生の人気に注目が集まりますが、忍たまを見守る大人たちが全員、魅力的なんです。子どもたちには見せない場所で、きっと鋭い忍者の顔をして任務をこなしているのだろうなあ、と思わせる描写があるからこそ、いつ何時も、生徒たちのことを思って行動する姿に心を打たれる。劇場版ではまさに、土井先生の失踪を子どもたちに隠しながら行方を追う山田先生(※実技担当教師・山田伝蔵)の姿が、とても印象的でした。また、劇場版では5年生、6年生の活躍も描かれるのですが、乱きりしんたち1年生と違ってすでに任務もこなしはじめている彼らの、大人と子供の狭間にいる姿も、ぐっとくるポイントの一つ。敵対する忍者たちもそれぞれ個性的で、立場や状況により、それぞれの関係性から生まれるものを想像する余地が無限に広がっているから、誰もが自分だけの楽しみ方を見つけることができる、というのも人気の理由かなと思います」
ちなみに立花氏の“推しキャラ”は、作中最強格のタソガレドキ城で忍軍の長を務める雑渡昆奈門(ざっと・こんなもん)だが、「劇場版を見ていたら山田先生がカッコよすぎて、浮気しそうになりました(笑)」と語ってくれた。原作マンガは2019年12月に連載を終了したが、現在もアニメは放送中で、今回の劇場版も含め、ファンが推したくなるキャラクターは増え続けている。一方で、立花氏は「キャラの背景にフォーカスしたシリアス展開は、たまにあるからこそ楽しい」として、作品本来の魅力を保ち続けることに期待しているという。
「映画に連動して土井先生の過去が描かれたり、人間関係が深掘りされるようなエピソードも増えるかもしれません。一方で、最終的には乱きりしんを中心としたコメディに着地する、いつまでも変わらない“笑い”に満ちた作品であってほしいなと思います」
今作の好評を受け、早くも次回作にも期待が高まっているが、果たしてどのキャラクターがフィーチャーされるのか。そして、新旧ファンが納得するコメディとしての魅力は今後も続いていくのか。まずは3月19日発売の劇場版公式ビジュアルブックを楽しみにしつつ、続報を待ちたい。